第16話 人の総意
「君は超人としての責務を果たす意思があるかね?」
公島は、何か腹案ありそうな顔でそんなことを言ってきた――いや、と誠一は否定する。政治家がそれなしに発言するなどありえない。もしそれをするならば、その政治家は本来、選ばれるべきではない無能だ。
告げる。
「あります。俺は人の総意に従います」
「ふむ。嘘ではないようだ。本当の意味で全体に自分を捧げられる人はまずいないが、口先だけでなら誰だってそうなれる――君のような本物は稀だ。まさに君は超人なのだろうと思うよ、まったく、ありがたい」
「誰かがやらなくてはいけない、誰もがやりたがらないことをやる。たったそれだけのことで超人というのは、いささか大仰な気がしますけど」
「では聞くが、君はそれができる人を見たことがあるかね?」
誠一が答えるより、早く。
「いるわけがない。人なんていう生き物は、その程度のものだよ」
公島が続けた――最初から誠一の答えなんてものを聞く気はなかったのだろう。政治家として有能である彼は、個人のご機嫌取りなどしない。所詮は一票でしかない個人よりも、百票を持つ組織を手中に収める方が効率的だ。
結局、民主主義に基づいた選挙活動とは、組織を手懐けられるかどうかでしかなく、本質的に個人というものの存在を切り捨てたものになる。個人をどれだけ贔屓しても一票にしかならないが、組織を飼い慣らせば何倍にも、何乗にもその数を増やせる。
無能な政治家は、その意図を隠せない――個人を騙せない。
公島は本音では個人を見下していても、誠一の前くらいでしかその姿を出さず、一般的には健全な政治家と認識されている。その程度の自己プロデュース能力のない人が、人の上に立てるはずがない。優秀な政治家と優秀な詐欺師はイコールの関係である。
公島がそのどちらか。
今のところは政治家だと言えるが、いずれは詐欺師になるかもしれない。イコールの関係であっても同質の存在とは限らない――簡単にイコールの関係で結ぶことができる、と思うのならば、それはまさに詐欺師の鴨になる。
結局、人間社会とは複雑で面倒なものだ。そうでなければ、利益を得られない人たちによってそれは構築され続けているのだから。
誰もが利益を――幸福を得られる社会なんてものがあるとすれば、それは。
「だからこそ、できる人が苦労をしなければならない。場合によっては、犠牲とも言えるかもしれないが、人が犠牲なしに何かを成し遂げたことなんてありえない――無血革命があるとしても、革命の結果として追いやられた愚者がいるし、最後には革命の理想そのものが犠牲として日常が生まれるものだ。かけがえのない日常とはつまり、理想を捨てることでしか生まれえない。人は、理想を掲げ続けられるほど高尚な生き物ではないよ」
「俺の犠牲も、いずれは日常になりますか?」
「当然だよ。いや、日常で済めばいいが、現実はもっと悲惨だろう。人というのはね、最悪の予想だけは超えていくものだ。最高の結果とはつまり、より最悪の結果を言い換えて、自分たちを騙すための道具にしているのだからね」
公島はそんな人に絶望している、わけではない。ただ自分の目的のために利用できる、としか思っていないのだ。
人は犠牲を出さないと何もできない。であれば、それを自分ではなく、外に、他者に求めるのは至極当たり前の発想である。誰だって、無傷なまま生き続けて幸福になりたい。そのために周囲が悲惨なことになっても、そんなものは目を瞑れば見えなくなるものでしかない――見えないものは存在しない、無と同じだ。
人は精々が、自分の目に映る範囲のことしか世界だと認識できない。その外にも世界が続いていて、命があることがわからない――わかってしまえば、自由に生きることなんてできなくなる。だから人は、そもそも見ないことを選んだ。自分の精神に影響を与えるような存在や概念なんてありはしないのだと、自分を騙すことを覚えた。
公島は、それを悪とは言わないだろう。むしろ、利用する。人々が何も見せないことを常態化させて、幸福の中で溺れていることにすら気づけずに死んでいく生き物にするために。
「あなたは、あくまで善意で動いている――人にとって幸福になるための最善の施策が、自分のやろうとしていることだと確信しているんですね?」
「当然だよ。私は人々の幸福を願っているし、それは私の策――つまり超人の犠牲でしか成しえないことだと確信している! そしてそれこそが、人々の望む幸福の形だよ。人という生き物はね、いつだって超人が自分たちに隷属することを望んでいる。人を超越した存在だからこそ、無償で人に奉仕するべきだと――神が当然のように人を救ってくれるものだと、愚昧なことを信じ切っている。私がそれを為してあげようと言うのだよ。君という超人を人々のために使う。異論はあるかな?」
公島は長々と語ったが、それを苦もなく聞けた辺り、やはり政治家の才能がある――聞きやすい演説ができない人を政治家と認められるほど、市民は寛容ではない。自分たちを上手く騙してくれる有能さをこそ、彼らは愛して支持する。
だから公島は、どこまでも大衆から推されて、国の頂点に立つ。その光景を誠一が見られるかどうか――死んでいなくても、見ることができなくなることは普通にあり得る。生きていればそれだけで世界と交流を持てるかと言えば、そんなことはない。
犠牲になるとは、そういうことである。
「ないですよ。俺はあなたの策に乗ったんです。最後の最後まで、あなたの支持者であり続けます。それが――」
公島の施策を知れば、誰もがそれの現実化を望むだろう。無痛で、無傷で得られる幸福を拒絶するような胆力は――希望だとか可能性だとか強さは――とうの昔に失われている。あるいは、最初から人はそんなものを持っていない。一部の超人だけが持ち合わせていて、人はそれが許せなくて、超人の隷属こそが正義だと信じた。
「人の総意です」
公島が、にやり、笑った――誰もが詐欺師だと断言する、政治家らしい笑顔だった。
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