#11 宗教(3)
多くのものが宗教と間違われている。
特に利己主義、恐れ、希望、音楽や芸術や華やかさへの愛情がそうだ。
しばしば、良心がそのような愛情に変質して、宝石や貴金属に依存した天の栄光が作られる。よく言われるように、多くの人は奇跡ではなくパンのためにキリストを追いかける。
ほとんどの場合、宗教の違いは主に言葉によるものだ。
東方には、アラブ人、ペルシャ人、トルコ人、ギリシャ人の四人の男が一緒に食事をすることになったが、何を食べるかで喧嘩になったという物語がある。トルコ人はアズムを、アラブ人はアネブを、ペルシャ人はアングルを提案し、ギリシャ人はスタピリオンを主張した。彼らが言い争っていると——、
「目の前をブドウを積んだ庭師のロバが通り過ぎた。四人は立ち上がり、その紫色の荷を熱心に手にとって見せた。トルコ人は『アズムを見ろ』と言い、ペルシャ人は『アングルだ』と言い、アラブ人は『より良いものは何か、アネブで決まりだ』と叫び、ギリシャ人は『これは私のスタピリオンだ』と言った。彼らは納得してブドウを買った。この物語はあなたたちへの教訓だ」[2]
あるとき、スタンリー司教がビーコンズフィールド卿に自分の考えを説明したところ、卿は「ああ、それは結構だが覚えておいてほしい。教義なくして司教なしだ」と答えたと言われている。スタンリーのような司教を失うことは、実に大きな不幸だ。彼の意志は継承されるだろうか。
宗教は、ドグマ(独断的な教義)に基づいて成り立っているわけではないのに、ドグマに圧迫され押しつぶされることが多すぎる。
スタンリーが英国国教会のために大きな貢献をしたことは、誰も疑わないだろう。
(※)スタンリー司教(Dean Stanley):本名はアーサー・ペンリン・スタンリー。ウェストミンスター司教。自由主義神学者として知られ、宗派を超えたその活動は、伝統的な教会指導者・派閥から猛反発された。
(※)ビーコンズフィールド卿(Lord Beaconsfield):ヴィクトリア女王の寵愛を受けた首相ベンジャミン・ディズレーリのために創設された伯爵位。ベンジャミン・ディズレーリは妻に爵位を譲り、庶民院の議席を保持し続けた。
私たちはスピノザの思想に必ずしも同意できないかもしれないが、次の言葉は正しいのではないだろうか。
「神の法則における第一の戒律とは、実は、全体であり本質でもある——神を至高の善として無条件に愛することだ。私が思うに、無条件に愛することが肝要で、それ以外の(条件付きの)愛や恐怖からではない」
そして、宗教の本質とは、
「正義と慈悲を喜ぶ至高の存在だ。救われたい者はそれに従う義務があり、その崇拝は『隣人に対して正義と慈悲を実践する』ことである」
このような信念にあるのではないだろうか。
疑いには二つの性質があり、私たちはしばしば「賢明な判断保留」と「迷いの弱さ」を混同してしまう。
十分な理由のない意見を表明することは、明らかに非論理的だ。
しかし、行動する必要があるときは、それがわずかであっても、利用できる最善の根拠に基づいて行動しなければならない。ここに良識の重要性、将軍の本能、政治家の聡明さがある。
懐疑論者として知られるピュロンは、行動をためらうという意味では愚かだが、判断を保留するという意味では賢明だったといえる。哲学のあらゆる議論に抵抗した後、怒った犬に立場を追われたときには謝罪している。
キリストが、弟子たちのために必要と考えたものを聖書から集めてみよう。ドグマがいかに少ないかがわかる。
「純粋な宗教と汚れなき行為とは、苦難の中にいる孤児や未亡人に寄り添い、自分自身を世界から見えないようにすることだ」
「このことによって、すべての人はあなたが私の弟子であることを知るだろう。あなたたちが互いに愛し合うならば」
「幼子を私のところに連れておいで」
幼い子供たちが教えてくれる教訓は、宗教とはハートの中にあるもので、
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