お気を付けください

 チャットがきた。


『おっす! 明後日の休み、どっかいこ~☆』


 堤さんから、お出かけの誘いがあり、ボクは喉が鳴ってしまう。

 だって、女の子からお誘いなんて、生まれて初めてだ。

 しかも、クラスの女子ときた。


「お、ぉ。ど、どうしよう」

「……何ニヤついてんの?」


 驚いて振り返ると、いつの間にか部屋に入ってきたお姉ちゃんが、スマホを覗き込んでいた。

 咄嗟に隠し、距離を取る。


「お姉ちゃんっ。窓じゃなくて、ちゃんと入り口からくればいいのに」

「バカね。あの淫乱家政婦がいるでしょ」

「い、淫乱って……」


 酷いよ。

 家事を全部こなしてくれてるのに、その言いぐさは。


「なによ。本当のことでしょ」

「そんなこと、ないと思うけど」

「甘いわね。どうせ、あなたの事だから、子供みたいに甘えて鼻の下を伸ばしてるだけでしょ」


 図星だ。

 何も言い返せないでいると、お姉ちゃんは勝ち誇ったように、腕を組んだ。


「どうしても甘えたいなら、他にいるでしょ」


 顎を持ち上げ、上から見下ろしてくる。

 甘えたい相手、と言われて、安城さん以外で思い当たるのは一人しかいない。


「シズカおばさん?」


 ぺちんっ。

 頬を叩かれて、後ずさる。


「あなたって、ほんっとバカね! 年増に甘えるのは気持ち悪いから止めなさい」

「さっきから、ひどいよ。シズカおばさんは、だと思うけど」

「……う、うるさいわね」


 ぐにっ。

 今度は頬を抓られ、グリグリと顔を振り回される。


「い、いはいっ」

「レンはあたしの物でしょ。あたしだけ見ていればいいの」


 解放され、ひりつく頬を押さえた。


「それより、さっきの相手。気になるわ。スマホ貸して」

「……や、やだ」


 苦手なお姉ちゃんだけど、ボクは精一杯の抵抗をする。

 友達との連絡にまで口を挟まれたくない。

 ボクが抵抗の意思を示すと、ムッとした表情になる。


「なんですって?」

「友達と連絡取り合ってただけだよ」

「それって、どういうお友達?」

「……クラスの子だけど」


 怪訝な表情で覗き込んでくるので、ボクは少しずつ後ずさる。

 お姉ちゃんは逃すまいと、横に移動して、いつでも飛び掛かれる態勢だ。


「女?」


 どうして、みんな性別を気にするのか。

 ボクにとって、友達は友達だけど、正直に答えたらいけない気がした。


「お、男……」

「女ね」


 まだ答えていないのに、断言するのだ。


「貸して」

「や、やだ」

「もう! 今日はいつになく強情じゃない!」

「友達だもん」


 ジリジリと迫るお姉ちゃんに対し、ボクはタイミングを見て、背中を向けた。


「待て!」


 入り口のドアを開けて逃げ出す。

 だが、お姉ちゃんの方は素早くて、逃げる際にスマホだけを手離してしまい、体が部屋の中へ引きずられていく。


「このっ、ろくでなし! どうせ、発情した猿みたいに、色気振りまいてたんでしょ!」

「ち、違うよ!」

「嘘吐きなさい!」


 ひっくり返され、いつもの馬乗りの体勢で、腰元を大きな尻で潰される。身動きができない事をいい事に、お姉ちゃんは頬を引っ張ってきた。


「誰? 相手の名前を言いなさい!」

「んん!」

「白状しないと……っ!」


 手を振り上げるのが見えて、咄嗟に目を閉じた。


「堤カリン様ですよ」


 ビンタは飛んでこなかった。

 目を開くと、お姉ちゃんの腕を掴む安城さんが傍に立っていた。


 助けてくれた。と、安堵したのも束の間、ジロっとした目がボクの方に向けられる。


「同じクラスの子だそうです」

「ふ~ん。堤カリン、ね。覚えたわ」

「ところで、ケイ様」

「なによ」

「次から、窓からの侵入をご遠慮願えますか?」

「あたしの勝手でしょ」

「これは、ケイ様の事を思って、忠告しているのです」


 お姉ちゃんは、ボクから下りて立ち上がると、真っ向から安城さんを睨みつける。が、その表情が強張った。


「何分、この家には女しかいないので……」


 安城さんが後ろに隠していたものを見せる。


「誤って刺し殺してしまえば、……取り返しがつきません」


 手に持っているのは、果物ナイフだった。

 よく研がれているようで、照明の光が反射して、お姉ちゃんの目元を一瞬だけ照らす。


「ふ、ふん。なによ。脅してるつもり?」


 お姉ちゃんは気が強いので、一歩も引いてくれない。

 何やら、不穏な空気が漂っているので、ボクは勇気を振り絞って間に入った。


「落ち着いてよ。二人とも。次から気を付けるで、いいじゃないか」

「この売女ばいたが悪……」


 言いかけたところで、ボクはお姉ちゃんの腕を押さえた。


「お姉ちゃん! お願いだから、今日は部屋に戻って」


 殺人事件なんて、シャレにならない。

 ボクが必死にお願いすると、お姉ちゃんは何も言わずにボクと安城さんを見る。


 べちんっ。


「い、った!」


 強めに叩いて、お姉ちゃんは部屋を出て行った。


「大丈夫ですか?」

「う、うん」


 安城さんが肩に手を置いてくる。

 その手にはナイフが握られていて、切っ先が頬に当たっていた。

 幸い、切れてはいないけど、言葉にならない威圧を感じてしまう。


「レン様も、お気をつけくださいね。ランは加減を知りませんので」


 吐息混じりに耳元で囁かれ、背筋がゾクリとする。

 黙っていると、目の前に落としたスマホを差し出され、そっと受け取った。


「では。今日は遅いので、早く寝ましょう。準備をしてまいります」

「……はい」

「いい子ですね」


 と、囁かれ、頬に柔らかな物が触れる。


「……ちゅ……っ」


 軽い水音が鳴り、安城さんが離れていく。

 甘いキスなのに、目だけはどこまでも冷たかった。

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