23 賢者、対峙する

*****




 こんこん、とチュアは咳をした。

 昨夜から、喉が痛い。身体は熱いのに寒気がする。頭がぼうっとしている。

 食欲もなく、宿の主人がわざわざ作ってくれたミルク粥を、どうにか少し流し込んだのみである。


 チュアは風邪をひいたことがなかった。

 幼い頃から身体だけは頑丈な上、少しでも「暑い」「寒い」と言えば、たった一人だけ付けられた侍女が、冷たい水や毛布を持ってきてくれた。


 現状、間違いなく風邪を、しかも重めのものに罹患しているにも関わらず、チュアは自分が風邪をひいたと理解していなかった。


 だからチュアはこの日も、エレルの元へ行くつもりだった。

「そんな体調で何処行くんだい!?」

 宿の主人に止められたが、振り切った。

「どうしても行かなくてはいけないのです」

「せめて、これ着ていきな。嫁いだ娘のお古でよけりゃ、貰ってくれ」

 チュアはエレルの指輪の力で、町娘の姿に変身していた。

 城を出る時、けじめとして物や路銀を殆ど持ち出さなかったチュアにとって、古着はとても温かく感じられた。

「ご親切に、ありがとうございます」

 チュアは丁寧に礼を言い、いつもの道を通って、エレルの元へ向かった。




 町を少し離れた場所で、足がもつれ、その場に転んでしまった。

 鎖を通し首にかけていた指輪が、胸元からこぼれ落ちる。

 思わずそれを、握りしめた。

 魔法発動の合図だ。チュアの姿は、第三王女に戻った。


 慌ててもう一度指輪を握ろうとしたが、既に手元に指輪はなかった。


「ははっ、俺にもツキが回ってきたな。こんなところで姫君にお会いできるとは」

 指輪を握っていたのは、穀潰しの元勇者、メリヴィラだった。




*****




 家からだいぶ離れた。

 町まであと少しの距離のところで、チュアと、その他を見つけた。

 チュアの顔色は、医術は本で齧った程度の僕にでもわかるほど、良くない。

 その他は……チュアに攻撃的なことをしているように見える。


「チュアから離れろ」


 声をかけると、その他……メリヴィラは、あろうことかチュアの胸ぐらをつかんで持ち上げた。

「その声、エレルか? 久しぶりだなぁ。背ぇ伸びたな、お前。姫君を名前呼びって、ずいぶん偉そうじゃないか」

「手を離せ。さもないと」

「さもないと何だっていうの? そっちこそ、そこから一歩でも動いてみなさいよ。この……」

 ルメティは最後まで言葉を紡げなかった。


 僕の魔力が勝手に解き放たれ、ルメティの顔面をぐちゃりと潰した。

「あっがっ!」

「!? なっ、今の何だっ!?」


 周辺の大気に、僕の魔力を混ぜ込んだ。半径一キロメートルくらいは、僕の領域だ。

 僕の中に、こんなことができる程の魔力があったとは。

 更に、チュアが危険だから早く助けなくてはと思えば思うほど、魔力が溢れてくる。


「チュアを離せ。離れろ」

「ううううるさいっ! こいつを連れていけば、俺たちはまた城で暮らせるんだっ!」

 何か喚くメリヴィラの周囲に、魔力で無数の刃を作った。

「ひっ!?」

 刃のひとつを、メリヴィラにそっと当てる。

 触れただけの刃は、簡単にメリヴィラの頬の皮膚を切り裂いた。

「痛っ! 何しやがる! これ以上なにかしたら……」

「こっちの台詞だ。チュアを返せ」

「黙れ! 刃を消せ!」

 僕の言うことを聞く気はないようだ。


 ならば、無理やりにでもチュアを取り戻すまでだ。


 そう考えただけで、魔力の刃は僕が思い描いたとおりに動いた。


「ぎゃあああああっ!!」


 メリヴィラが、チュアを掴み上げていたはずの腕を掲げて叫ぶ。

 肘の少し先から、切り落としてやったのだ。

 地面に落ちかけたチュアは、魔法で真綿のようなものを作って包み、僕の近くへ寄せた。


 チュアがずっと黙っていたのは恐怖や萎縮ではない。この顔色は、やはり風邪を引いていた。

 無理をして僕のところへ来ようとしたのだろう。メリヴィラに胸ぐらを掴まれたときには意識が無かった。

 魔法と魔力でチュアに活力を送り込み、風邪の原因を消し去った。

「ん……う……。エレル、さま?」

「しばらく寝ていろ。話は……家で聞く」

「! はいっ」


 真綿の魔法とチュアをその場に置いて、メリヴィラの元へ歩み寄る。

 メリヴィラは右腕の切断部を左手で庇い、尻を地面につけたままじりじりと後退った。

「ひ、ひぃぃ」

「うるさい。騒ぐな、動くな。腕は元通りにしてやる」

「え……」

 地面に転がっていたメリヴィラの右腕を蹴り上げて、魔力で操作し、切断面同士をくっつけてやった。

 ついでにルメティの顔面も癒やしてやる。

「うぅ、っはぁ、はぁ……か、顔、私の顔……え、治ってる?」

「いいか、僕はお前達の身体を好きに切り刻んだり、潰したりできる。お前達が生きているのは目障りだが、ひとまず殺すのだけはやめておいてやる。だが、もし」

 一旦言葉を切って、メリヴィラとルメティを見る。

 ふたりとも、青い顔をして僕の話を聞いている。理解しているかどうかは微妙なところだ。自分の生死に関わることだから、理解しておいてほしいものだが。

「もしこれ以上、僕とチュアに関わったり、チュアを害そうとするなら、お前達を殺す」


 暫しの沈黙の後、やはりメリヴィラには難しい話だったことが判明した。


「お、俺たちはこれからどうしたらいいんだよっ! 金も無いし、城には入れてくれないし、住む場所どころか、明日の食い物も無ぇ! もう後は、そこの姫さんをっ……っ……!?」

