午睡

紫陽_凛

前編

 鍵が開いた音がしたのは覚えてる。それが幼馴染のあおい(男だよ)に貸してる合い鍵だろなー、ってのも眠い頭で把握してた。いつもの朝帰りだ。スマホ見たら早朝の五時で、俺にはまだ早え時間だなと思ってもうひと眠りしようと思った。

 そこまでは覚えてる。

 それから何時間経ったんだろうか。へそのあたりがこそばゆいような感覚がして目覚めると、俺は下を脱がされてめちゃめちゃしゃぶられてた。あおいに。肩まである長い髪の毛掻き上げて耳の後ろにかけて、ぐっと顔を俺のそこにおしつける。長い前髪が俺のへそをこしょこしょくすぐってるものだから、俺は何よりも先にやつの頭をわしづかみにした。どんな快楽も「絶景」にも、勝るものがあるのだ。

「おい、かゆいんだけど」

「ん」

 ぐっと動きを止められたあおいは涙目で俺を見上げる。

「ほひたお?」

 せめて口の中のものを出して喋れ。

「なにしてんだ。なんでこんなことしてんだ」

 ようやく俺の息子を解放した口が、真冬に凍えたような声で言った。

「……かず」

 あおいはこの村の長の一人息子だ。一刻も早く嫁をとらなければならない。まして男のナニなんか咥えている場合じゃない。あおいが毎日毎日毎日毎日毎日以下略繰り返している夜遊びだって、嫁とりの延長のはずだ。クラブかなんかに通ってるんだと俺は認識していた。あの、門限まで設けていた厳格なご両親が、あおいを好きにさせているんだから。

 俺がこっちに帰ってきてからまだ一か月も経っていない。村の中のことはすっかり変わってしまっていてわからない。俺はモデルみたいに唇を弄っているあおいに尋ねた。

「どうしたんだよいったい」

「嫌になっちゃった」

「嫌になって俺のちんこしゃぶるんかお前」

 あおいは端麗な顔の、その完璧な造形の口の端によだれをたらしながら、「うん」と頷いた。

「かず。……俺さあ、知らない女とセックスすんの、飽きたんだ」

「は」

 あおいは俺のあれをしゃぶった口をぐっと袖でぬぐうと、その綺麗な顔を俺に近づけて、なにか躊躇うみたいにしてから、大きな壁を乗り越えるみたいな顔して――俺の首筋に抱き着いた。知らん女のにおいが、髪の毛からふわっと香った。

「え?知らん奴とセックス?なんで?」

「……疲れた」

 そしてそのまま、あおいは眠ってしまった。



『眠れないんだよ』

 東京で就職失敗して精神科医のお世話になった俺は、両親を頼って村に転がり込み、なんとか小さなアパートを借りてそこに住むことになったわけだが、俺が帰郷したと聞きつけたらしいあおいもまた、そこに転がり込んできた。やべー奴がふたり、一つ屋根の下にそろってしまった。

『眠れないんだ』

 年上の幼馴染はひどくやつれていた。俺も相当だが、あおいはもっとひどかった。

『夜何してんの』

『寝てる場合じゃないんだよ。……お嫁さんを探してる』

 嫌味か?と思ったが、そんな性格じゃないことはもう十分わかってる。こいつはド天然だ。そのお綺麗な顔で口説けば二、三人はひっかけられるだろうに。

『じゃあ夜型になれば?』

『ううん。無理なんだ。睡眠薬も効かない。ストレス性だろうって、医者が言ってた』

『ご実家のストレスか?』

『……そうかも、しれない』

 そのときの煮え切らない態度をもうすこし追及しておけば良かったかななんて今の俺は思うわけだが――あおいは、目の下にとんでもないクマを作っていた。眠れないのは本当らしかった。俺の家に転がり込むとき、身一つなのに大量の睡眠薬と財布とおくすり手帳だけは持ってきてた(正直パンツくらい持って来いよと思った)(買った)。唯一お守りみたいに握りしめてきたそれらを、大量の水でざらざら飲むのも見てきた。でも、彼が眠れたことは一回もない、らしい。

 基本的に朝型の俺が帰宅すると、俺の服を着て目をぎらぎらに光らせたあおいが、暗い部屋の隅で体育座りしておまけに壁に寄りかかって「おかえり」って言って、それ見た俺がぎゃあって叫ぶ……っていう。死体が睨んだらこんな眼光になるだろうよ、って感じでめちゃくちゃ怖かったのを覚えている。でも、何回も繰り返せばそれも慣れた。

