06 賢者、金策する

 チュアは一国の王女とは思えないほど、生活力が高かった。


 身支度はひとりでできるし、家事も僕が魔法を使ったのと同じくらいの丁寧さでやり遂げる。

 朝起きて、家中が既に掃除されているのを見た時は、チュアも魔法使いかと疑った。

「全部手作業でやったのか……。掃除と洗濯は僕が魔法を使ったほうが早いから任せておけ。お前は料理に専念してくれ」

「そうですか。ではお言葉に甘えて。ところで、エレル様。髪の毛を整えませんか?」

「髪?」

 不気味な色だと蔑まれるネタにされてきた僕の黒髪だが、チュアは出会ってから一度も、僕の髪のことを話題にしなかった。

 邪魔になれば魔法で適当に切る程度で、これまでちゃんと手入れなどしたことがない。

 料理中だけ、チュアに言われて紐でくくっている程度だ。

「はい。エレル様、折角綺麗な瞳なのですから、髪を上げてみましょう。さぁ、こちらへ」

「お、おい」

 チュアが何の躊躇いもなく、僕の手を掴んで引っ張る。

「お前、王女だろう。前々から言おうと思ってたんだが、婚約者でもない男に触れてもいいのか」

 しかも僕は貧民出身である。王族の方から触れるなんて、普通はあり得ない。

「私はもう王女ではありません。城を抜け出した時に『勘当してください』と置き手紙してきましたからね」

「初耳だぞ」

「聞かれませんでしたから。私も忘れてました」

 話している間に、僕は外へ出ていた。

 扉から少し離れた場所の切り株の上に座るよう指示されたので、大人しく従った。


「エレル様、鋏をお願いします」

 僕が「魔法で大抵のものは作れる」と言っておいたので、チュアは必要に応じて僕に魔法を頼んでくる。

 これからおそらく髪を切られるだろうから、なるべく切れ味の良い鋏を作ってチュアに手渡した。

「ありがとうございます。すぐ済みますので、しばらく動かないでくださいね」

 僕の首から下に、シーツがふわりと巻き付けられる。

「わかった」


 チュアの言葉通り、ものの五分ほどで僕の散髪は終わった。

「エレル様、手鏡をお願いします」

「ん」

 作った手鏡を渡そうとしたら、「ご自分で御覧ください」と言われた。

 鏡なんて、もう何年も見ていない。

 そこに写っていたのは、不気味な黒い髪に、魔獣を思わせる金色の眼をした、十歳くらいの男の姿だった。

「頭が軽くなった。視界もいいな。ありがとう、チュア」

 自分の見た目に興味はないが、髪を整えてくれたチュアに礼を言った。

「! いえ、どういたしまして」

 チュアは感情の起伏が大きくて、大抵の場合ニコニコしている。

 しかし、礼を言った後のチュアは、いつにもまして笑顔だ。

「どうした?」

 地面に散らばる僕の髪を魔法で消しながら、理由を尋ねてみた。

「はじめて、名前を呼んで頂けました」

「そうだったか」

 言われて初めて気づいた。名前を言い当てた時に、言ったきりだ。

「それは悪かったな。他人を呼ぶことなんて、あまり無かったから」

 それどころか、必要があって名前を呼んだだけなのに「穢らわしい」などと言われることのほうが多かった。

「いいえ。……城では、第三王女殿下、としか呼ばれませんでしたから。新鮮です」

 チュアもチュアで、苦労していたようだ。


「昼飯は何を作る? 手伝うことはあるか?」

「お昼は野草のサラダと、鹿肉をソテーにしましょうか。パンがあればサンドイッチを作れるのですが」

「サンドイッチ」

「食べたことは?」

「ある」

 チュアには、僕のこれまでのことを軽く伝えてある。

 まともな食事を摂ることが難しかったことも。

 サンドイッチなる料理は一応知っている。城の厨房で腐りかけの具をカビたパンに挟んだものを渡されたので、魔法で腐りとカビを取り除いたら味まで消えてしまって、布を齧っているような味だった。

「だが、そうだな。そろそろパンが食べたいな」

 パンは森で採ることができない。

 食べ物に好き嫌いを言える立場ではなかったから、パンに特別な思い入れは無いつもりだったが、いざ食べられない、あれば美味しいものが食べられそうだと解ると、途端に恋しくなった。

