14 賢者、語る

*****




 魔王を倒してから、三ヶ月が過ぎていたことに、チュアに言われて気がついた。

 まだそのくらいしか経ってないのかと、驚いた。


「もっとずっと前の出来事に思えるよ」


 この三ヶ月は今までの人生の中で、一番濃厚だった。


 森に籠もっていても普通に暮らせるのだから、もっと早く城を出ていればよかった。

 信頼できる人間がいることを知った。

 食事のことがこんなに好きになるとは思わなかった。


 人間不信になり、殺されかけたからこそ、気づけたのかもしれない。

 そう考えれば、以前の生活も無駄じゃなかったかな。


 ……そんなことをつらつらと、食事の後のお茶の時間に考えていた。

「エレル様、眠いのですか?」

「起きてるよ。眠そうに見えたか」

「目を閉じていらっしゃいましたので」

「そうか、無意識だった」

 目を閉じるなんて無防備な姿を晒せるのは、人間だとチュアの前だけだ。


「魔王とはどんな姿でしたか?」

 不意の質問だった。僕は驚きを顔に浮かべていたのだと思う。

「すみません、不躾でした」

「構わない。誰にも聞かれたことがなかったから、少し驚いた」

「誰にも? 国王陛下や宰相、大臣たちにもですか?」

「ああ」

 そういえば、あいつらは何をもって僕たちが間違いなく魔王を討伐したとわかったのだろう。

 僕たちに付かず離れず、見張るようについていた兵士たちですら、魔王の根城の中までは入ってこなかった。

 魔王をほぼ一人で討伐した僕は流石に疲れていたから、メリヴィラが手柄をまるごと掻っ攫うような伝令を飛ばしたことも、後から知ったことだ。

 伝令、伝令を聞いた兵士、重役、国王……。誰一人として魔王討伐の一報を微塵も疑わなかったのは、何故だ。

 ……これは、考えて答えが出たところで、僕には益も不利益も無いな。

「魔王は……大きかった」

「大きかった、ですか。どのくらいでしょう」

「僕より大きかったな」

 チュアが、かくん、と首を横に傾けた。

「失礼ながら、エレル様より大きいとなると、私もそうなのですが」

「ああ、そうか。ええっと……この家より大きかったかな」

「! それは、大きいですね。体つきはどのような?」

「顔は人間と同じように目と口と鼻があって……タレ目かツリ目か? 顔の造作なんてよく覚えてない。耳は長くて尖っていた。それと頭に角が何本も生えていて……」

 身体の色、体毛や人間にない部位の有無などを聞かれて答えていくと、チュアがいつのまにか手にしていた紙とペンに、何かをさらさらと描きあげた。


「お話をまとめると、このような姿になったのですが、いかがですか?」

「ああ、これだ。よく似てる」


 そこには、頭には角、口には巨大な牙、尖った耳、六本の腕、背に三対の翼のようなものが付いた、僕の十倍は大きな黒い人型の魔獣が描かれていた。


「こんな恐ろしげなものと対峙したのですね」

「チュアはこれが怖いのか」

「はい。目の前に現れたら、失神してしまいそうです」

「こいつはもういない。安心しろ」

「はい。……ふふふ、エレル様はやはり、賢者様でしたね」

「ん? あれ?」

 魔王の下りから普通に会話していたが、僕はまだチュアに僕が魔王討伐へ向かった一人だと話していない。

「黙っていて悪かった。チュアがロージアンの王女だから警戒していたんだ」

「いいえ、エレル様がそうなさるのも無理はありません」

 チュアは寂しそうに微笑んだ。

「エレル様の仰るとおり、第一討伐隊の目的が『様子見』ならば、エレル様たちには申し訳ないことをしました」

 そう言って頭を下げようとするチュアを止めた。

「止せ。チュアは関わっていないじゃないか」

「勇者選定の儀は見守っておりました。それに、エレル様のことを存じ上げないというのは、王族として怠慢です」

「どれもこれも、チュアのせいじゃないだろう」

 チュアが落ち込んでいると、何故か僕の胸の奥がざわざわする。

 いつものように、なんでもないのにニコニコ笑っていて欲しい。

「ありがとうございます。エレル様、旅の話をしていただけませんか?」

「興味あるのか」

「はい。それと、真実を知りたいのです」

「わかった」


 僕は魔王討伐隊としての旅の一部始終を、チュアに語って聞かせた。チュアの足元ではキュウも耳をそばだてていた。



「……勇者許すまじ」

 聞き終わったチュアは、今まで聞いたことのないほど低い声で唸った。

「勇者だけでなく、弓士も、治療師も……何が聖弓に神官ですか。勇者との婚姻が嫌で城を飛び出しましたが、一旦帰る必要がありそうですね」

「待ってくれチュア。僕はもうあの城や他の連中と関わりたくないんだ」

「でも」

「ここでの生活は気に入ってる。何一つ不自由してない。僕は魔法が手にあるのだから、はじめから逃げていれば良かった。逃げるという手段に気づかなかった僕の落ち度だ」

「エレル様は悪くありません!」

「お、おう」

 チュアのいつにない剣幕に、僕は圧倒された。

「エレル様ほどの『賢者』が、王城で虐げられ、勇者たちに小間使い扱いされていたことが許せないのですっ! 何より魔力持ちの保護育成は国の仕事! それを監督もせず放置しておいて、何が魔王討伐ですか!」

