第18話 そのメイド、影で噂される。

~キーパー理事長視点~



「キーパー理事長、とある男性が面会を求めているのですが……」


 太陽がどっぷりと落ちきった頃。理事長室で面倒な貴族相手の手紙を書いていると、校長のプリマが私の元を訪れてきた。ランプの明かりに揺れて見える彼女は、随分と困惑している様子だ。それにどことなく言葉の歯切れが悪い。


 ちなみにこんな時間に誰かと会う約束はしていない。急ぎの用事でもなければ、後日に回してもらう案件だけど……どうやらそうでもなさそうね。



「本人はジークと名乗ったのですが、どうみてもその御方は……」


 彼女が口にした名前を聞いて、思わずペンが止まった。


 あぁ、なるほど。ようやく王子様のお出ましってところかしら。



「ふふっ。用件は分かったわ。ここへ通してもらえる?」


 書類仕事用の眼鏡を外しながら、私はそう答える。プリマ校長は私が断らなかったことにホッとした表情を見せると、綺麗な一礼をしてから音もなく部屋を後にした。



 ◆


 初対面は、たしか彼が五歳ぐらいの頃だったかしら。


 開かれた第二王子のお披露目を兼ねたパーティで、随分とヤンチャだったのを覚えている。

 社交界デビューをした時は、緊張で大人とマトモに目も合わせられない子ばかりだというのに、あの子と言ったら、私を見て『お婆ちゃんと同じ匂いがする!』と言って抱き着いてきたのよね。



「あの時の貴方はお兄様にべったりで、とっても可愛らしかったわ。それがたった十年ちょっとで立派な騎士になっちゃって……」


 感慨深げに当時の思い出話を語っていると、私の正面に座る青年は赤面しながら俯いてしまった。



「キーパー夫人、恥ずかしいのでそれ以上はもう……」

「あら、良いじゃないの。老人にとって、若者の成長は何よりの楽しみなんだから」

「いや、もう……本当に勘弁してください……」


 ふふふ。さすがにこれ以上揶揄からかったら、不敬と取られちゃうかしら?


 すっかり項垂うなだれてしまったジークハルト殿下をニマニマと眺めながら、プリマが淹れてくれたお茶を楽しむ。


 ちなみにそのプリマは壁際で、直立不動になっている。まぁ、彼女は平民だから緊張するのも仕方がないか。



「それで、ジークハルト殿下。今日はどんな御用かしら? 私の思い出話を聞きに来たわけではないのでしょう?」


 本当は彼が来た理由なんて、何となく察しているんだけれど。敢えて私は彼にたずねてみる。



「えっと、その。実は以前、この学校の生徒に助けていただきまして。その借りを返そうと参りました」

「へぇ。ここの生徒が、に借りをですか……」


 あら? あくまでも、彼は騎士のジークとして来たというテイなのね。なら私もこの茶番に付き合ってあげましょうか。



「ちなみに、その生徒の名をうかがっても?」

「アカーシャ、と名乗っておりました。黒髪で、笑顔の似合う可憐な女性です」


 うんうん、やっぱり予想通りね。それにしても、女性嫌いで有名なジーク様がこんなにも褒めるなんて……彼女のことをどう思っているのか、ちょっと気になるわねぇ?



「念のためもう少し確認したいのだけれど、その子とはどんなことがあったの?」

「あの子は僕のために、身銭を切ってまで助けてくれました。それも見返りなんて一切求めずに。あれほど優しい女性は、母上以外に出逢ったことがありません」


 あら、あらあらあらぁ? ジーク様ったら、さっきよりも増して顔が真っ赤っかじゃないの。単に恥ずかしがっているというよりは、まるで恋する乙女みたい。もしや運命的な出逢いで一目惚れをしちゃったのかしら?


 これはもしかして、ひょっとしちゃうのかしら?



「それで、ジーク様はその子のことをどう思って――」

「キーパー理事長、おたわむれはその辺にしておきましょう」

「あら、プリマ。貴方は気にならないのかしら?」


 もっと踏み込んだ部分を聞こうとしたところで、プリマ校長が私を制してきた。彼女はジト目で私を睨んでいる。ちょっと茶化し過ぎちゃったみたい。



「さすがにこれ以上は、殿下が可哀想ですよ」

「き、キーパー夫人!? それはどういうことですか!」

「あはは。怒らないで頂戴。事情の確認だけよ、それ以上の事には学校は踏み込まないわ」


 ジーク様は慌てて椅子から身を乗り出して抗議した。チッ、気付かれちゃったか。



「それじゃ話をまとめると、ジーク様はアカーシャちゃんに金貨を返したいってことね?」

「……はぁ。はい、そうなります」


 ジーク様は渋々ながらも素直に認めたので、私はウンウンと頷く。


 さて、どうしようかしら。学校としては不介入と言ったけれど、私個人としてはこんな面白いことを放っては置けないのよね。ここでアカーシャちゃん本人を連れてきて、直接会わせてみても面白そうだけれど……。



「なるべく早く訪ねようとは思ったのですが。こちらも中々時間を割くことができず、彼女には多大な迷惑を掛けてしまいました……これは遅れてしまった迷惑料として、彼女に受け取って欲しいのですが」


 そう言ってジーク様は、懐から出した金貨をテーブルの上に何枚も重ねていく。


 迷惑料や利子としては、あまりにも多すぎる。私とプリマがポカンと口を開けている間に、次々と金貨の塔が積み重なっていった。


 真面目そうな彼がここまでポンコツになるだなんて……これは本当に深刻かもしれないわね。



「ジーク様。私が彼女から立て替えておいた、入学金の金貨一枚はこの場で受け取りましょう。ですが、他のお礼は別のことでお願いしたいことがあるのです」

「……別のこと?」


 金貨のタワーから私が一枚だけ取ると、ジーク様は怪訝な表情で首を傾げた。


 今この国の情勢で第二王子が平民に熱を上げているとバレたら、王城は間違いなく大騒ぎになる。悪いけれど、今ここで本人たちを会せるわけにはいかなくなったわ。


 ここはお節介ババアが気を効かせて、もう少し穏便に二人の恋を応援してあげましょう。



「えぇ。金貨を直接受け取るよりも、よっぽどアカーシャちゃんにとってプラスになるアイデアがあるの。どうかしら、ジーク様も彼女が喜ぶ顔を見たくない?」



 私は少し悪戯っぽくそう訊いてみる。


 ジーク様は目をみはり、少し考える仕草をとる……だけど彼がどう決断するかは、私にはもう分かっていた。


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