「パンは確か、小麦から作るのだったな。パン自体は作れるのか?」

「はい。しかし、小麦となると、エレル様の魔法で土地は確保できそうですが……。二人分の食事を賄うには、かなりの広さの土地が必要になりますよ」

「森で育てるのは難しいか。うーん……」

 小麦を求めるなら、人里へ出るのが手っ取り早い。

 城から逃げてきたチュアに行かせるわけにはいかないし、キュウにも任せられない。

「僕が行くしかないか」

「よろしいのですか?」

「背に腹は代えられないというやつだ。まずは金を作るためのものを作らないとな」


 金を魔法で作れないこともないが、魔法で作った金はいくら精密に作っても、所詮魔力の塊だ。少し調べれば贋金だとすぐにバレる。

 森で静かに暮らしたいのに、わざわざ厄介事の種を作ることはないだろう。

 ここは真っ当に稼ごう。


 魔王討伐の旅の途中、僕が作った治療薬をメリヴィラが勝手に持ち出しては換金していたのを知っている。

 たっぷりもらっていた上に僕の分の路銀を巻き上げても足りなかったのだろう。何に使っていたんだ、あの連中は。


 昼食のあと、早速魔法薬作りに着手した。

 魔法で小瓶を幾つか作り出し、食料調達のついでに摘んでおいた薬草を数種類、魔法で液体にして混ぜ合わせ、水で薄めて小瓶に詰めた。

「これが傷薬、こっちは状態異常回復薬、これは魔力回復薬だ」

「素晴らしい手際ですね」

 何度も作っているから、試飲の必要はないだろう。


 さて売りに行くかという段になって、チュアに止められた。

「エレル様、魔法で服は作れませんか?」

「服? この格好じゃ拙いのか」

 僕は自分の姿に興味がない。服はずっと、メリヴィラたちに暗殺されかけた夜に着ていた簡素なローブのままだ。

 数日おきに洗ってはいるが、あちこちほつれ、穴の開いている部分もある。

 服に頼らずとも周囲の気温くらい魔法で変えられるから、特に問題なかった。

「商人は身奇麗な方が信用されやすいですよ。例えば……エレル様、紙とペンをお願いします」

 チュアは机に置いた紙に、ペンでさらさらと絵を描いた。

「上手いもんだな」

 ちなみに僕は絵を描くのが苦手だったりする。

「ありがとうございます。……こんなのはどうですか?」

「チュアがこれでいいと言うなら、これにする。色はどうしたらいい?」

「上のシャツは白で、上着と下は暗い色がいいですね」

「ふむ。……信用か。それなら、今の姿より、大人の方がいいか」


 描かれた通りの服を、魔法で自分に着せた。

 白いシャツに、前開きの袖のない上着。下は長い腰巻きとゆったりとしたズボンだ。髪色を隠すために、頭には布を巻いた。

「どうだ? チュア? どうした?」

 チュアが目を大きく見開いて僕を見つめている。周囲の湿度を上げてやった。

「エレル様、その、お姿は?」

「薬を売るなら大人の方が信用されやすいかと思ってな。少し見た目を変えただけだ」

 僕の素の姿は十歳くらいの子供に見えるが、魔法を使えば簡単に大人の姿になることもできる。

 これまで歳と姿が合っていないと言われ続けてもやらなかった理由は一つ。常時発動型の変身魔法は色々と制約があって面倒くさいからだ。

 キュウに変身魔法を掛けることもできるが、変身させても他の人と会話はできないのは変わらないから、物売りは無理だ。

「何か変だったか」

「いえっ! あの、きっと、魔法薬、飛ぶように売れますから、もっと準備したほうがよろしいかと」

「? そうか」

 言われるまま魔法薬を増産してから、最寄りの人里へ向かった。




 果たしてチュアの言った通り、魔法薬は飛ぶように売れた。

 町の隅で、魔法で作った机の上に薬を並べて立っていたら、次から次に客が寄ってくるのだ。

 傷薬はともかく、状態異常回復薬や魔力回復薬など必要なさそうな女にばかり売れたのが気にかかったが、とにかく金は手に入った。


 金を持って市場へ向かう途中で、小麦の相場を知らないことに気づいた。

「チュアに聞いておけばよかっ……ははは」

 久しぶりに声を出して笑った。

 僕はいつの間にか、チュアに全幅の信頼を寄せている。

 美味い飯を作ってくれるなら他のことも間違いないと、髪も服も、チュアの言う通りにした。


 もう、チュアになら騙されても仕方ない。

 そんな風に思える自分に、自分が一番驚いた。



 買い物中も妙なことが起きた。

「小麦と、この紙に書いてあるものがあれば、くれ」

 パンを作るのに必要な材料や、森で得るのが難しい食材と調味料の一覧を、予めチュアに書いてもらってきた。

 粉を売っている店でこう言って紙を差し出したのだが、売り子の女がなかなか紙を見ない。

 僕の方ばかり見ている。

 何なら顔の色が少々赤い。病気かもしれない。

 多少の病気は魔法で蹴散らせるが、チュアやキュウに感染ってはいけない。

「無いならいい」

 僕が立ち去ろうとすると、売り子はようやく動いた。

「すみませんっ! すぐにご用意いたします!」

 売り子の顔色は赤いままだが、きびきびと動いているので具合が悪いわけではないようだ。

 そのまま少し待つと、紙に書いた量より一割から五割ほど多くの品を渡された。

「こんなに買えないぞ」

 魔法薬が全部売れたお陰で、金を入れた革袋はずっしりと重いが、僕は金銭感覚に疎い。

「お代は書いてあるのと同じ量の分だけで結構です! またお越しください!」

 店の値札を見て、紙に書いてある量の分だけ金を払った。よくわからなかったが、得した。

 無限鞄の応用で、腐敗防止機能を付けた食料用の倉庫をつくってある。

 大量の食材もそこに入れればいつでも新鮮だ。

 これだけあっても、倉庫に入れれば問題ないだろう。

「ああ。また来る」

「ありがとうございましたっ!」

 良い店のようだから、今後も食料はここで買おう。

 売り子の顔が終始赤いままだったのが気にかかるが、些細な問題だろう。




 家に戻り、人里で起きた出来事をチュアとキュウに話すと、チュアは「やっぱり」という顔をし、キュウは「ご主人さま、鈍感!」などと言い出した。

「まあ、いい。それで、これでパンが作れるんだな?」

「はい。今夜中に生地を作って寝かせておいて、明日の朝一番に焼きましょう」

「楽しみだ」

 また、自分から笑みがこぼれた。

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