13 勇者、放置される

*****




 ロージアン国の王城の一室で、男が一人、部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。

 男はロージアン国王である。

「陛下、予算の件ですが」

 部屋へ入ってきた別の男が国王にそう告げると、国王は男を真っ赤に血走った眼で睨みつけ、叫んだ。

「宰相に回せっ! 余のところへはチュアが見つかったという知らせ以外、持ってくるでないと言っておるであろう!」

 国王が癇癪を起こした子供のように腕を振り回すと、棚の上の壺に当たり、派手な音を立てて割れた。

「申し訳ありません。ですがこの件は、宰相からでございます」

「何っ!」

 仕事を回している先が、突き返してきたのである。


 国王の仕事を下々の者が肩代わりすることは珍しくない。

 しかし、国王がやるべき全ての仕事を周囲に押し付けている今は異常事態だ。

 そんな異常事態を作り出している本人も、国のナンバー2、宰相から仕事を返されたのであっては、働かざるをえない、はずであった。


「もう一度宰相へ持っていけ! 何度も言わせるな! 今はチュアが見つかったという知らせ以外持ってくるなっ!」


 ここまで来ると国で一番の立派な駄々っ子である。


 国王は第三王女のチュアを溺愛していた。

 メリヴィラは国王が第三王女を溺愛していることを知っていたからこそ、報酬に望んだのだ。

 ――いちばん大事なものを差し出してでも、自分に魔王を任せられるのか。

 メリヴィラの表向きの意図はこうであった。


 国王も、メリヴィラが勇者選定の場で卑劣な手段を使っていたことは承知している。

 エレルの予想通り、第一陣は様子見部隊であった。

 だからこそ、国王は一番勇者にふさわしくないメリヴィラを選び、報酬で釣ったのだ。


 国王にとっての誤算は、エレルだ。

 後で調べて判明したのだが、エレルにつけていた教育係の魔道士は、エレルの魔法の才を理解していた。

 教育係は指導役として人を見る目はあったが、自分の利益しか考えない人物であった。

 エレルの才に気づいた教育係は「あいつが台頭すれば仕事や立場を失う」等と魔法研究員たちを唆し、あるいは買収して、エレルの魔法レベル「1」という結果を作り上げた。

 ちなみに正しく測定されていても、エレルの魔法レベルは「1」または「0」と出ていた。どちらにせよ測定不能という意味である。


 教育係の魔道士は「魔王討伐成功の責任」を取らされ、一生を新魔法や新魔法薬の実験対象にされる刑に処された。



 かくして、様子見の捨て駒部隊が魔王討伐を達成し、本当に魔王を倒したはずの賢者は姿を隠し、残った三人は揃って無能の屑で、愛する娘まで失ったのが、現在のロージアン国王なのである。




「陛下にも困ったものだ。して、第三王女殿下の調査は進んだのか?」

 宰相の部屋では、国王に仕事を押し付けきれなかった宰相付きの秘書が、事の次第を報告していた。

「それが一向に。しかし、賢者の方はひとつ気になることが」

「ほう」


 王城から三日の距離にある町に時折、魔法薬売りが現れることは、人々の噂になっていた。

 売り子の男はある時期から別人になってしまったが、代わる前は大層な美丈夫で、魔法薬は必要なさそうな女ばかりが高値で買っていたという。

 魔法薬の方は大変良い出来で、傷薬は古傷までまとめて治り、魔力回復薬はひと口飲めば全快するため数回は使用可能、状態異常回復薬は石化した人間に少量振りかけるだけで回復させられたという。

 更に、薬の入った小瓶は中身が無くなると消滅することから、魔力で作られたものだと判明している。


「そいつの行方は」

「森の方へ帰っていく姿を何人かが目撃し、後を追ったものもいましたが、追いきれず」

「ふむ、賢者の称号を授かったほどだ、そう簡単に捕まらぬか」

「それが、薬売りの家まで行ったものが何人か」

「ほう?」


 町近くの森を猟場にする狩人達が、魔法薬売りと人相の似た男に、狩った獣の一部を貢いでいるという。


「獣を貢ぐ?」

「なんでも、森にいつのまにか道が敷かれておりまして。それをやったのが魔法薬売りだと」

「森に道を?」

「一本や二本ではなく、遊技盤の目のようにいくつも」

「それ賢者の仕業じゃね?」

「私もそう思います」

 思わず軽い口調になってしまった宰相に、秘書も乗ってしまった。

「あのクソ魔道士、見る目だけはあったのになぁ」

 クソ魔道士――エレルの教育係だった魔道士は先日、状態異常回復薬の効き目を確かめるために石化させられた。薬の効き目が良すぎて後遺症もなく石化は解けた。

 それよりも、賢者エレルのことである。

 膨大な魔力と学ばずとも身に宿していた魔法、それらを人知を超えた構築速度で詠唱もなしに行使する才能。

 森の中へ道を敷くという大工事を一人で行えるのは、世界広しと言えど賢者だけだろう。

「既に向かわせているのだろうな」

「はい。三日後には全て詳らかになるでしょう」

 これを聞いた宰相は、肩がわずかに軽くなった心地がした。




*****




 メリヴィラがそうとは知らずにエレルの旧宅に勝手に住み着きはじめて三日後、朝早くに扉をガンガンと叩く音がして、強制的に目覚めさせられた。

「何事だぁ?」

 寝ぼけ眼のメリヴィラとは反対に、ルメティは顔を暗くする。

「住人が帰ってきたんじゃない?」

 その言葉に、メリヴィラも覚醒する。

「さ、作戦通り『放棄された家だと思いこんでいた』でやり過ごすぞ」

「それしかないわよね。はぁ、もう少しゆっくりしたかったのに」

 この家はお世辞にも住心地が良いとはいえなかった。

 エレルの魔法と魔力の供給があってこそ快適な住まいだったのだ。

 とはいえ、野営とは雲泥の差であり、ベッドも寝心地が良い。


 こんな森の奥に住んでいる人間ならば、殺しても足がつかないのでは?


