#13 人の運命(3)

 どちらにしても、死を悪と見なすことはできない。

 若さや強さが時間に影響されないことを願うのは、別の問題だ。


「人の運命が不死・不滅ではないとしても、人間それぞれが自分に合った時期に死を迎えることは望ましいことだ。なぜなら、自然はすべてのものに境界を定めているように、生命にも境界を定めている。老年とは生命の到達点であり、演劇のようなものだ。疲労や苦悩から離れるべきであり、特にお腹いっぱいに人生を味わったなら、なおさらそうだ」[5]


 このような観点を踏まえて、私たちに必要なことは——、


「死のために泣くことはない

 熱病が静まっただけだ

 痛みは抑えられ、恐怖は静まり

 厳粛な希望が成就したのだ

 まどろむ深淵を照らす月光は、

 ほとんど静まることはない。なぜ泣く?


 死のために泣くな!

 涙の泉は封印され、閉ざされた瞳に

 内なる光がどれほど明るく輝くか、誰がわかる?

 冷たく静止したように見えるハートを

 聖なる愛がどれほど満たしてくれるのか、

 誰が知ることができる?」


 このような思いを抱きながら、多くの疲れた魂が安らぎを求めて帰っていくのだろう。


「あともう何年か、

 いくつかの季節が過ぎれば

 墓の中で眠っている人たちに

 会いに行ける。


 ここで、あともう少し戦い、

 いくつかの別れを惜しみ、

 もう少しの辛抱、いくつかの涙、

 そして、もう泣くことはないだろう」


 このことをシェリーほど壮大に表現した人はいない。


「平和、平和よ! 彼は死んでないし眠ってない!

 彼はという夢から目覚めたのだ。

 私たちは嵐のような幻影に迷い込み、

 不毛な争いを続けているが、

 彼は夜の影に打ち勝った。

 妬みと中傷、憎悪と痛み、

 そして人が歓喜と勘違いしているあの騒ぎも、

 彼に触れることはできず、二度と苦しめることもない。

 世界にゆっくり拡大する汚れの伝染から、彼は守られ、

 冷たくなったハートも、白くなった頭も

 もはや無駄に悩ませることは決してないのだから」


 しかし、ほとんどの人間は、それを信じることを拒否している。


「私たちは夢のごとき存在

 私たちの小さな命は

 眠りによって丸く収まる」[6]


 一般的に、「死とは、魂(soul)を精神(spirit)の束縛から解き放ち、裁きの場に呼び出す」と考えられている。実のところ、


「死は存在しない! それは移り変わりだ

 この死すべき息吹の生命は

 エリュシオンの生命の外側に過ぎない

 その入り口を、私たちは『死』と呼ぶ」[7]


(※)エリュシオン(elysian):ギリシャ神話に登場する死後の楽園。



 私たちは肉体を持っているが、「私たちはスピリット」だ。

 エピクテトスは、「私は、死体を引きずっているソウルだ」と語っている。

 肉体とは、不滅のの単なる滅びゆく塊にすぎない。プラトンは、もし神の行いが正しいなら、未来の生命(来世)が存在するはずだと結論づけた。



 どちらにしても、高齢者にとって死は解放だ。

 聖書は、平和の祝福をもっとも強調して語っている。


「平和をあなたがたに与えよう。

 世界が与えるのではない、私が与えるのだ」


 天国は、「邪悪な人が苦しめるのをやめる場所、疲れた人が安らぐ場所」として表現されている。

 ところで、誰もが「天国の楽しみは何だろう」と考えたことがないだろうか。


「私たちは知っている

 祝福された者たちがすることは

 歌うことと愛することだ」[8]


 天国で「暮らすための競争(試練)」があるという話は、一部の人間の理想と確かに一致する。もしそうなら、死後の世界では今よりも良い暮らしができるはずだ。


 平和に楽しむことができれば、この世はとても美しい。だが、単なる受け身な人生、つまり植物状態で生きていたら、この世にほとんど魅力を感じないだろう。実際、ほとんど耐え難いものだ。


 また、「変化することへの不安」は完全な幸福と矛盾するように見える。

 同じことを何度も繰り返し、単調で退屈で、救いも変化もない状態は、至福というより無気力を連想させる。


 グレッグは天国について、次のように語っている。


「神が約束した天国とは、禁欲的で独断的な神学者や、繊細な神秘主義者のものではなく、与えることも耐えることもできる厳格な殉教者のものでもない。清らかで不滅の愛情がある天国だ。永遠にページが続く知識の書であり、それを読む無限の能力であり、愛する人がいつもそばにいて誤解や苦悩もなく、輝かしい仕事と充実した能力を備え、理想の実現と問題を解決した世界を約束しているのだ」


 私も同感だ。


「それでもなお、疑問が湧いてくる。

 神は人間の大きなハートに、曇りなきものを、

 疲れた魂(spirit)が永遠の時代の終わりなき潮流の中に

 落ちないものを与えてくださるだろうか。


 これらの問いかけに、彼はこう答えた。

 もし神が、すぐに通り過ぎてしまう消えゆく世界を

 人間の目を楽しませて豊かな喜びを与えるために

 整えてくださったのだとしたら、


 一日のためではなく、

 永遠のために築かれた世界で

 神ご自身の存在が輝かしく現れるとき、

 神を待ち望む瞳は、何を見るのだろうか」[9]



 これについては、科学が答えの可能性を示唆している。

 人間を悩ませてきた問題の解決、新しいアイデアの獲得、過去の歴史の解明、動植物の世界、宇宙の秘密、星々や星の彼方にある不思議な世界などだ。


 世界の美しい場所やおもしろい場所をすべて知ることは、本当に楽しい。

 しかも、私たちが住む世界は、何百万ものうちの一つに過ぎない。


 時々、夜に星を眺めながら、「実体のないスピリットとなった私が、星を訪れて探索する特権を得ることができるだろうか」と考える。大旅行をした後、新たな興味が湧いてきて、のかもしれない。


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