#5 芸術(1)
高度な芸術(High Art)とは、自然を変えることでも改善することでもない。
あらゆる自然に「美しいもの、純粋なもの」を探し求め、それらを愛し、芸術家の能力を最大限に発揮させて、自然の中にある愛らしさを表現して芸術の域へと高め、さらに、穏やかな強調によって、人々の思考を芸術に向けさせることである。
芸術は、「美しさへの愛」が真実をひとかけらも失わない限り、アーティストが示した「美しさへの愛」に比例して偉大なものである。
——ラスキン
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私たちが所有する最古の芸術作品は、動物を表現したもので、実に粗野だが、しばしば際立って特徴的で、シカの角や骨に刻まれたり彫られたりしている。
イギリス、フランス、ドイツの洞窟で発見されたものは、石やその他の粗末な道具とともに、氷河期末期に属する哺乳類の骨が含まれていた。
現在は温帯のヨーロッパに生息するシカやクマなどの動物だけでなく、トナカイ、ジャコウウシ、マンモスなど、北方に後退したか完全に絶滅した動物も含まれている。
今後、新たな遺物が発見されて、遠い時代の祖先の風俗や習慣について追加情報が得られることを期待してもよいと思う。
次に古いものは、アッシリアやエジプトの墓、神殿、宮殿に描かれた彫刻や絵画である。
芸術作品として考えると、このような古代の情景は、間違いなく多くの欠点があるが、にもかかわらず、いかに生々しく当時の物語を伝えているか!
現実で王は兵士より大きいとは限らないが、これらの戦闘シーンでは王は常に大きく表現されている。しかし、古代の戦争では、実際に、戦闘の大部分は族長によって行われたことを忘れてはならない。
この点で、ホメロスの詩はアッシリアやエジプトの表現に似ている。
いずれにしても、誰が王で、誰が将軍で、どちらが勝利したか、奮闘する者と苦しむ負傷者、敵の逃走、避難する町など、誰が見ても一目で知ることができる。
しかし、現在の戦闘写真では、物語がそれほどはっきり分からない。実際、素人の目は、しばらくの間、緋色と煙しか見ることができない。
古代の作品は、後世の芸術のような美しさはないが、独自の壮大さと威厳を備えている。
ギリシャでは、芸術がかつてないほどの完成度に達し、おそらくそれ以後はないほど高く評価されるようになった。
デメトリオス一世がロドス島を攻撃したとき、プロトゲネスは『イアリュソス』を描いていた。プリニウスは次のように語っている。
「デメトリオス王がロドス島攻略をためらったのは、その絵が燃えることを恐れたためだった。他の近い場所から町を攻撃することもできなかった。すでに手中にある勝利を確実に手に入れることよりも、絵を残すことを喜んだのである。当時、プロトゲネスは町から離れた公園に画室を持ち、敵軍の野営地のすぐ近くにいた。そこで毎日、すでに描き始めた作品を仕上げ、兵士の騒音が彼の作業を邪魔することはなかった。デメトリオス王はプロトゲネスを連れてこさせて、『敵の中で仕事をするほど大胆でいられるのはなぜか』と尋ねると、彼は『王が遂行する戦争はロドス人に対するもので、芸術に対するものではないと理解している』と答えた」
ギリシャの衰退とともに芸術も没落したが、十三世紀にチマブーエによって復活し、それ以来、芸術は飛躍的な発展を遂げるようになった。
(※)デメトリオス(Demetrius):マケドニア王。攻城戦が得意だったため攻城王と呼ばれた。
(※)プロトゲネス(Protogenes):古代ギリシャ時代の画家。素描も色彩画も精緻で入念に仕上げることで知られ、大作『イアリュソス(Ialysus)』を七年がかりで完成させた。
(※)プリニウス(Pliny):古代ローマの博物学者。百科全書『博物誌』を著す。
(※)チマブーエ(Cimabue):ゴシック期、フィレンツェ絵画の先駆者。
芸術は、人間の幸福における最も純粋で最高の要素の一つである。
芸術は、目を通して心を鍛え、心を通して目を鍛える。
太陽が花を彩るように、芸術は人生を彩る。
ラスキンは次のように語っている。
「真の芸術は、人間の手と頭と心が一体となっている。しかし、芸術はレクリエーションではない。暇なときに学ぶことはできないし、何もすることがないときに追求することもできない」
学びと作業で作られた偉大な作品が、魔術によるものだとされてきたのは、東洋だけではない。
学びと作業はすべての人を芸術家にすることはできないが、学びと作業なしで芸術で成功することはできない。芸術において、2足す2は4にならないし、小さなことを数多くしたからといって偉大なものが出来上がるわけでもない。
高い権威のもとで、芸術の目的は喜ばせることであると言われてきたが、これはとても不完全な定義だ。図書館は快楽と装飾のためにのみ存在する、と言うに等しい。
芸術は、「人間的な要素を取り入れる」という点で自然の利点があり、それはある意味で自然よりも優れている。プラトンは次のように語っている。
「もし、『自然が作り出した人間』と『芸術が作り出した人間』を比較したら、後者の作品のほうが美しく見えるだろう。なぜなら、芸術は自然よりも正確だからだ」
また、ベーコンも『学問のすすめ(The Advancement of Learning)』の中で、次のように語っている。
「この世界は
詩人たちによると、プロメテウスが美しいミネルバ像を作ると、女神はとても喜び、完成度を高めるためなら何でも天界から降ろすと申し出た。プロメテウスは慎重になり、「自分をそこに連れていってほしい」と頼んだ。そうすれば自分で選ぶことができるからだ。女神はその願いを聞き入れた。プロメテウスは、天界ではすべてのものが火によって生かされていると知って、火花を持ち帰り、自分の作品に生命を与えた。
実際、模倣(Imitation)は芸術の手段であって、目的ではない。
ゼウクシスとパラシオスの逸話は美しい物語だが、鳥や人間自身をだますことは、芸術のより高い役割に比べればささいなことにすぎない。
ヤング博士は、「『イーリアス』を模倣することはホメロスを模倣することではない」と言っているが、J・レイノルズ卿が付け加えたように、芸術家は自然を研究すればするほど、「芸術の真の完璧なイデアに近づく」のである。
(※)ゼウクシスとパラシオス:古代ギリシャの画家で、どちらが優れているかを決める絵画競技をおこなった。ゼウクシスがブドウの絵を除幕すると、あまりに写実的だったので鳥たちが飛来して絵を突いた。パラシオスがカーテンで隠された絵を示し、ゼウクシスがそれを開くよう促したところ、そのカーテンはそれ自体が描かれただまし絵だった。
「規則と注意事項に従って、優れた彩色が何を構成しているかをはっきりと明確に学んだ後は、いつも身近にある自然そのものを頼りにするしかない。その真の素晴らしさに比べたら、どれほど素晴らしい彩色画もかすかで微弱なものにすぎない」[1]
芸術は、模写(Copy)するだけでなく創造しなければならない。
よく、ヴィクトル・クーザンが次のように語っている。
「『現実なき理想』は生命を欠き、『理想なき現実』は純粋な美を欠く。両者は団結しなければならない。手を結んで同盟を結べば、最高の仕事ができる。このように、美とは絶対的な観念であり、不完全な自然の単なる模写ではない」
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