第五章 所詮、初戦? 否、当然挑戦

『第1回 GIRLS MC BATTLE !!! 調子はどうだーーー!!』


 マイク越しに司会の声が会場中をジャックする。

 3千人強の観客がすし詰めになり、闇と熱狂に支配されたフロア。初めて天鬼にあったクラブとまさしく桁違いの箱。そこに今日、少女たちが集う。

 客席の暗さと反比例してライトに照らされたステージには司会者が立ち、その奥にはリアルタイムでステージの様子を映し出す巨大なスクリーンが鎮座している。

 俺はそれを観客席から眺めていた。

 最強の女性MCを決める大会、教え子たちが数か月前に参戦を決意したその大会が、ついに開催されたのだ。

 彼女たちに俺ができる限りのことはした。いや、それどころか、余計なお節介さえしてしまった……。

 だから後はもう見守るだけだ。それしか、それくらいしか俺にはもう出来ることなんてない。

 俺はほぼほぼ最後列から、我儘で才能にあふれた一人の少女と、不遜なくせに大真面目なその親友、あとはついでに下ネタ大好き娘の善戦、それだけを祈る。

 あの子たちなら、割と悪くないところまでいけるはずだ。今のシーンがどれほどのものなかはわからないが、優勝だって狙えるかもしれない。――なんてこれは、わが子可愛さだろうか。

 わからない。だが、その答えはもう数時間で決する。

 ああ、なんてことを考えている間に、司会による前説が終わり、もう一回戦が始まろうとしている。

『一回戦! 第一試合! 最初のヒロインは、コイツだ!』

 照明が暗転し、メインスクリーンにMCの紹介ムービーが映し出される。まるでプロレスのように。

『ディスることが生きがい。彼女になぜラップをするかと聞けば、必ずそう返ってくるだろう。若き少女の胸の内に秘められているのは、最恐の毒牙。対面した愚者を悉く焼き尽くす蒼い焔が、今日も冷たい火柱を立てる。――新生代のサディスト、ZAKUROー!!!』

「いや、いきなりお前かよ!」

 対戦表を知らなかったので、思わず声にだしてしまった。ていうかあいつのヘッズからのイメージってそういう感じなのか。やっぱりディス主体のスタイルっていう認知なんだな……。個人的には思うところがあるが、もうそれについては考えない方がいいのかもしれない。

「「「ZAKURO~~!!!」」」」

 だって、そのアナウンスとともに舞台に現れた彼女には割れんばかりの歓声があがっている。それは喜ばしいことだから。

 目を灼く様なライトに照らされたよく見知ったマイペースな少女。あの子は緊張などきっと知らないのだろう。ゆらりゆらりといつも通りにゆっくりと、ステージを闊歩している。

「いえーい」

 気の抜けた声を上げて片手を上げたりなんてしながら。

 最後列から見ても、彼女の闘志と青いインナーカラーは美しかった。

 そしてZAKUROがステージ中央までやってくると、今度は対戦相手の紹介口上が流れ始める。

『対するヒロインは、コイツだ!!』

『今や日は陰り、かつて大空を縦横無尽に羽ばたいた怪鳥は消え去った。されどここにいま、再び雲を裂き、その頂に君臨しようとせん少女が一人。彼女こそは、マジで最低な遺伝子を引継ぎし、次世代の風雲児! 予測不能の曰くつきシスター、Dummy-Sky!!!』

 は――?

 思考が停止する。

 Dummy-Sky? 誰だそれはと思う間は一瞬だった。やたらおかしな紹介の仕方だなと思ったのも。

 その意味深なアナウンスの意味は、すぐに理解できた。

 だって、ステージに現れたのは──。

「え、どういうこと?」「だれ……?」「服やば」「なあ、もしかして」「たしかAir-Zって妹が……」「え、なんかめっちゃかわいくない? あの子!」

 ざわついている。会場が、歓声ではなく、困惑で。

 そしてそれをさらに加速させる一言を、その少女はマイクをハウらせながら叫んだ。

「……こここっ、きょ! きょんじぁ!!!! えっえっ、えっ、えあっ!」

「はあ?」「なんて?」「どした?」「大丈夫かあいつ……」そんな様な声が客席をどよめかせる。

 なんてことだ……。見ているだけで、死にそうになってくる。

 ……だってあれ、天だよ? うちの妹だよ?

 天使の様に美しいスノーホワイトの髪と肌。遠目でもはっきりとわかる整った目鼻立ち。甘い目ととろけたような口元。そして洋服はどういうわけかメイド服……。

 いや、待ってくれこれは夢なのか。状況の把握ができない。どうして天がここに?

