第3話 そのメイド、挨拶をする。

 

「よしっ、ちゃんと間に合ったわね!」



 私が屋敷の前に到着すると、敷地の入り口にある門から二頭立ての馬車がゆっくりとやってくるのが遠目に見えた。



 私は急いでエプロンにあるポケットからメモ帳を取り出すと、パラパラとページをめくる。


 目的のページはメイド長から教えてもらった、挨拶マニュアルが書いてある部分。


 やり方はとっくに暗記してあるけれど、間違えないように再確認だ。



「……よしっ。これでバッチリね!」


 さぁ、旦那様を気持ち良くお出迎えよ。




 先に出てきた従僕フットマンが馬車のドアを開け、旦那様をエスコートする。


 高級感のあるスーツ姿をしたひげの生えたダンディなオジサマが、私が待機する玄関へと歩いてきた。


 なんていうか、オーラが凄い。いつみても背景がキラキラしている。


 ……って旦那様に見惚みとれている場合じゃなかった。


 よし、タイミングは今だわ!!



「お帰りなさいませ、旦那様!」



 先ずは姿勢。


 頭の天辺から肩、胸、腰、足のかかとまで真っ直ぐに。



 次は笑顔。


 雇い主である旦那様を見つめ、ニッコリと。



 スマイルが上手にキマったら、今度はお辞儀。


 背中が曲がらないように腰からググっと斜めに四五度!



 三秒数えたら身体を起こし、再び笑顔。


 これでお迎えの挨拶は完璧よ!!




 ど、どうかな……?


 ちゃんとやれたかドキドキしながら、旦那様の顔をうかがってみた。



 ……旦那様は、鋭い眼光を私に向けている。


 段々とスマイルが引きり笑いに変わりそうになった頃……やっと旦那様はフッと笑い「合格だ!」と言ってくれた。



「ははは! アカーシャもようやく一端いっぱしのメイドらしくなってきたじゃないか! 日頃の努力の賜物たまものだな!」

「は、はひ……ありがとうございます……」


 あまりの緊張で、冷や汗がダラダラと流れた。


 一方の旦那様は褒め言葉を並べながら、機嫌よく私の肩をバシバシと叩いている。



「ちょっと、アナタ? アカーシャさんは女の子なのですから、そんな雑な扱いをしないでちょうだい」

「お、大奥様ぁ……!!」


 涙目で耐えていたら、旦那様の後ろから扇子を片手に持った大奥様が声を掛けてくれた。



「おっ? そうだったな、すまんすまん!」

「いつもごめんなさいね。大丈夫だった?」


 そういって大奥様は優しく私の手を取ってくれた。


 お貴族様だからって気取ることなく接してくれるこの大奥様は、まさに私にとっては女神様。


 仕事に関しては真面目で厳しいけれど、ちゃんと私をレディー扱いしてくれる優しい御方だ。



「そうだ、アナタ。アカーシャさんに、あの件を伝えなくては」

「あぁ~っ!! そうだった、そうだった!! ついうっかりしていたな!」

「あの件……ですか?」


 あの件って何だろう?


 メイド長に内緒で、大奥様と二人でお茶会をしたことがバレたのかしら?



「アカーシャは以前から、正規雇用のメイドになりたがっていただろう?」

「え? まぁ、はい……」

「メイド長がアカーシャのことを高く評価していてな。お前を王都にあるメイド学校に入学させたらどうかと推薦してきたんだ」

「王都の学校っ!? 推薦って……クアレメイド長がですか!?」


 王都のメイド学校と言えば、この国でも一流の学校だ。


 本来は貴族の関係者しか入学できないけれど、卒業さえすればどの貴族の家でも働けるという。


 しかもそれをあの鬼のメイド長が私を推薦してくれるだなんて……。


 玄関ホールの方を振り返れば、メイド長が顔を真っ赤にしていた。いつもの怒り顔ではなく、恥ずかしそうにプルプルと肩を震わせている。



「旦那様、それは言わないって約束したじゃないですか……」

「おっ、そうだったか? すまん忘れていた!! がはははっ!!」

「まったくもう。貴方ったら本当にデリカシーが無いんだから……」


 高笑いを上げている旦那様を女性陣二人が冷めた目を向けている。だけど本人はまったくのお構いなしだ。


 本当にこんな調子で貴族の当主をやっていけているんだろうかしら?