 イズナのときのように、魔力を自由に暴走させておけばよかった。

 こいつらなら、殺めても心は痛まない。

 だが、こいつらなんかのために手を汚したくもない。

 僕は自分で言った通りのことが本当にできると、証明するだけに留めてやった。

「声帯を魔法で潰した。治癒魔法は効かない。お前はもう二度と喋れない。これ以上のことをされたくなかったら、今すぐ僕とチュアの前から消えろ」

 メリヴィラは喉を掻き毟ったり、口を大きく開けたりして、声を出そうと無駄なあがきを見せてきた。

 そんなメリヴィラを見て、ルメティが動いた。

「殺される前に行きましょう」

「……! ……!!」

「何が言いたいか知らないけど、あんたのそれは自業自得なのよ!」

 ルメティはそのまま、メリヴィラを引きずるようにして、町の方へ逃げていった。



 振り返ると、チュアはキュウを膝の上に乗せて、何事か話をしていた。

「終わった。帰ろう」

「私も、エレル様の家に帰っても宜しいのですか?」

「ああ。もう、よくわかったよ」

「?」


 僕は天を仰いで息を吐き、何度か呼吸してから、チュアを真正面から見据えた。


「一緒に暮らそう」


 婚姻だとか、夫婦になるだとか、そこまでの決心はまだつかない。

 僕に踏み出せた、最大の勇気だった。


「はいっ!」


 チュアは僕の手を取って、愛おしそうに頬ずりした。




 家に帰った僕がまずやったことは、取り壊した厨房の再建だった。

 魔力の吸収で空腹を覚えることは無かったのに、チュアが家にいるとなったら食欲が湧いて仕方がないのだ。

「食材が果物しか無くてな。買い出しに行ってくる」

「私も行きたいです」

 いつもならここで「おいらも!」と割り込んでくるキュウが、今日は大人しい。

「キュウ、どうした。具合でも悪いのか?」

「おいら折角空気読んだのに」

「空気?」

 僕が首を傾げていると、チュアがくすくすと笑い出した。

「ありがとうございます、キュウさん」

 キュウは得意げに胸を張っている。なんだというのだ。



 久しぶりに町で食料を買い込んだ。

 以前より物の値段が上がっている。

 僕がそれを指摘すると、チュアが暗い顔をしてしまった。

「王政の混乱が影響しているのです。税は下がったはずなのですが、貴族たちがまだ新しい王に馴染んでいなくて……」

 減税で収入を減らされると勘違いした貴族の一部が、自領の産物の値段を吊り上げているという。

「そうか。大変だな」

 僕は完全に他人事だと思ったので、感想を述べるに留めた。

「私や王族を責めたりはしないのですか」

 チュアが僕を見上げる。暗い顔だ。そういう顔はあまり見たくない。

「今の話を聞く限り、悪いのは勘違いしている貴族とやらだろう。貴族を御せない城の中枢に責任はあるかもしれんが、チュアは全く悪くない。責める理由などない」

「そうですか……」

 チュアはまだ納得していない様子だ。

「そもそもチュアは除籍されたのだろう? 今ここで罪悪感を持つ必要はない。もし本当にチュアの責任でよくないことが起きたり……悪いことをしていたら、僕がちゃんと叱る」

 僕の言葉をじっと聞いていたチュアは、僕が話し終えるとぱっと顔を上げて、笑顔を見せた。

「是非そうしてください」

 どこにチュアを笑顔にさせる要素があったのか分からない。

 チュアは僕の手を握って引き、次の店へ入った。



 買い物を終えた後、町を少し散策した。

「本当に水と果物以外、口にしていなかったのですか」

「ああ。腹も減らなかったしな。キュウの気持ちが少しわかったよ」

 他愛も無い話をしながら歩いていたら、遠くが騒がしいことに気づいた。

 盗んだ盗んでないという話をしているのが、ここまで聞こえてきた。

「なんでしょう。物騒ですね」

 チュアが僕の袖を掴んで身を寄せる。

 チュアを怖がらせるものは、できるだけ排除したい。

 魔法で視力と聴力を上げて、騒ぎの中心に神経を集中させた。


「盗んでないっ! これは正当な取り分だ!」

「そんなわけあるか、この紋章が入ったものは正規取り扱い商人でないと売買できねぇんだぞ!」

 物を売ろうとしていた声に聞き覚えがある。

「ちっ、ここでも駄目か……」

「あっ、待ちやがれ! 誰か! 警備兵を呼んでくれ!」


 声の主は、丁度目の前を走っていった。


 やっぱりカンクスだ。


 何か犯罪を犯した様子だから、足止めしたほうがいいだろう。

 僕はその場でカンクスに向けて、指を軽く弾いた。

 魔法とは呼べない、只の魔力の小さな塊が、カンクスの身体にぶつかる。

「ぐぼっ!?」

 カンクスは重い鈍器に殴られたかのように、横に吹っ飛んだ。

 そういえば微調整の練習してなかったな。


 倒れたカンクスに、店の主人や店員、それから警備兵達が駆け寄る。


 それが、僕がカンクスを見た最後になった。

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