 というかどうして外に? 外出なんてここ何年もしていなのに、俺に黙って一人で外に出たっていうのか。天が? まじかよ。しかもこんな人の大勢いるところに立つなんて……。何考えて……。

「おっ、おっ、おお……、あぎゃっ!!」

 うわー、やっぱり天だ。しゃべるのに苦戦してるだけかと思ったら、とうとう転んだ……。

 ドン! というクソデカいマイクの音がして観客全員が顔をしかめる。

 いよいよ見かねたのか、最初は彼女をとりあえず放っておこうとしていたらしい司会がようやく口を開いた。

『え、え~と、私の方から軽くご紹介を。Dummy-Skyは、あのAir-Zの妹さんだそうです。最近ラップを始めたとのことで、病欠になっちゃったeye/shadowのリザーバーとして今回急遽参戦してくれました! ありがとね! みんな拍手!』

 それを聞いて、再び会場はどよめきつつも、期待と戸惑いの入り混じった拍手が響く。

 そして対するZAKUROはマイクにのっていないからわかないが、たぶん「まじ!? え! インスタ交換して」みたいなことをいきなり天に向かって言ったみたいだ。天はいきなりすごい距離まで近づいてきたZAKUROにメチャクチャビビっているらしく、観客席からでもわかるくらい震えている。いや、ステージ上でなにしてんだよ二人とも。

『あーはい、そういうのは裏でやってくださ~い』

「え~」

「ごごごごごめんなしゃい……死にます……」

『反応が両極端すぎるw まあともかくそういうわけで1回戦の対戦カードはこうなりました。どんな勝負になるのか楽しみです!』

「うえーい」

『うん、ZAKUROは相変わらずだね。では改めてルールの説明をさせていただきます。ルールは8小節2ターンで1本先取した方の勝ち。先行後攻はジャンケンで勝った方が選択できます』

 両者がうなずく。

『はい。ではさっそくやっていきたいんですが、その前に会場のお客さん準備はいいですかっ!?』

「「Yeah!!!!!」」

『はいありがとうございます! 勝敗のジャッジは皆さんの声の大きさで決めますので盛り上がっていきましょう!』

『それでは第1回戦のビート、DJ阿賀良瀬(あがらせ)お願いします!』

 そう言って司会者が指さした先にはターンテーブルとDJ。彼女は早速デュクデュクデュクデュク、そんなスクラッチ音と共に開幕から最高のビートを奏で始めた。

 選曲されたのは【girlish GAL】。ポップながらもアゲアゲでノレるフィメールラッパー【kururun a.k.a にゃんにゃん】の名盤。女性MCナンバーワンを決めるこの大会の最初を盛り上げるのにぴったりの選曲だろう。

 会場も開幕からノリに乗っている。もちろん、ZAKUROも。まあ、天は違うだろうが──。

 いや、ノっている……? 震えているわけじゃない、あの天が、音に合わせて体を揺らしている。ゆらゆらとふらついているように見えなくもないが、違う。しっかりと音に合っている。

 体を揺らしながらビートチェックしている2人は、どこかもう音の世界に入り込んでしまっていた。

 やがて数秒後止まる音楽。少女達は再度向き合い、拳をつき合せる。

 じゃんけんの勝者はZAKURO、先攻を選択。

 まだ、信じられない。これはつまり、あの天がラップをするということなのか? こんな人前で……。

 思考がまとまらない。けれど時はどんな時も平等に流れ続ける。


『OK、それでは早速行きましょう!第4回GMB1回戦!先攻ZAKURO、後攻Dummy-Sky、レディファイト!』


 司会の宣言とともに唸るスクラッチ。両者マイクを握り睨み合い、BPM高めなビートが会場をジャックした。

 口火を切るのは先攻、愛弟子ZAKURO!



 1

 ≪第1回戦、はい開戦! 今日はあたしがマジ凱旋!

 ah、相手はDummy-Sky?

 eye/shadowのリザーバー?

 はん、誰それ 知らんな~笑


 あは今日も忌憚ない意見言ってみちゃったぁ!

 悔しがらせて踏ます地団太

 この非難の雨から避難するなら今のうち

 ──で、Air-Zの妹ってほんとなの?≫


 さすが、開幕からノリノリの八小節!