 そんな余計な心配をしたくなる。



「推薦は嬉しいのですが、私は……」

「ん? あぁ、もしかして魔法のことを心配しているのか?」

「はい。私は貴族ではないので……」


 この世界には魔法がある。だけどそれは貴族という選ばれた血筋だけが扱える、貴重な力だ。


 だけど私にはなぜか魔法が使えてしまう。しかも他の人と違って、かなりヘンテコな魔法が。


 貴族しか入れない学校に入学するとなれば、きっとその力も確認されてしまうだろうし……。



「さいわい、というか。アカーシャの『メモ魔法』はメモが上手くなるってだけの地味魔法だからな! メイドの仕事には役立つだろうが……まぁ、たいした問題にはならんだろう!」

「じ、地味……確かにそうなんですけど……」

「魔法のことよりもアカーシャさんが気を付けるべきなのは、別の存在よ。あの手帳だけは絶対に誰にも奪われないようにしなさい」


 せっかくの魔法を地味と言われ、ちょっとだけヘコんでいた私に大奥様は神妙な顔でそう言った。


 手帳というのは、さっき私が挨拶マニュアルを確認する時に出した手帳だ。私が恩人から貰った、命の次にだいじな品。書かれている内容は貴重な旦那様や大奥様にさえ、全ては見せていない。



「――はい。これは私に託された形見ですから。絶対に誰にも渡しません」

「えぇ、そうしなさい。特にには注意なさい。王都には聖女とその関係者がいます。なるべく近付かないように」

「承知しております。でも私は仇を取りたい……あの女に復讐したいんです」


 かつて私は一度、大きな過ちを犯した。


 他人に内容を明かしたことで、自分の恩人を死に追いやってしまった。



「アカーシャさん……」


 辛い過去を思い出し、私は俯いてしまった。


 私の事情を知る大奥様たちも心配してくれている。


 だけど私はこのチャンスを逃したくはない。


 復讐は絶対に遂げたいの。危険なのは、もちろん承知の上で。



「――まぁ、そういうことだ。学校当てに推薦状を用意したから、持っていくと良い」


 空気を変えようと、旦那様が私に一つの封筒を渡してくれた。


 貴族が使う上質な紙。男爵家のサインと家紋の封蝋がされている。



「ありがとうございます旦那様!」


 じんわりと目頭が熱くなってくる。


 この家のみんなが私に期待してくれているんだ。


 今は過去のことで下を向いている場合じゃない。


 私、絶対に入学してみせるわ!



「それから……これはボーナスだ。入学金の足しにしなさい」



 そういって旦那様は私の手に何かをポン、と置いて大奥様と一緒に屋敷へと入っていく。屋敷の中のメイド長も私に良かったわね、と笑顔を向けていた。


 ホッとした私はそのまま二人を見送った後、手の中を見てみると……



「やったぁ、コレって金貨じゃない!! んん~っ、さっすが旦那様は太っ腹ね。愛してる!!」



 そこにあったのは、たった一枚の金貨だった。


 でも私は大喜びで、黄金色に輝くコインに何度も何度もキスをする。


 たかが一枚、されど一枚。金貨は金貨よ!!


 これだけあれば、美味しい食べ物がたくさん買えるわ。


 王都なら、今まで食べたこともないグルメだってあるはず――と思ったら、屋敷へ戻ったはずの旦那様の大声が聴こえてきた。



「そうそう。挨拶は良かったが、ペットの餌を食べるのは止めておけよ~。メイド服が食べかすだらけになるからな!」

「ちょっ!? 何をしているのアカーシャさぁんっ!?」

「げっ!? どうしてバレたの!?」



 屋敷の中で旦那様の笑い声と、ブチ切れたメイド長の金切り声が響いている。


 慌てて自分が身に着けている服を見る。


 マズい、本当だ……さっきつまみ食いした鯉餌の食べこぼしが、メイド服のあちこちに……!



「ち、違うんです! これは鯉君たちの代わりに、味のチェックをですね」

「アカーシャさん! 今から反省室送りですからね!」

「ひいっ!? ご、ごめんなさい~!!」



 こうしてこの日、私は夢だった一流のメイドとなるため、王都にあるメイド学校へ向かうことが決まった。


 だけどその道も決して平坦じゃないのは分かっている。


 なにより王都は、欲望や陰謀がうずまくアレクサンドロス王国の中心地。


 そこでは私だけではなく、この国の運命さえも大きく変えてしまう出逢いが待ち受けていた。




――――――――――――

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続きは明日の朝7時に投稿予定です。


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