霊~ポルターガイスト~ 其の弐

 ベッドに横になると、ゴミが敷き詰められ積み上がった床の向こうには漫画や文庫本を収めた本棚と、ゴミで開かなくなったクローゼットの扉が見える。暗い部屋の中で、それらの物がぼうっと章臣を見つめ返す。


 がたん!


 クローゼットの中で何かが落ちる音がした。章臣は溜息をついた。クローゼットの中を確かめたいが、そうするためには床のゴミをどかさなければならない。それは面倒なことだった。

 それに、あのクローゼットを開けるのは少し気が引けた。章臣の脳裏に十一年前のことが湧き上がってくる。



「これ、あげるよ」

 大学の構内にあるサークルの溜まり場で春原はるはらさくらはそう言って、小さな紙の袋を章臣に手渡した。

「え、なに、これ?」

「道後温泉に行って来たんだ。そこのお土産屋さんにあったから、キーホルダー」

 黒い髪を耳にかけて、さくらは微笑んだ。章臣の頭の中には、

 ──なんで僕に?

 という疑問符が浮かび上がっていた。得体のしれない期待感と、それを打ち消そうとする悲観的な自分がいる。

 紙袋の中には、侍みたいなキャラクターを象ったキーホルダーが入っていた。

「ほら、ご当地の変なキャラのキーホルダー集めてるって言ってたでしょ? それを思い出してさ」

 それだけを言って、彼女は席を立って行ってしまう。淡い水色のコンバースが遠ざかっていくのを、章臣は寂しそうに眺めていた。



 クローゼットの中には、あのキーホルダーを入れた箱がしまってある。何度も捨てようと思ったが、章臣にはどうしてもあのキーホルダーを捨てることができなかった。

 無数の記憶の断片が蘇って、章臣は目を閉じた。恥ずかしさ、気まずさ、後悔……そういう感情が次から次へと押し寄せてくる。孤独に耐える章臣には堪える時間がやって来た。そうなると、ただ暗闇の中でじっとしていることしかできない。

 じっとしていると、いつの間にか眠気に誘われる。頭の芯がボーッとして、このまま夢の縁に落ちていける……章臣がそう感じた時、


 ざざざざざざざざざ、ざざざざ、ざざざざざざ!!


 紙やビニールが一斉に動き出す音がして、章臣は飛び起きた。床に敷き詰められていたビニール袋やお菓子の袋、Amazonの梱包材などが玄関の方に山となって積み上がっていた。数か月見なかった床が露わになっている。

 何が起こったのか、章臣には把握できなかった。まるで夢の中の出来事のようだった。ベッドの上で、ボーッと部屋の中を見つめる。玄関のドアがゴミで塞がっていた。そして、床のゴミが移動したことで、暗がりの中で浮かび上がる白いクローゼットの扉がよく見えるようになった。


 がっ! ぎいぃ……。


 章臣が見つめる前で、クローゼットの扉がひとりでに開いた。真っ暗なクローゼットの中が章臣をじっと待っているようだった。恐ろしさを感じながら章臣はベッドから立ち上がって、ゆっくりとクローゼットに近づく。

 開いた扉のすぐ足元に、さくらから貰ったキーホルダーが転がっている。

 ──箱にしまっておいたはずなのに。

 部屋が急に仄かに照らされる。章臣の背後でパソコンが起動したのだ。しばらくして、ブツン、とパソコンの電源が落ちた。


 ばたばたばたばた!


 クローゼットの棚の上に積み上げていた大学時代の参考書の類が雪崩を打って床に落ちていく。章臣は声も上げられず、クローゼットを睨みつけながらベッドまで後ずさりした。


 ごぱぁ!


 突然、本棚の本が一斉に飛び出す。章臣は息を飲んで壁に背中を押しつけた。

 ──逃げたい。

 初めてこの部屋から出たいと思った。

 ベッドから飛び出して、玄関の方へ。山のように積み上がったゴミを手で掻き出す。がさがさと音を撒き散らしていると、


 ごりごりごりごり……。


 部屋のどこかから音がする。


 ごつごつごつ……、ばぁん!


 何かを叩く音がはっきりと聞こえる。章臣は怯えた声を漏らしながら、必死でゴミを掻き分けで玄関のドアを開けようとした。普段全く動かないせいで、寒いというのに章臣は汗だくになっていた。そして、強い吐き気に襲われる。


 ぼとっ。


 ベッドの上に何かが落ちる音がして、そちらを見る。

 マットレスの真ん中にあのキーホルダーが落ちていた。章臣の全身が総毛立つ。すぐにゴミを掻き出して、ようやく露出したドアを開けて、外に転がり出た。

 凍えるような夜の空から、章臣を嘲笑うようににわか雨が降り出した。

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