 夜になればどこかに出かけていくあおいを見送る。合い鍵についてる鈴一個、それを鳴らしながらあおいは夜に繰り出していく。俺の服着て、どっか行く。

 あおいを駆り立てて追い詰めるものが夜にある、というのは俺も何となく把握していたわけだけれどもまさかそれが、セックスだなんて。セックス。ああ。

「セックスかよ」

 俺を抱き枕に眠る幼馴染は昔みたいに綺麗だった。おんなじタオルケットを腹にかけて眠ったこともあったし、雨の中駆け回って二人同時に風邪ひいたこともあったし、女みたいな見た目のあおいが「駆け落ちごっこしよっか」なんて言って二人で村からとんずらしようとしたこともあったけどさ。

「知らねえ女とセックスってなんだよ」

 意味がわかんなかった。


 バイト先のコンビニに諸事情により欠勤しますと連絡を入れると、俺は身動きの取れないままスマホをフローリングにぼとっと落とした。大きな音だったけれど、あおいは目覚めなかった、長いまつげは伏せられたまま、俺のちんこをしゃぶった口は穏やかに寝息を立てていた。

「……なんだ、ぐっすり寝てんじゃん」

 なんで俺にフェラしようと思ったんだよとか、そもそも知らん女とセックスする生活ってなんだよとか、なんで今までそんな大事なこと黙ってたんだよとか、聞きたいこと言いたいことが山のようにあったけれど、ぽかぽか暖かいあおいの腹に触れてるとなんだか俺まで眠たくなってきて、俺はゆっくり目を閉じた。昔みたいに、隣で寝るのもいいかもしれないな。

「人の気も知らないで、いいご身分だよな」

 あおいへ文句をつけて、俺はその鼻先にキスをする。

「……眠れてよかったな」



「かず、俺、無精子症なんだって。子供作れないみたい」

 つかの間の熟睡から目覚めたあおいは歯を磨きながら俺の問いに答えてくれた。

「でも親父もおふくろも、それは認められないんだって。って」

 頭が痛くなるような話だが、あおいが夜出かけて朝帰るのは、単純に、それだけの理由らしい。

「……それでずうっと、ずっと、お前の精子がたる女を探してたってわけか、不毛だな」

 無精子症だろ。孕む女なんか居るわけないじゃん。

「不毛だよねえ」

「ばかじゃねえの」

「ばかだよね」

「で、なんでお前は俺のちんこを」

「――眠れたのは久しぶりだった。ありがと、かず」

 歯磨き粉口にくっつけたままにっこり笑って、あおいが言うから、俺は黙らされてしまう。 

「かずと一緒なら眠れるのかなぁ」

「じゃあ、無駄なセックスやめて俺と寝ろ」

「それは無理。親父もおふくろも、見てるから」

 あおいは口をゆすぐと、ヘアゴムを取り出して髪の毛を後ろに結び始める。

「ほんとうはかずと一緒に居られればいいんだけどね、眠れるから」

「……そうしろって」

「ダメなんだよ。あの人たち、見てるんだってば」

 駄目なんだ、の一点張りだった。あおいは昔と変わんないきれいな顔で俺にいってきますという。俺は、俺の知らん女を抱きに行く幼馴染に「いってらっしゃい」なんて言えなかった。

「……あおい」

「なに?」

 背が高い幼馴染の胸倉をつかんで頭を引き寄せる。困った、みたいな顔をしているあおいの唇を食み、その中に這入っていく。鼻から抜けるような声を上げたあおいに気をよくして、俺はもっとを求める。あおいの手が伸びてくるけどそれは拒絶じゃなくて、俺の背中を掻き抱く。長く長く続くキスは、知らん女とのセックスなんかよりずっと濃い。

 あおい。ずっと俺はお前のことしか考えてなかったんだぜ。

「なあ、駆け落ちごっこすっか?」

 あおいの瞳が揺れた。俺は続けた。

「そんでさ、二人で昼寝すんの。いいだろ?」

「……いいね」

「だろ」

「でも、無理だよ」


 あおいは汚い靴を履いて、俺の服を着て出かけて行った。しゃんしゃんと鳴る鈴の音が遠ざかっていく。おれはあおいので湿った唇を指でなぞった。


「何が無理なんだよ、アホ」

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