幸せな朝、もしくは世界の終わりに
風凪 颯音
第1話
ずいぶん長く眠ったような感覚があり、体全体が心地よく痺れている。
「おはようございます先輩。お寝坊した感想をどうぞ。」
凛とした、それでいて可愛らしい声が聞こえる。僕は声の主へ顔を向ける。分厚いガラス容器の向こう側に見える顔は、ニコリとほほ笑んでいた。その笑顔にどこか安堵を覚えて、僕は答える。
「いい気分だよ。よく眠れたお陰か、生まれ変わったみたいに気分がいい。」
「何ですかその例え方。でも、先輩らしくて好きです。」
彼女が口を押えてくすくすと笑う。それへ答える様に、容器を満たす液体に小さな泡がぷくぷくと浮かび上がる。
小腹の空いた僕は、ゼリー状の食事に口をつける。噛み応えなんて無いに等しいが、味はしっかりとついている。今日のメニューは好物のハニートースト・・・のはずだ。
「食事はどうです?美味しいですか?」
「うん。間違っていなければ、僕の好きな物の味だ。こんな世界だし、食事に文句は言っていられないしね。」
「栄養が取れればいいってことですか?」
「そういうこと。満足なんて、2の次3の次だよ。」
世界規模の戦争が起こり、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込まれた人間を救ったのは、皮肉にも世界を葬ったその化学力だった。そのおかげで、こうして僕も彼女も形は違えど生き延びている。
「悲しい事ですけれど、そのおかげで生きているんですものね、私たち。」
「そうそう。今度は間違った方向に進まなければ大丈夫さ。」
「先輩は、これからどんな世界になって欲しいと思いますか?」
「そうだな・・・」
新しい世界で何をしたいか、そもそも人間らしい生活は戻るのか、それはいつ頃になるのか。
好奇心…なのか、彼女からの質問は止まらなかった。
「ちょ、ちょっと休憩させてくれって。しゃべり疲れた。」
「あら。そしたら、少しだけですよ」
ガラスの向こうの顔がニヤッと悪戯っぽくほほ笑む。
その笑顔を見て、微笑ましさを感じるのと一緒に、何か違和感がこみあげてくる。同時に恐ろしいくらいの悪寒を感じる。…何だろうか、この感じは。
「…先輩?どうしました?」
先ほどまで心地よかった彼女の声も、今は雑音のようにビリビリと耳障りだ。
世界…戦争…生きるか死ぬか……休憩?
不思議と震えが止まる。
「僕ら一緒に出掛けてて…そうだ、休憩しようって君が言って、その時、急に…」
一般市民に紛れて、敵国の兵士が潜んでイたんダ。そいツらに銃を向けられ、僕はとっさニ彼女ヲ庇ッて、背中ヤ腰ニ痛ミガ走ッテ…カノジョガサケンデ…ソレデ…ソレデ…
ふと顔をあげる。ガラス越しの彼女から笑みは消え、氷のような瞳が僕を見下ろしていた。
「ボクハ、ドウナッタノ?」
ため息をついて、彼女が顔を伏せる。
「あー、やっぱりあの単語はブロックワードですね。こんな簡単に自我崩壊しちゃうなんて」
ナニヲ、イッテ
「はい、実験ナンバートリプルファイブ。テスト終了。結果は、見ての通り失敗です。」
「ナニ、ヲ…」
「あー、もう黙ってください。あなたは用済みです。さよなら」
私がボタンを押すと、容器を満たす液体はみるみる赤く染まっていった。最後に何か言いかけていたようだが、私はもう「それ」に興味を無くしていた。ほどなく生体活動停止のアラームが鳴り響き、容器の洗浄が始まる。
キーボードをいじり、PCからディスクを取り出す。面に書かれたNo.0555の数字をマーカーで塗りつぶして、ケースに戻す。
まさかあんな些細な単語が原因で記憶がフラッシュバックするとは。ここまで順調に自我形成が出来ていただけに残念だ。しかし、3回のテストで把握が出来てよかった。
「まぁ、でもセンパイはあんなキャラじゃないしね。無理に進めても、辞めていたかも」
どんな相手でもいいというわけではない。私が望む、相手でなければ。
再びアラームが、容器洗浄終了を告げる。新たな人口脳が設置され、容器に液体が注がれる。それを確認して、新しいディスクをケースから取り出しPCに挿入する。モニターに、人口脳への人格インストールが開始された表示がされる。
戦争が起こったことで、私のセンパイは死んでしまった。しかし、世界ネットが崩壊したことで、ブラックボックスだった人格の保存、移し替え、上書きの方法を得る事が出来た。ただ蘇らせるだけではない。人格は元のまま、不要部分を削り、理想を取り付ける。
おかげで、私だけのセンパイを、作る事が出来る。戦争様様、科学様様だ。
モニター画面のインストール完了表示を確認して、私は録音を開始する。
「実験ナンバーダブルファイブとシックス、スタート。」
キーボードを叩き、人口脳を活性化させる。意識反応が出たところで、私は語り掛ける。
「おはようございます先輩。お寝坊した感想をどうぞ。」
幸せな朝、もしくは世界の終わりに 風凪 颯音 @komadenx
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