重力皇子
e層の上下
第1話 めざめ
夢を見ていた。
「聞いてください。君はもう何も知らないことを許されない。疫病、暗殺、超常現象、そして亜人。あらゆるものが信じられなくなるかもしれない。しかし君は強い。必ず君には協力者が現れるでしょう。またここに来てくれることを願っています」
どこか祭られていて、祭壇をすこし降りた先にはなにか祈っている人々がいる。
語りかけてきていたのは不思議な青年だった。
ぼやけていてよく見えないが、知的な話し方をしている。
青くかがやくその人たちが消えうせてしまったのは、朝をつげる騒々しい鐘の音が鳴り響いたときだった。
ジリリリリリリリリリリリリ
林檎はかなしばりにあったかのような目覚めとともに、黄色い鉛筆削りのような目覚まし時計に手を伸ばした。
ううん、まだ眠い。
布団のシートが、しわ散らかしている。
もう7時20分だ。
母親の朝のヒステリーを受け流しつつ、林檎は着替えをし、テレビを見ていた。
朝ご飯はお餅だ。
「フランスワールドカップ開催まであとすこし! 今日はワールドカップに初めて参加する我らが日本代表をピックアップ!」
テレビではサッカーのワールドカップの話題で持ち切りだった。
林檎はノリで巻かれたお餅をぱくつきながら寝ぼけ眼で聞いていた。
目の方は父親がおいていく新聞のラテ欄を追っている。
今日はどんなアニメをやるんだっけ。
謎のスワスティカ宗教団体現る。
ノストラダムスの大予言、恐怖の魔王を探る。
今日もくだらないテレビ番組しかやらなさそうだ。
やるアニメ番組で今日の曜日を知る。
なんとなく新聞の一面をながめると最近、起こっている犬の病気らしい、狂犬病が日本で確認されたことが報じられていた。
林檎の家でもフェルマーという柴犬を飼っている。
だけど林檎はどこか他人事のように感じていた。
テレビの左上の時計が7時50分になった。
――ランドセルを背負って学校に行こう。
林檎は何も言わずドアをあけ、ぬるい朝の風をあびた。
門扉をあけると、表札には『赤井』とあった。
赤井林檎(アカイリンゴ)、小学6年生。
東京都足立区、竹ノ塚に住む少年だ。
髪は黒くつやがあり長めで、世界的にも珍しい赤い眼をしている。
どこかクールな印象があり、無地の黒のティーシャツを着ている。
ランドセルと一体化してしまっているようだ。
集団登校の場所にはすでに全員がそろっていた。
「おせーぞ、林檎」と、同じ年の子が言った。
「うん」林檎は愛想もなく答えた。
とくにあいさつもなく、集団は列になって歩きはじめた。
学校についた。大勢の小学生がアリの行列みたいに校門に吸い込まれていく。
いつものように下駄箱に靴を入れ、6年4組へと向かう。
「えー、みなさんご存じかもしれませんが、ここ最近狂犬病というこわーい病気が流行ってます。それにともなって狂犬病の予防接種をします。はいじゃあ、プリントをくばるので回してください」
先生が右の列からプリントを配り始めた。
そして朝礼がすみやかに終わった。
退屈な授業が終わり、放課後になった。
林檎はとくにすることもないのでさっさと家に帰ることにした。
下駄箱をでたところで林檎は校門の異変に気がついた。
何やら中心に大人がいて、その周りを下校途中の子どもが囲んでいるようだった。みんな手には何かカラーの印刷物をもって黄色い歓声をあげていた。
「あのねえ! 君たち知ってる? ノストラダムスの大予言。恐怖の大魔王がやってきて、みんな殺しちゃうんだよ! 狂犬病もそのひとつに過ぎないんだ。これみんなもらって帰って、お父さんやお母さんに見せてね」
サングラスをした中年の怪しいおじさんがビラ配りをしているところだった。
ショッキングピンクのポロシャツを着てパツンパツンになったチノパンを履いている。
黒髪はやけに太陽の反射がまぶしい。
林檎は他の子が捨てて帰ったビラをひろい見た。
警告!
ノストラダムスの大予言による世界の破壊が始まっている!
恐怖の大王アンゴルモアとの戦いはいまの我々しか戦えるものはいない。
立て! 勇者たちよ! 新しい未来を勝ち取るのだ!