 こんなにでかい規模の大会、そのトップバッター、それによるプレッシャーを一切感じさせない自信に満ち溢れたラップ。

 アゲアゲなビートにもしっかり乗っている。

 。

 「リザーバー」から子気味よく韻を踏んでいき、ディスを挟みつつも「非難の雨から避難するなら今のうち」という独特の表現にまで持っていくのも面白い。

 急に対戦相手が本来の相手とは変わったことに対してもしっかりと言及している即興性の高さもある。

 最後にねじ込んできた妹ってほんとなの?というのも彼女らしさが出ているし、ラストに疑問を持ってくることで相手に考える余地を与えないままその質問に答えなければならない空気を醸し出す展開作りも上手い。

 先攻としてはほぼ満点の出来ではないだろうか。

 これに天はアンサーしなければいけないわけだが……。

 大丈夫なのだろうか。不安で俺の心臓がどうにかなってしまいそうだ。

 そう思った。

 だけど、モニターに映し出された彼女の表情が、そのすべてを塗り替えてしまった。

 そこには、いまだかつて見たことのない天の顔があった。


 @

 いい質問ですね(^^)/ 真実妹ほんとです!

 私のあにぃはAir-Z☆

 リスペクトして名前もDummy-sky♪

 あにぃは神だし愛してる♡

 @


 体に電撃が走り続ける。衝撃が止まらない。驚愕に次ぐ驚愕。

 まず、天がすらすらと喋れていることに。そしてなによりも、ラップをし始めた途端に、完全に別人になったことに。

 同じ人間の発する声とは思えなかった。15年ほどずっと一緒にいるのに、一度も聞いたことのない、甘い甘い甘い声。濃厚な生クリームみたいな声が、耳に次々に注ぎ込まれてくる。

 それに、表情も全く違う。普段はおどおどとせわしなく揺れている視線が、一切ブレていない。観客とZAKUROをしっかりと見据えている。それでいて、圧倒的に自分を誇示し、発信している。こんなにも堂々とした態度を天がとれるなんて、俺は知らなかった。

 しかも、「あにぃ、Dummy、神、愛し」でしれっと韻も踏んでいる。

 音楽性に関してはラップというよりは演劇のセリフみたいなべしゃり系フロウだが、逆にそれが胃もたれしそうなくらい甘ったるい声と絶妙にマッチしていて聞きごたえがある。

 会場も、さっきまできょどりまくっていた女の子が急にペラペラと愛嬌を振りまきだしたことに動揺している様子だった。そして、天が俺の妹であることにも……。

 

 @

 ディスを聞くのが好きでした……

 あなたのそれも悪くない(-.-)

 でも聞きたいのはあにぃのディス!

 戻ってほしいから今日がんばる(/・ω・)/

 @


 …………!!

 のまれる。くわれる。天の醸し出す世界観に──。

 スキルフルで聞き心地のよかったZAKUROのフロウに対し、天がしているのは──演劇だ。フロウでの勝負は捨て、キャラクター性で戦いに来ている。俺の妹であることを最大限に生かし、且つ、俺とは全く違ったラップで魅せていく。

 殺傷能力こそなかったが、自己紹介ラップとしては百点の出来と言っても差し支えないだろう。

 かわいいということを、ここまで武器にしているラッパーを俺は初めて見た。通常ならフィメールラッパーが隠そうとするガーリッシュさをあえて前面に出すことで、今までにない独自のエンターテイメント性を創出している。

