ライトノベルな未定を埋めて
火雪
第1話 当てる女
10月20日。
彼女は弓道部を退部する事に決めた。
放課後、教室に1人残り退部願いを書いていた。
グランドでは野球部とサッカー部の元気な声が聞こえる。
「青春」という2文字が頭に浮かび、書く手を止める。
(私はしっかり青春を謳歌したんでしょうか?)
席を立ち、グランドの窓に手を当てる。
ひんやりとした温度を手の平に感じ、部活動に精を出す生徒を見た。
汗を流し、声を出す同い年であろう男子生徒に女子生徒。
同じ筈なのに違う様に感じ、とても遠い存在に思えた。
胸の鼓動が少し上がる。
体も熱を帯び、奥歯を噛み締めた。自分では分からない感情を感じ、また席に戻り退部願いを書き始める。
退部願いに思いの丈を書く事に決めていた。
悔しい事も嬉しい事も書く予定だったが、辞めた。
簡単、そして簡潔に文章を変更する。
【 退部日:本日付 】
【 お世話になりました 】
と記し、茶色封筒に入れ、封筒自体に【 退部願い 】と書いた。
「ふぅ」
自分の中で、踏ん切りが付いた様な気分になっていた。
大きな仕事をやり遂げた様な感覚だった。
同時に疲労もあった。ストレスを抱えているOLとはこんな感じなんだろうと彼女は思い、机に突っ伏す。
机の温度を顔全体に感じた。
木製机の為、木の匂いがし、少しだけ眠りそうになる。
彼女はダメダメと頭を振るい、上体を起こす。
(行きましょう)
心で気合を入れ、職員室に向かう事にした。
教室から廊下に出ると耳が痛くなる位、静かだった。昼間は生徒たちの声で充満している世界が放課後になると
姿を変え、彼女は少し寂しくなった。
今は彼女の足音だけが耳に届き、思わず耳を塞いだ。
耳を塞ぐと、そこはまるで世界に取り残された様な長い廊下があるだけで、寂しさに拍車を掛けた。
恐怖とは違う孤独感が彼女を支配していた。
手に握る退部願いがクシャリと音を立て、手の中で潰される。
自然と力が入っていた。
まるで、無意識に拒んでいる様だった。
(決めたのだから仕方ないんです)
自分で自分を奮い立て、握り潰した退部願いのシワを丁寧に伸ばす。
完全に消えなかったが、諦める他なかった。
職員室に到着すると、バカ丁寧にノックを3回する。
「失礼します。2-A組の
教員の多くが在席しているが、彼女の声に答える者はいない。
彼女を見るなり、溜息を付く教員。
咳払いをする教員。
慌て出す教員。
職員室から出て行く教員も居る。
日常の風景なので、何も驚かずに顧問である森川の所に向かう。
森川は彼女に気付くなり、大きな溜息を吐いた。天然パーマである軽くカールが掛かっている頭を
掻き、下唇を噛む。
そして誰もが分かる位に、身体が小刻みに揺れていた。
(貧乏揺すりですね。下半身の鬱血されている訳ではないのに、やはり原因は私ですよね。トホホのホです)
落胆した顔を引っ提げ、口を開く。
「森川先生。こんにちわです。めっきり秋めいて来ましたね。冬が駆け足で来そうですね」
「あ………ああ。で、どうした?」
上の空と言わんばかりに視線を合わさず、唇が青ざめて行く。
会話を楽しむ余裕が無い様だった。
「顔色が優れませんが、大丈夫ですか? 昨晩は冷え込んだ訳でも無いのに………またですか?」
「ちっ違う! 俺は何もしていない。俺じゃないんだ。アレだ! そうアレだ。夏バテだ。そうに決まっている」
森川は、周囲の視線を気にして、慌てふためいた。
「何を慌てているんですか森川先生? また当てますよ?」
彼女は薄い笑顔を作り、肩まである黒い髪を手で撫で付ける。
まるで誰かに頭を撫でられている様に。
「分かった。もう分かった。要件だけ聞こう」
「そうですか。私、弓道部を本日限りで退部致します」
「へ?」
「退部です。これ、退部願いです。受理して頂けますか?」
「………そ、そうか。じゃ、部室でみんなに言わないとな。仲原も挨拶したいよな?」
「是非」
また彼女は薄く笑う。
作られた笑顔の様に。
森川に連れられて、弓道場の前に到着した。
扉の先には更衣室があり、そしてその先に
歴史ある弓道部の射場は、未だに木の香りがする。
練習はもちろん試合の時も、射場に入るだけで自然と澄しが出来、緊張する事も殆ど無かった。
矢も当然の様に
彼女は、ここで青春が出来ると思っていた。
正確には勘違いしていた。
今となっては、全てが懐かしいと彼女は感じ、目頭を熱くする。
そんな彼女の横で森川は欠伸をしながら弓道場に入り、部員は練習中だったが、森川の号令で部員が集まった。
森川は仲原夜子の退部の件を一通り話した。