「落ち着け、チュア。キュウの尻尾を踏んでいる」

「端っこだから平気っすけど、落ち着いてほしいのは同意っす」

 チュアのふかふかした尻尾は、九割五分が毛でできている。毛の先を踏んだり切られたりしても問題なさそうだが、体の一部を踏まれていること自体が良くない。

「ごめんなさい、キュウさん。エレル様も、一人で騒いで申し訳ありませんでした」

 我に返ったチュアは僕とキュウに謝ってくれた。

「いいよ。僕のために誰かが怒ってくれるなんて、始めてだから新鮮だ」

「エレル様……」

 チュアがまた悲しそうな顔になってしまった。

「夕食に使う茸が足りないと言っていたな。採ってくる」

「私が」

「いや、このところ家の近くにも魔獣がよく出る。討伐がてら僕が行く」

「おいらも行く!」

「わかりました。お気をつけて」




 魔王を討伐してから、魔獣は数を減らした上、軒並み弱体化した。

 ……というのはどうやら、人里周辺に限ってのことだ。

 森の奥である家から更に奥へ、人里から離れると、魔王討伐の旅で倒したような大型の魔獣がよく出る。


 僕より大きい、違った、僕の三倍はある大きさの、二足歩行のトカゲのような魔獣から、出会い頭に火を吐かれた。

「森を燃やすな」

 トカゲに手のひらを向けて氷結魔法を放つと、トカゲは一瞬で炎ごと凍りついた。

「相変わらず凄いっす」

 カチカチになったトカゲの足を、キュウが前足でてしてしと叩く。

「念のため粉々にするから、離れてろ」

 凍りついたトカゲは即死しているはずだが、念には念を入れておく。

 手のひらから今度は魔力を無数の弾丸にして飛ばし、トカゲ氷を砕いた。

 更に火炎魔法で粉々になったトカゲを焼き尽くして討伐完了だ。


「お疲れ様っす。茸こっちにあるっすよ」

「でかした」

 僕が魔獣を討伐している間に、キュウは茸を探しておいてくれた。ものを食べないのに食べ物の匂いは解るらしい。便利だ。

「あ、待てキュウ」

「はい?」

 僕はキュウが跳ねていこうとした先に、光擊魔法を放つ。

「ギャッ」

 耳障りな鳴き声の後、ドサリとなにかが落ちた。

 なにか、と言っても魔獣だが。

「なっ、何がいたっすか!?」

「悪霊系は臭いでわからないのか」

 悪霊系の魔獣は半透明な人型という姿をしているせいか、死した人間の思念が凝り固まって発生したのではないかと言われていた。事実は単純に、そういう姿をしている只の魔獣だ。

「悪霊!? 嫌っす! お化け怖いっす!!」

 妙なところでキュウの弱点を知ってしまった。

「もう倒したから消えている。それに『悪霊』なんて言ったが、魔獣は魔獣だぞ」

「怖いもんは怖いっす!」

 これは重症だ。


 キュウは以外と強い。先程のトカゲのような大型の魔獣は倒せないが、そこらの魔獣だったら一蹴できる。

 攻撃方法は飛びかかって噛みつくのみ。その噛みつきが確実に急所を狙う。

 そして手に負えないほど強い魔獣を見つけたら、臭いで察知して逃げることもできる。


 しかし、悪霊系は苦手なようだ。そもそも物理攻撃の通りづらい相手だから、対策をしたほうが良さそうだ。

「キュウ、そこでじっとしてろ。首輪に魔法を掛けるぞ」

「え、何の魔法っすか?」

「悪霊系の魔獣は独特な気配がある。それを察知できるようにする魔法だ。……これでいい。もし首輪が震えたら、逃げろ」

「わかりましたっす!」

 キュウの返事は威勢がよかった。

「よし。茸も採れたし、帰るか」

「はいっす!」


 家の近くの茸はだいぶ採ってしまったので、かなり奥まで入り込んでしまった。

「転移魔法を使う」

「はいっす」

 僕が一言告げると、キュウはさっと僕の足元へやってきて、前足で僕の右足に触れた。

 キュウの前足の感触を確かめて、転移魔法を発動させた。



「おかえりなさいませ」

 家に戻ると、チュアが出迎えてくれた。

 いい匂いがする。

「戻った。もう料理しているのか?」

「煮込み料理の作り置きをしようと思いまして」

「作り置き」

「たくさん作っておいて保存して、食事を一品増やす術です」

「エレルさま、我慢できるかな」

「たくさん作ったので大丈夫……だと思います」

「僕だって我慢くらいできる、と思う」

 チュアの料理を前にすると、理性が飛ぶとかではなく、とにかく美味しくて大量に食べてしまう僕だ。

 キュウの言葉に僕とチュアは言い返せないと悟り、誰からともなく笑い始めた。

「一度に大量に食べては勿体ないからな」

「また作ればいいのですから、遠慮しなくとも」

「あまり僕を甘やかすなよ。食事量は、減らすよう努力する」

「このくらい、甘やかしには入りませんよ。でも、努力したいと仰るなら、止めません」


 僕は最大限努力した結果、チュアの「作り置き料理」を半分まで食べたところで止めた。

「美味しくなかったですか?」

 せっかく自制したのに、チュアに心配された。

「四分の三はなくなると思ってましたから」

 僕の反論にチュアはこう答えて、楽しそうに笑った。

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