 きゃるるるんとした天の声を、いつまでも聞いていたいと思ってしまう……。

 例えるとすれば、ZAKUROが邪道な歌姫。対する天は王道アイドル。

 異種格闘技戦を制するのはどちらなのか。全観客が次のZAKUROの言葉に集中していた。

 そして人見知りな彼女が勇気を振り絞って発してくれたのであろうメッセージに、会場内でただ一人俺だけが、いつの間にか頬を濡らしていた──。

 ZAKUROが天を指差し、マイクを固く握る。


 2

 ≪へぇ、にしては全然しょうもないラップ

 あたしもAir-Z リスペクトしてるよ

 だからネームもZAKUROでしょ

 大好きなZが頭文字


 泣いた時聞いてたあの人の曲

 マジかっこいいって痺れてた

 ガチ煽りが最高で大好き

 吐いた文字全部がリリックになる≫


 あれ……?。

 悪くはない、悪くはないが……。

 良くもない。

 ZAKUROのターンなのに、脳裏にはまだ天の声が残響している。

 頭文字、泣いたとき、マジかっこいい、ガチ煽り、吐いた文字……と五文字の韻を固く踏み続けているのはいいのだが、それだけだ。

 得意のディスは「しょうもないラップ」という部分だけに収まり、残りは俺を称賛しているだけ。

 これでは、なんの攻撃にもなっていない。

 しかし、どうやらそこまで深く考えているのは俺くらいなようだった。その証拠に、観客席は沸きに沸いている。

 視線を再びステージ上に戻すと、大モニターには恍惚としたほほえみを浮かべるZAKUROが映し出されていた。

 しかし次の瞬間、画面は天真爛漫な笑顔を浮かべる天使の様な少女に移り変わり。

 我が妹が、まさしく俺の思ったことを代弁し始める──。


 @

 あれれ? ディスるの忘れちゃった?

 どっちの方がしょうもない?

 意外とZAKUROもそうでもない?

 あにぃ誉めるの私だけで十分!


 ただのファンなら一蹴一蹴!

 こんな雑魚は一瞬で一蹴(-。-)y-゜゜゜

 妹の方が一途なリップ♡

 ZAKUROなんてキックしてトリップ☆彡

 @


『終了ーーーー!!!』


 お互いに8小節×2をやりきったのを見て、司会がバトルの終幕を宣言する。

 しかし、熱は冷めやらない。会場は割れんばかりの歓声が木霊している。

 期待の若手と、突如現れたいわくつきの新星。しかもどちらもかなりキャラが立っている。それも別ベクトルで。なのに、共通のラッパーを原点としている。

 その試合を見た観客が、沸き立たないわけはなかった。

 司会も彼等のそれを代弁するかのように熱の篭った声でまくし立てる。

『1回戦からレベル超高い!2人ともヤバい!!でもでも、いつものように決着をつけなきゃいけません。決めます!いいと思ったどちらか一方に声を上げてください!いきます!』

 まだ終わって欲しくない。この戦いをいつもでも見ていたい。その場にいた誰もがそう思っていただろう。けれど内容がどうあれ、観客による投票は待った無しで行われるのだ。今も、昔も。

『では先行、ZAKUROが良かったと思う人!』

 爆発的な声が上がる。

『では後攻、Dummy-Skyが良かったと思う人!』

 同じく膨大な圧を持った声が会場を埋める。

 これは……。

 と、思いをめぐらす前に、延長ー!延長ー!という滾った声が上がり始める。

 そう、観客からの声による投票、そこにMC間の勝敗が決められる程の差がなかった場合、司会の判定により勝敗は延長戦に持ち越し。そういったルールが、MCバトルには存在する。

 今の状況は、正しくそういったムード。

 恐らく登場した段階では誰もがZAKUROの勝利を疑っていなかっただろう第1試合。だが、天がラップを始めた途端、すべては一変した。

 ラップだけを見れば、ZAKUROの方がはるかに上。けれど、トータルでの強さは完全に拮抗していた。

 そしてそれは間違いなく会場中の総意だった。

 唾を飲む。恐らくはいま3000近い人間の喉元を熱い液体が流れ落ちていっただろう。期待に満ち溢れ熱量を持った時間が過ぎ去っていく。

 司会は会場を見回し、大きく息を吸い込んだ。

『1回戦目からまさかこんなことになるとはね……。うん、これは決められません!延長です!』

 その宣誓を聞いた刹那、どっと客席が湧く。ヤバい!そんな興奮に塗れた声が木霊する。

 間違いない。なんてったって俺の生徒と妹なんだ。ヤバくないわけがない。おこがましくも自然と、そんな喜びが胸に湧き上がっていた。


『では、延長戦は先攻後攻入れ替わって先攻Dummy-sky、後攻ZAKUROです!そして延長戦のビート!DJ阿賀良瀬お願いします!』


 阿賀良瀬がまたも名曲を掻き鳴らす。一部界隈でカルト的な人気を誇るネットラッパー【CReal】で【Dear My Outsider】。上がりきったヘッズ達のテンションをさらに上げていく素晴らしい選曲。社会にうまく合わせられない自分を哀しくも誇らしく謳うこの曲は、二人のバトルにとてもマッチしている。さっきよりも曲のテンポは遅いが、間違いなくこれからのバトルをより刺激的に彩るだろう。

 そういえば、この曲は天の好きな曲だった……。一時期天が家で毎日24時間延々と俺の曲を垂れ流し続けていたことがあり、さすがに鬱陶しくなって他にもなにか聴けと説得した際に彼女がディグっていたのがこの曲だ。

