小さな館

 ボクが辿り着いたのは、緑に囲まれた小さな館だった。


 映画やドラマで観るような大豪邸ではない。

 小ぢんまりとしていて、けれど普通の家よりは大きな建物。


 白い鉄格子の門があり、それを潜ると赤いレンガで敷地が囲まれている。


 正面には二階建ての館。

 館の陰には、小屋が見える。

 門の傍には花が植えられており、広い庭には松の木などが何本か立っていた。


 広さにして、普通の家が三つ、四つ並んでいるほどか。

 迷うほどではないにしろ、普通の人間は住めないような住宅なので、何だか落ち着かなかった。


 広い庭に立って、呆気に囚われていると、背中を優しく撫でられた。


「緊張しなくていいわ。今日から、ここに住むのですから」

「は、はい」

「……見た目ほど、豪華なものではないわよ」


 高圧的な口調なのに、どこか相手を気遣う優しさが伝わってくる。

 おばさんは見た目ほど、怖くないのかもしれない。

 頭を撫でられ、後をついていく。


 扉を開けると、今度は広い玄関が目に飛び込んできた。

 左側には高さのある靴棚があり、右側には階段が見える。

 吹き抜けになっているようで、二階の柵から玄関が見下ろせる造りになっていた。


 その柵に人影が見える。


「……ケイさん」


 彼女がボクを見下ろしていた。

 隣では、おばさんが靴を履き替え、二階から見下ろすケイさんに声を掛ける。


「ケイ。宿題はやったの?」

「必要ないわ。全て頭に入ってるもの」

「なら、部屋に戻って、読書をしていたらどうかしら。あなたがそこで見下ろしていると、この子が緊張するでしょう」


 ケイさんは冷めた目で、おばさんをジロっと見ていた。

 何も言わずに、そっぽを向いて奥へ消えてしまう。


「気にしなくていいわ。さ、上がってちょうだい」

「お、お邪魔します」


 つい、頭を垂れて答えてしまう。

 すると、おばさんはクスリと笑った。


「?」

「自分の家なのに、お邪魔します、はおかしいわ」


 まだ自分が住む家という感覚がないので、他人行儀になってしまう。

 ボクは下を向いたまま、控えめに言った。


「た、……ただいま」


 *


 ボクの部屋は一階のリビングを通り過ぎ、突き当りに当たる部屋だった。

 向かい部屋には、お手伝いさんの住む部屋がある。


 何か困ったことがあったら訪ねて、ってことか。


 自分の部屋に案内されると、届いた荷物は隅っこに積まれており、窓際にベッドが見えた。


「誰も使っていないから。ちょうどよかったわ」

「ひ、広いなぁ」


 20畳半はあるか。

 いや、それよりもうちょっとあるくらいだ。

 閉めていたカーテンを安城さんが開けてくれると、殺風景な部屋がよく見渡せる。


 部屋の中にはクローゼットがあり、開いてみると、当然だが何も入っていない。


 ただ、部屋の広さに落ち着かない場合は、クローゼットに住んでもいいかもしれない。と、思えるくらいには、広さがある。


「あなたの荷物。少ないのね」


 おばさんが、段ボールを下ろして言った。

 届いた荷物は、せいぜい三つの段ボール。

 衣服や自分の食器。本やノートパソコンの私物。

 それくらいなもので、ほとんど荷物はない。


 本当はゲーム機とか持っていたけど、生活が苦しくて、大量の本と一緒に売り払った。


 元々、お金なんかなくて、大してゲームをやれていなかった。

 毎日がノートパソコンで、動画を見たり、本は気に入った小説を読み返したり、図書館で借りて過ごしていたので、私物が少ないのだ。


「一人で、できますので」

「そう」

「ありがとうございます。おばさん。何から、何まで」


 ふと、顔を見上げると、おばさんは視線を落として黙っていた。


「あの……」

「シズカ、でいいわ」

「え」

「名前、覚えてないのでしょ。わたくし、藤野シズカ。旦那は、キミオよ。失礼のないように、覚えておきなさい」

「あ、すいません。し、……シズカ、……おばさん」


 頭を下げて謝ると、続けてお手伝いさんを紹介される。


「こちらが、ウチで雇ってる家政婦の安城ランよ。ご挨拶なさい」


 安城さんがお辞儀をする。


「安城ランです。何かお困りでしたら、お声を掛けてください」


 後ろから光を浴びた安城さんは、やはり綺麗なお姉さんだった。


 全体的にウェーブの掛かった髪は、光のおかげで透けていて、艶が映えている。青いシュシュで、サイドテールにした髪はお辞儀の所作で揺れ、無感情というわけではないが、人形のように落ち着いた人。


 たぶん、アニメや映画で言うところのメイドさんって感じか。


 そういった創作物で描かれてるような、ガチガチに従者としての教育とか、上品さに徹底しているわけではない。

 だが、一つ一つの所作は丁寧で、柔らかいものだ。


 ボクもお辞儀をして、「よろしくお願いします」と挨拶をした。


「テーブルやソファの家具は、後で一緒に見に行きましょう。好きな物を選ぶといいわ」

「はい。ありがとうございます」


 すると、またシズカおばさんは黙ってしまった。


「敬語は、徐々にでいいから。やめてちょうだい」


 嘆息して見下ろした眼差しには、悲哀の念が宿っていた。


「家族、……でしょう」

「は、はい。あ、……う、…………うん。はい」


 頬を指で押され、何だか照れくさくなった。

 シズカおばさんは、「片付けが終わったら、リビングにきて」とだけ言い、部屋を出て行く。


 残されたボクは、安城さんと一緒に段ボールの中身を出して、クローゼットなどに収納していく。


 一人でもできたが、安城さんは何も言わずに手伝ってくれた。

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