魔訶出宮 夏ノ助
右下にはこのビラを配っている怪しいおっさんの写真が載っている。
唇を軽く閉じているのが性的だ。
林檎はビラを元の捨ててあった場所に戻した。
家に帰って林檎がやることと言えば飼っている犬のフェルマーの散歩だった。
母親はどこかにでかけていたから、さっそく首輪にリードをつけていつもの散歩コースに向かう。
あまりにも日常的な行動なのでとめどない流れ、そしてゆるやかな気持ちだった。
だがそんな日々も突然終わりを告げることになる。
林檎はいつものようにフェルマーを先行させて、散歩をしていた。
住宅街を抜けて狭い路地に入る。
親水公園が家のそばにあるからその用水路跡の歩道を目指している時のことだった。川のせせらぎが聞こえる中でなにやら低い音が聞こえる。
バイクのような重低音、でもどこかかすれている音。
その音の発生源がフェルマーだと気づくのに時間はかからなかった。
なぜならフェルマーがこちらを見たこともないような目でにらんでいるからだ。
よだれをたらし、眼は白眼を剥き、次の瞬間には、けたたましく吠えた。
ケンカを一度もしたことがないフェルマーがこんなに怒り狂うことはなかった。
「ど、どうしたの。フェルマー」
林檎の声は震えている。
次第に首輪のヒモをいやがり、首をふりはじめた。
フェルマーの影が濃くなった気がした。
次の瞬間、林檎のヒモを持っている手にかみついた。
「うわっ」
『犬による噛みつき攻撃であると認める』
とっさに腕を引きヒモをはなした。
どうやら噛まれなかったようだった。
林檎の頭の中には朝に聞いていた『狂犬病』という名前がリピートしている。
きっとフェルマーはこれにかかってしまったんだと思った。
緊張と恐怖で体がうごかない。にらみ合ってる時間が続いた。
「フェルマー、だ、大丈夫?」
もう声は届いていなかった。
フェルマーのうしろに人が現れた。
ランドセルをしょっている2人組だ。
下級生だろう。
フェルマーはそちらを向いて走っていった。
「だめだ、フェルマー! そこの2人逃げて!」
「え?」
猛ダッシュを決めるフェルマー、2人組はぼんやりしている。
野生が駆ける音がした。
(噛んじゃう、やめて!)
突然フェルマーの体が弾んだ。
かわいた火薬音がひびいた。
フェルマーの胴体と足がばらばらになった。
何が起きたかわからなかった。
2人組は泣きながら座ってしまった。
その場に自衛隊の人がいて、機関銃をフェルマーにむかって撃っていたことがわかったころには、すでに林檎の涙が乾いていた。
「大丈夫? ケガはない?」
迷彩服を着てヘルメットを被った自衛隊の人が林檎に向かって言った。
「きみの犬?」
もう一人の年老いた自衛隊の人がいった。林檎はなにも答えられなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
林檎はただ謝ることしかできなかった。
騒ぎを聞きつけた近所のおばさんから、林檎の親に連絡がいった。
パトカーと救急車がやってきてさらに騒ぎが大きくなる。
それに林檎は怖くなった。
やがて母親がきて何やら頭を下げていた。
家に帰ったころにはすでに真っ暗だった。
明かりがなぜかいつもよりすこし暗く感じた。
テレビをつける気にはなれなかった。
「あー、もう! また後日警察署にきてくださいですって! 何があったの!?」
母親はすこしヒステリーを起こしていた。顔がいつにもましてゆがんでいる。
「なんかフェルマーが狂っちゃった」
林檎は小さな声でいった。
「狂っちゃったってなに!?」
母親の目は血走っている。
「わかんない、わかんないよ」
林檎も錯乱している。
もう家にはフェルマーはいない。
銃ではじけ飛んでしまったのだ。
母親はそのあともガミガミとうるさかった。
林檎はもう早めに寝てしまおうと9時には布団に入ってしまった。
父親が帰って来たのはそのあとだった。
次の日うってかわって弱弱しくなった母親から『気を付けていってらっしゃい』と言葉をもらった。
登校班の集合場所にいくと、ニヤニヤしている男がいた。幼なじみの緑野芝生(ミドリノシバフ)だ。
髪は茶色に染めており、近所でもヤンキーと評判だ。
口が悪いが別にそこまで悪いやつでもない。
登校班は動き出した。
「あのさ、林檎。昨日銃を撃ってるところ見たんだってな。いいなー」
緑野はのんきに頭のうしろで手を組んでいる。
「よくないよ。死んじゃったしフェルマー。バラバラになって」
