第23話 桜の作戦

「どうしたんだ桜。何か思いついたのか?」

「怜司」


 怜司を呼び寄せながら桜は後ろに結っていた髪を解く。そして懐からかんざしを取り出して怜司に投げ渡した。


「私の髪をそれで結え」

「は!? 何で今!?」

「いいから黙ってやれ」


 意味の分からない指示に驚く怜司に向かって桜は有無を言わさなかった。桜は最初に悠司がリヴァイアサンの力を使ってギルドを壊滅させたときに、藤原悠司は桜に好意を抱いていた、と言っていたことを思い出していた。それに加えて自分が怜司にかんざしを結われたときに遠目に悠司が見てきていたときのことも思い出していた。あのときの悠司の様子は桜の目からは驚くほど生気が失われた表情に見えていた。


 ──もしかしたら、それが何かのきっかけだったのかもしれない。今更ながらに桜はそう考えた。悠司が怜司を襲ったのもちょうどその直後だったことを鑑みるに筋は通っている、と。


 我ながらあまりにも嫌な考えだな、と桜は思う。自分に好意を抱いているであろう人間を誘き寄せるために、その男が絶望したときの状況を再現するなど、下衆のすることだ。普段の桜ならば自身の矜持が絶対に許さない行動。しかし現状の桜には他に考えつく手立てがなかった。


 桜の指示どおりに怜司がかんざしで桜の髪を結おうとした瞬間、路地から汚泥が高速で飛来して2人の隣で合流。人の形を成して藤原悠司の肉体を形成した。形成された肉体は腕を伸ばしていてその手が怜司の手を掴んでいた。


(本当に、最低な女だな、私は)


 予想どおりの展開となったことに桜の心に自己嫌悪感がのしかかってきた。


「悠司!?」


 一方で、何故、悠司が現れたのか理解できていない怜司が驚きの声をあげる。怜司の手を掴んだままの悠司の脚が超加速度でもって駆動。高速の蹴りが桜の腹部に激突した。


「がっ!?」


 苦鳴をあげて桜が吹き飛ぶ。破壊された街の瓦礫に衝突して停止。怜司と蒼麻が驚きのまま桜を呼ぶ中で、何度か咳き込みながらも桜は立ち上がった。

 桜の背中には激痛が走っていた。それでも自身の身体が動くことに桜は安堵した。蒼麻の補助魔法を予め受けていなければ背骨に大きなダメージを負って動けなくなっていたところだ。頭部が瓦礫にぶつかったせいで目眩も起こしていたがそれでも倒れずにはいた。頭のどこかが切れたのか血が剣士の顔面を濡らすが桜に気にしている余裕はない。桜の双眸はしっかりと悠司を見据えていた。


 蹴り抜いた姿勢から悠司が脚を降ろす。憎悪に塗れた視線が桜を見抜く。


「本当に嫌な女だな、お前は」

「ああ。自分でもそう思っていたところだ」


 悠司の言葉に桜が自嘲めいた笑みを浮かべる。怜司と蒼麻には理解できない会話だったが、桜と悠司だけは互いの意図を完全に理解していた。

 桜は思う。自分と悠司はどこか似ている、と。それが彼をここまで追いかけてきた理由なのかもしれない。


「そっか。そういう手があったか。確かに嫌な女のすることかもね」


 蒼麻が遅れて桜の意図と、悠司が怜司を止めにきた理由を悟った。だが蒼麻の理解もまた一部分だけに過ぎなかった。惚れ込んだ女に別の男が馴れ馴れしくするのを止めにきた、ぐらいの理解しか蒼麻はできていなかった。蒼麻はとうの場面を知らないせいだ。

 1番最後に怜司が桜の真意に気がつき、ある考えが思い浮かんだ。その結論に怜司自身が驚愕した。


「まさか……これが原因、なのか?」


 手を掴まれたまま怜司が悠司に言う。それに対して悠司は嘲笑を浮かべた。


「きっかけは、な。だが全ての原因がお前にあると考えるのは自惚れが過ぎる」


 悠司が怜司の手を離す。それと同時に悠司の腕が上げられ超速度で振り下ろされて怜司に叩きつけられる。


「がぁっ!?」


 地面に激突させられた怜司が苦痛の叫び声をあげる。見下ろす悠司の瞳には愉悦が浮かんでいた。


「お前をこうやって引きずり倒すのは本当に気分がいいな。あのときの雪辱戦といこうか?」


 そう言って悠司が足を怜司の背中に乗せて少しずつ力を入れていく。鍛圧機械のように徐々に押しつぶされていく怜司の口から苦鳴が漏れる。


「ははは! あのときと違って今度は確実にお前を殺せるな!」


 哄笑をあげる悠司に向かって蒼麻が火炎弾の魔法を放つ。悠司の顔面に衝突して爆炎が発生。周囲に汚泥が飛び散って悠司の頭部が消失する。

 すぐに汚泥が悠司の身体を這い上がって首から先で球状となり頭部を形成。薄ら笑いを浮かべる悠司の顔となる。


「おいおい酷いな。殺す気か?」

「不死身だってのは本当みたいだね、悠司」


 蒼麻に驚きはない。リヴァイアサンが不死の存在であることは既に知られていることだった。

 悠司の身体が横に両断される。桜が高速で接近して刀を振り抜いていた。切先に従って血が滴り、やはりそれも汚泥と化す。斬られた悠司は液体のように切断面が元に戻っていた。


「物理攻撃も無駄か」

「でなければ一国が沈むことはない」


 悠司の身体の表面から漆黒の触手が突き出され高速の刺突が桜を強打。吹き飛ばされた桜の両足が地面を削りながら減速。何とか持ち堪えるが、女剣士の口元から血がこぼれ落ちる。


「血を流すお前も綺麗だが、今はこいつの相手が先だ」


 悠司の暗い双眸が足元の怜司に向けられる。漆黒よりなお暗い闇の色合いだった。

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