 だからなのか、天はかつて人前でみせたことがないくらいににこやかな表情を浮かべていた。

 そんな彼女を見ていたら、胸が熱くなってきた。あの天が、大勢の前でこんなにも嬉しそうに笑えるなんて。あんなにも俺以外の人間へ恐怖心を覚えていたはずの天が……。

 彼女を守っていたつもりが、彼女を縛り付けていたのは俺そのものだったのかもしれない。そんな罪の感情さえ湧き上がってくる。

 そしてそんな天の横で、無邪気な表情を晒しているZAKURO。

 そうだ、俺は彼女のことさえ縛り付けようとしていた──。ディスるなと。

 すべてが余計だった。大人の思うがままに子供を操ろうとしていた。愚かだった。彼女たちは自分の思い通りに動かしていい人形ではない。

 今はただ見守ろう。それしかできない。俺は今日演者側ではないのだ。あの輝かしい向こう側に立つことはできない。ラップをやめた、ただの一観客に過ぎないのだから。

 あの表情を見ればわかる。勝ちを目指したそのうえで、勝敗よりも今を楽しんでいる。純粋な魂のきらめき。勝つ為だけに敵をディスっていた俺とは全く違う。

 ディスることで己が楽しみ、そして他者さえを楽しませている──。

 交わる天とZAKUROの険しくも朗らかな視線。そこにあるのは敵意。けれど間違いなく、その中には美しいリスペクトが内包されていた。

 いい音といい友(敵)、それさえあれば、他に何もいらないのだ。ラッパーには。

 見つめあう二人の美しさに、心が洗われていく。

 1回戦から本当に最高のバトルだ。観客による熱狂の渦の中、展開される2人だけの世界。

 その衝突が、もう間もなく、再開する。


『ではいきましょう!先攻Dummy-sky、後攻ZAKURO、レディファイト!』


 1

 @

 思い出すあの頃 あにぃは最強だった

 時は過ぎシーンからいなくなった

 今じゃもう立派な社会不適合者

 でもね 家庭内では常に王者☆


 きっと私のせいでやめたんだ……

 だから今日ここで終わらせる……!

 すごい今怖いよ でも負けない

 見てるでしょあにぃ 私、ラップが大好き!!

 @


 入れ替わって天が先攻の一ターン目。

 さっきの【girlish GAL】でもやっていたが、元曲のリリックとフロウを引用するサンプリングという手法を今回は開幕からカマしている。

 だがそれは他人の言葉ではなく、心のこもった天だけの叫びに昇華されていた。

 もはや観客には意味のわからない内容かもしれない。それでも兄だけに分かればいい──そんな純粋な彼女の独白。

 涙が止まらなかった。

 ラップが好きだ。ラップをして欲しい。

 その妹からのおねだりを、俺を気遣ってのものだと思い込み信じられなかった。それが彼女の本心からのお願いなのだと。

 そんな疑心暗鬼に陥った俺を救うためだけに、彼女は今日臆病な自分を奮い立たせ、ここに立っている。

 その覚悟の全てが、たった8小節に凝縮されている。

 きっと必死で考えて、必死で練習したんだろう。

 魂のこもったバース。そこに内包された全てが伝わらずともそのこもり様だけで、観客を震わせるには十分だった。

 愛らしさの裏に秘められた熱きバイブスがこの場にいる全員に熱を灯す。

 しかし。

 ZAKUROが得意なのはディスなんだ。


 ≪はいはいでました妹アピール。つまんねんだよ素人が

 さっきからサンプリングばっかだし

 ちゃんとお兄ちゃんに響かせたいならもっと自分の言葉でしゃべったら?

 てか本当にあんたのせいでやめたんならここでツブす


 怖がってんなら帰りなあまちゃん

 赤ちゃんみたいに泣きわめけ

 ブラコンアピールだけのワンパターン、つまんない

 Requiemはあたしが倒す≫


 容赦のない8小節が、突き刺さった。

 天のバースの全てにディスでアンサーしている。

 1本目とは違い、Air―Zへのリスペクトはありつつも──いや逆に今回はだからこそなのか──しっかりと相手を貫ぬく。

「自分の言葉でしゃべったら?」という指摘はあまりにも核心をついたパンチライン。

 これは圧倒的……。

 鋭い肉食動物の様な眼光が天を射抜く。

 それでも彼女は歯を食いしばりながら、笑顔でマイクを強く握りしめて──。



 2

 @

 つぶされないよ 今日だけは絶対へこたれない

 私いまだに不登校

 それを気にしてあにぃはずっともう……

 ラップをしてないの


 けどね、それとこれとは関係ない

 シンプルにただ学校が無理。それを言いたくてここまで来た、から

 本当にそれだけ。それだけなの!