残念な事に彼女の退部を止める者は誰1人おらず、その反応に対して森川も「う〜ん」と困り顔をするばかりだった。
予想されていた事だったが、彼女の中に小さな痛みを生じた。
可能性の中に引き止められるかもしれないという淡い期待があったからだ。
誰からも反応が無い中、彼女は姿勢を正したまま頭を深々と下げ、数秒間そのままで停止し、また顔を上げた。
「良い部活動でした。皆さんと共に過ごした日々は忘れません」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
所属していた女子弓道部は部員数12名。
誰も彼女の言葉を返す者はいない。
拍手も無し。
啜り泣く音も存在しない。
静寂を壊す事もしないまま、怯える様に彼女の動向を伺っているばかりだった。
顧問の森川は何も言わない生徒に小さな舌打ちをし、口を開いた。
「あ〜なんだ。仲原が在籍してくれた事で我々は全国1位になれた。本当に感謝している」
目を合わせない様に、でも真剣な言葉を声に乗せ彼女に放つ。
「いえ、皆さんの努力と友情が勝利を導いたのです。私1人で何も出来ません。One for all.all for one.です」
ニコリと笑う。
女の子らしく、両手でガッツポーズもしている。
だが、森川も含め反応は薄い。
「 ――― 化物」
誰かが聞こえない程度の声量で言い放つ。
「 ――― 怖い」
また誰かが聞こえない程度の声量で言う。
「 ――― ふざけんな」
次は誰もが聞こえる声量で部長の村田が言った。
「えっと〜何でしょうか?」
キョトン顔の彼女は首を傾げ、部員1人1人の顔を見て行く。
まるで蛇が獲物を狙う様に。
「お前は何なんだよ!?」
また村田が声を荒げ、彼女を睨んだ。
「何とは?」
「とぼけるなよ! お前は練習を何だと思ってんだよ?」
「練習は試合で最高のパフォーマンスを出す為のモノです。それ以下でもそれ以上でもありません。練習を疎かにしている者は本番この場合は試合と言うべきですね。この試合で本領発揮が出来ず、ライバルに蹴落とされます。つまり勝つ為に練習が必要という訳です。努力無しで勝利無し。勝利無しでは友情も芽生えず、青春が頓挫すると言っても過言ではないでしょう」
「………」
彼女は饒舌に話したが、村田は死んだ目で聞いていた。
「ホント、お前の饒舌はもううんざりだよ。じゃ、最後に言わせて貰うけど、練習でも100発100中の
「はい!」
凄惨な笑顔で答える。
「もう良い。行って。最悪だよアンタは!」
「お世話になりました。あ、村田部長。嫉妬の数が女性を美しくします。部長の恩恵でまた、私は美しくなりました。ありがとうございます」
「ぐっ」
村田は奥歯を噛み締め、何も言えなかった。
周囲の部員も言葉を発しなかった。浮かない顔を並べ、災難が去る様に床を見詰める。
彼女はもう1度、部員1人1人の顔を見た。脳裏に様々な記憶が走る抜ける。
入部した時の日。
初めて弓と矢を触った瞬間。
袴を見た時。
胸当てを当てた付け心地。
数秒、瞼を閉じ頭を下げ、彼女は満足した様に弓道場を出た。
しばらく弓道場の扉に背中を預け、下を向く。
室内から騒がしい声がし始めた所で扉から身体を離し歩き出した。
彼女の頬には涙が流れていた。
「また居場所が無くなりました」
ポツリと悲しみを孕んだ言葉を呟いた。
的に当てる競技は話にならない位、外さない。
ボーリングはパーフェクト。
ビリーヤードはJPBFに招集される。
バスケットはBリーグでも勝ってしまう。
何をさせても、外さない。
彼女に拳銃を渡せば、全て的のド真ん中に弾丸が通り抜ける。
そして、それだけでは留まらない。
彼女が「そうだ」と思う事は大概、核心を射抜く。
意図しないでも言い当てしまうから、彼女の周囲には友と言える人間は1人も居ない。
彼女自身の性格も真っ直ぐ過ぎるという事も有り、ズケズケと言い当ててしまうので、自業自得でもある。
先程、退部した部内でも実力がある彼女に対し、陰口を言っている部員が存在した。
陰口は隠し事に該当し、彼女には「何かを隠している事」が分かり、そして「何を隠しているのか」まで
当ててしまう。
彼女の前では全ての事が言い当てられ、しかも100発100中なのでそんな化物みたいな人間には、人は近付かず彼女は自然と孤独だった。
弓道部ではそんな事にならない様に振る舞っていたが、結果として真っ直ぐな性格が原因で破綻した。
今、彼女が悲しみを背負い、帰路に付いた。
続く。
ライトノベルな未定を埋めて 火雪 @hi-yu-ki
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