 ルメティは物騒な考えすら持ち始めていた。


 考えている間も、扉を叩く音は続いている。

 家の周りを数人が移動している気配もする。

 二人は仕方なく、簡単に身繕いを済ませて、入口の扉を開けた。


「ここに賢……お、お前は!」

「んあっ!? し、城の兵士が今更何の用だ!」


 扉を叩いていたのは、王城から派遣された兵士たちだった。

 兵士たちからすれば、ここには賢者エレルが住んでいると聞かされてきた。

 勇者が出てくるとは思わなかったため、兵士は返事に窮した。

「我々は人を探している。それは貴方がたではない。ここには別の人物が住んでいたはずだが?」

「し、知らん! 俺たちがここへ来た時は……あ、空き家だったんだ。だからその、か、借りている!」

 メリヴィラの発言は支離滅裂だったが、兵士たちは「なるほどお前ら勝手に住んでるんだな」と理解した。

「空き家だったから借りているとは不思議なことを仰る。貴方がたに用はありません。ここの住人がどこへ行ったのか、知らないというわけですね?」

「ああ、そうだ。知らん知らん!」

 兵士たちは開き直ったメリヴィラから少し距離を取り、額を寄せ合った。

「どうする?」

「どうもこうも。勇者に関しては特に何も聞いていないからな」

「大方、町に住めなくなってここへ流れ着いたのだろう」

「じゃあ放置でいいか」

「いや、宰相にはお伝えするべきだろう。ここに見張りも必要だ。前の住人が帰ってくるかもしれん」

「確かに」


 今後のことを簡単に決めた兵士たちは、メリヴィラに「お邪魔しました」と一言だけ言い、立ち去った。

 無論、見張りは、家から絶妙に見えない位置に残った。



「何だったんだ……騒ぐだけ騒いで、迷惑な」

 他人の家に無断侵入どころか勝手に住みついている勇者が言っていい台詞ではない。

「ねえ、それより、気になるんだけど」

 ルメティは気づいていた。

「何がだ?」

「あの兵士、最初に『賢者』って言おうとしてたわ。もしかして、ここに住んでたのって……」

「エレルだっていうのか?」

「有り得なくはないんじゃない? あいつ、野営させても雨露に濡れたり過剰に汚れたりしなかった。ずっと不思議に思ってたのよ。こういう家を魔法で調達できたから、って考えたら辻褄が合うわ」

 ルメティの言うことはほぼ当たっていた。

「じゃあ、どうしてここは空き家だったんだ?」

「兵士が来るのを予見して逃げた、とか?」

「逃げる必要あるか? むしろ、俺たちに殺されかけたことを……」

 メリヴィラはメリヴィラで、自分たちが何をしてきたかを自分で言葉にして、さっと青褪めた。

「ここで生きてたのに、城へ来なかったのだから、私たちのことを密告するつもりはないのよ。どうしてかはわからないけど」

「だったら好都合だな。この家は俺たちが貰っておこう。仲間のものは俺のものだ」

 どこかのガキ大将みたいなことを言い出したメリヴィラは、ガハハと下品な笑い声を上げながら、寝室へ戻っていった。二度寝するのである。

「能天気なんだから……。私ももう少し寝ようっと」

 ルメティが寝室へ入り、後ろ手に扉を閉めると、ボキリと何かが折れた。

「何の音? あっ!」

 ルメティは手に、扉のドアノブを握っていた。

 本来なら扉に付いていて、外れてはいけない部品である。

「うそ、折れちゃったの!? エレルの奴、もっとしっかり作りなさいよねっ!」

 ドアノブを乱暴に床へ投げ捨てると、ルメティは扉を叩いた。

「メリヴィラ! 来て! 助けて!」

 しばらくして、扉の向こうから眠たそうな声がした。

「なんだよ、今度は何があった?」

「こっちのドアノブが取れちゃったの。そっちから扉を開けてくれる?」

「ええー? 脆い扉だなぁ。ちゃんとやってくれよ、エレル」

 何故か二人は揃ってエレルに文句を言うと、メリヴィラが廊下側からドアノブを回した。

 再び、ボキリと折れる音がする。

「……えっ、まさか」

「壊れた」

「ちょっ、どうするのよ、これ。この部屋、窓がないわ」

「扉を壊すしかないな」

「仕方ないわね。やってちょうだい」

「俺がやるのかよ」

「非力な私にやれと?」

「しょうがないか。どいてろよ。……ふんっ!」

 メリヴィラが扉に向かって思い切り体当たりすると、扉は蝶番を弾き飛ばしながら外れた。

「ああ、よかった。密室に閉じ込められたって理解すると、何故か急に催してくるのよね……」

「なんだそりゃ。……ん?」

 家中から、ミシミシ、ペキペキ、と家鳴りのような音がしはじめ、それは徐々に大きくなっていった。

「何? この音」

「ルメティ、危ない!」

「きゃっ!」

 天井の梁が落ちてくる寸前で、ルメティはメリヴィラに突き飛ばされた。

「扉壊しただけで、こんなことになるか!?」

「ねえ、なんだか危険だわ、出ましょう!」

「ああ!」


 メリヴィラ達が慌てて家の外に出ると、家は二人の目の前で崩壊し、ぺしゃんこになった。

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