 ……あ! Requiemはたしかに嫌い! ZAKUROちゃんとはなれそうズッ友!

 @


 切なげながらも懸命な表情で、天は8小節をやり切った。

 先程までの演技かかった感じは抑え目になり、たどたどしくもその場で思ったことをそのまま口にする完全即興。それはきっと1つ前のZAKUROのバースへの言外のアンサー。

 そして、いつまでも天を理由にして逃げ続ける俺への──。

 知らぬものが聞けば、こんな大会でそんなプライベートなことを言うなと彼女に怒るかもしれない。けれど、これこそがHIPHOPだ。自分のリアルな現状を率直に音に乗せて解き放つことこそが。

 薄っぺらいその場限りの綺麗事や美辞麗句には魂がこもらない。人を熱くさせるのはいつだって魂と熱を伴った芯のある言葉。

 技量を超えた本物の熱量が観客を確実に燃え滾らせていた。

 それはきっと、対戦相手さえも。


《そんな気軽になるかズッ友

 フットワーク軽すぎ それじゃビッチ

 あったその日に友達て、どこが社不なの?

 それじゃあたしの方がよっぽど不登校


 なにせひたすらラップの修行僧

 ディスの毒矢放つ like a クロスボウ

 今宵は一流のラッパーが集う夜

 なのにあんたのフロウしょうもない すごく棒》


 これは………!

 両者のターンが終わり、司会の声と共に音楽が止まる。

『終了~~~!!!』

 ストンと糸が切れたようにその場にうずくまる天。

 対するZAKUROは、満足気に観客席を見つめていた。

『決めましょう!! どちらか良かった方に声あげてください!』

 決闘者2人の狭間に立つ司会が遂に決を採る。GMB1回戦の結果がとうとうここに決着する……!

『先攻、Dummy-skyが良かったと思う人!』

『後攻、ZAKUROが良かったと思う人!』

 各々の歓声で投票が行われていく。

 その両者への声を聞いた司会は、観客が一旦落ち着くのを待ってからようやく声を上げた。

 結果が、決まる……!


『……なるほど。決まりました。GIRLS MC BATTLE1回戦、勝者は、ZAKURO!!!』


 固唾を飲んでいた観客席から莫大な歓声があがる。それはまるで勝鬨の様な歓喜の猛り。実際、勝敗は明確で観客の声量もZAKUROへかなり一方的に上がっていた。

 しかしそれでも、天のラップは真に迫るものがあった。ZAKUROのテクニックとディスを跳ね返してしまうくらいの気迫が。そしてそれは確実に俺の心にまで響き、揺らした。

 そんな彼女に客席から賞賛の声が上がる。当の本人はさっきからずっとうなだれているが……。

 一方で、舞台上に立った青の少女は観客席に向けてピースした。その満面の笑みに零れる1滴の汗が、きらめく。

『これはなんとも1回戦からベストバウトでした……!Dummy-sky、何か言いたいことはありますか?』

「……へ!!はっ!ああああっ!!」

 急に話を振られて、テンパりながらガバッと起き上がりその勢いのままドテンと尻餅をつく天。

『大丈夫……?』

「だだだだめでしゅっ! あああありがとうございましたぁっ!!!!!」

 シュタッと立ち上がりながらそう言うと天は舞台袖へと全力でダッシュして、盛大に転んだ……。


『あー……。はい、ありがとうございました!1回戦から濃かったねぇ……。とにかくほんと最高のバトルを見せてくれたDummy-skyとZAKUROに拍手ー!!』


 割れんばかりの拍手と歓声が舞台に向けられる。

 その場にいる全員が、2人の健闘を賞賛していた。

 俺はそれを、感動と戸惑いの混濁のさなかにいながらにして、眺める。

 どうすべきなのか。

 二人の若い少女が、経緯こそ違えどこんなしょうもないクソ男にラップをして欲しいが為に熱く歌ってくれた。人生でこんなにも幸せな時間をあじわっていいのだろうか。こんな、人でなしが。ただ逃げてきただけの、俺が。

 結論はもう、ほとんど決まりかけている。

 けれどそれをどう実行に移すべきなのかは、今日のあの子だけが決めるのだ。

 そう、天鬼が俺との約束を果たすのか。

 あるいは。

 行く末は、勝利の女神のみが知る──。

 


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