林檎の足取りは重い。
「でもさ、しょうがないんだろ? 狂犬病にかかってたらしいじゃん。フェルマー。それなんか予防の注射うたないといけないらしいじゃん」
「そうなんだ」
「そうそう、最近はブッソウだし、自衛隊員もいたるところで銃構えてるしな。あれ俺にも撃たせてくれないかなー」
たしかに登校中も緑色の迷彩服を着た自衛隊員がまばらにいた。
「いいね、カンケーないからたのしそーで」林檎はジト目で言った。
「なんか世紀末って感じだよな!」
緑野は心底ワクワクした表情をしている。林檎は呆れていた。
松嶋ハチ子先生が来た。
時刻は8時10分を指している。
さわがしかった教室は静かになった。
「昨日、赤井君のおうちの犬が狂犬病を発症しました。来週の予防接種まで、無闇に野生の動物に気を付けてください。あと犬のお散歩も狂犬病のワクチンをうってからにしてくださいね。じゃあ日直……」
その日、林檎はいろいろな人から犬のフェルマーについて聞かれた。
この女子の3人組もそのことが気になるようだ。
「ねえ、赤井君のおうちのワンちゃん、亡くなったんだってね」
真面目な子が言った。
「うん」
林檎は女の子にはなしかけられてうれしい。
「具体的にどうなっちゃったの? 興味あるんだけど」
クールな子が言った。
「えーっとバラバラになった。銃で撃たれて」
『こわーい』と、3人はくっついた。
「そうじゃなくて、狂犬病の方! なんかテレビで怖い事ばかり言ってるじゃん!」
元気な子が言った。
「よくわかんないけど、なんか狂暴になった? のかな。いきなりこっちを噛んできて」
林檎は思い出したくなかったから適当に答えた。
また『こわーい』と顔を見合わせた。
「でも、狂犬病ってワクチンうったらならないんでしょ。赤井くんちはうってなかったの?」
まじめの子が咎めるように言った。
「たぶん……よくわからないけど」
林檎はバツが悪かった。
「そっかぁ」
というと真面目な子がいうと休み時間が終わった。
帰り道、林檎は一人だった。
登校時にいた自衛隊員はまばらになっていて、影があるところもある。
砂利の駐車場にさしかかったあたりだった。
「おい」
林檎は呼ばれた気がして振り返ったが、あたりに人はいなかった。
いたのは犬一匹のみ。
「おめーが赤井林檎か?」
人面犬だった。
顔はゆがんでおりしわが目立つ。
まゆげがゲジゲジでおっさんの顔に見える。
そのうえ流ちょうに日本語を喋っている。
林檎は一瞬ひるんだが、恐怖で動けなかった。
――なんで最近こんな目にあうんだ。
「大変だったなぁ、最近こええ病気が流行ってるもんで気をつけなー? おまえもまだ死にたくはないだろ?」
林檎は一目散にダッシュしてカートゥーンみたいに逃げた。
「ただいま」
林檎の元気のない声がドアの開閉音にかき消された。
扉を開けてもいつものお迎えが来ないことに、フェルマーがいなくなったことは本当なんだと実感した。
母親がブラウン管テレビでワイドショーを見ている。
2階の自分の部屋に行く前に母親に質問があった。
「ねえ、フェルマーって狂犬病のワクチンうってた?」
林檎がそう言うと母親はこちらをぎょろりと振り返り、鬼女のように激昂した。
「うちはねえ! お金がないの! だからフェルマーのワクチン代だって出せないのよ! 仕方がないじゃないの!」
母親はお金がないと言えば全てが丸く収まると思っている節があった。
林檎もそのことにうすうす気づいていたし、それ以上聞くのをやめた。
2階に上がってゆく。
ランドセルを放りなげ、そのままベッドへダイブした。
1998年日本東京都足立区。
赤井林檎の愛犬フェルマーは狂犬病にかかり亡くなった。
ちまたでは野犬も増えているらしいと、テレビは頻繁に取り上げていた。
どこから狂犬病はやってきたのか? テレビでは犯人探しが始まっている。
インターネットの世界でも同じように犯人探しが流行っていた。
まだダイヤルアップ方式のネット接続が主流だった時代、画像をアップデートするにも一苦労だった。
パソコン通信と呼ばれるそれらの技術はまだほとんどの者に知られていない。
プーピポパピポピ(570)234-0003 (アメリカ、ペンシルベニア)ピーヒョロロロピーガ……pi…pi…pi..bibi…ザーーーーー……pi…ヴォーン...pi-gagaga
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