ぎこちない
本音を言うと、少し気まずい。言葉の綾とはいえ傷付けてしまったのは事実だし、なんと言おうか、なんて考えるけれど、上手い言葉が見付からない。いや、俺は元々言葉が上手くない。
「おい、柳田」
胴着に着替えながら俺を呼んで、俺のストレッチの邪魔をしたのは清水で少しだけ眉間に皺が寄っている。
「なに?」
「お前、言い方悪いぞ。すんげぇ落ち込んでたんだからな」
髙橋のやつ、と、そうだよな、なんて軽くは済ませられそうもない情報に顔が引き攣る。
ああ、なんか帰りたいかも。
「悪ぃ、気を付ける。」
とはいうものの、アレを聞いて落ち込むなんて、そんな、まさか……ねぇ?
身に覚えがないわけではない。一番最初に“アレ?”と思ったのは、クラスでバースデーティーンをやった日だ。自己紹介のあとにずっと逸らずに俺を見詰めていた目と、あとから知った普段の侑司と比べると下手くそな、けれど照れたような笑顔と。それと、少しだけ潤んだ目が俺に警鐘を鳴らしたのだ。
髙橋侑司に不用意に近付いてはならない、と。
けれど、侑司は人懐っこくて、いいやつで、分け隔てなく誰とでも仲良くするから、俺もほんの少しだけ心を許してしまっていた。いや、悪いことではない。名前で呼んでくれと言われたのだって、拒否する理由もなかっただけだし。あだ名だって、そうだ。
「準備できたら並んで正座してくれなー」
着替えを済ませた先生が更衣室から出てくる。清水も胴着の上から胴を着け終わったところで、防具袋から見慣れた面と小手、手拭いを出した。道場のやつらと揃って柔らかい畳の上から堅い板張りの床へと移り、八古の知り合いがいる私立校のやつらの後ろへと並んで正座する。
「あれ?ふたりは?」
と、先生は八古と侑司に目を遣って不思議そうに首を傾げた。清水がすかさず手を挙げる。
「俺の友人です。無理言って誘いました」
「あ、そ。オーケーオーケー」
全然いいよー、と緩く返して先生も左膝から神棚を背に正座した。それを見て、少年団の中学生が声を張る。
「一同、礼!」
よろしくお願いします、とそれに続いて床に両手を突き挨拶をする。顔を上げた時には、先生の顔に緩い調子なんて微塵もなくなっていた。
「今日はちょっと出稽古と道場の子達が被ったけど、お互いいい刺激になると思うから、文字通り、切磋琢磨するように。怪我をしたら無理はしないこと。ちゃんと言うようにな」
はい、面着けて、と優しい口調で促すと、少年団の子ども達と道場の子ども達がくるりと後ろを向いた。懐かしいようでそうでもない光景に、少しだけ表情筋が緩む。一方、中高生は手拭いの両端を持ち、前髪を掻き上げるようにそれを当てる。何度やったかなんて忘れてしまった巻き方を、いつも通り。
「あの巻き方懐かしいよな」
「俺には折り紙で作ったカブトにしか見えねぇわ」
「あ、ちょい似てる」
小声で隣に座る清水と話し、小さく笑う。顔の前に余っている手拭いの端を後頭部へと向けて撫で付ける。
「ハルキくんカッコいい!」
「え〜、知らなかったのか?」
「準備終わったら並べよー」
道場では稽古の時間が異なる子ども達は、俺や清水の手拭いの巻き方を見て目を輝かせる。しかし、準備が終わった子達はさっさと少年団の子達の列へと入っていった。
「ケンくん、面紐締めてー」
「ハイハイ、ちょい待ち」
ひとり、面紐を解いてもたついている子が清水を呼んだ。清水自身も面紐を結び直し、グッと強く引いて頭の後ろへと掛けると、パンッと乾いた音を数回響かせた。
「ハルキくん俺のやってー」
「なんだなんだ、みんな出来ねぇの?」
「師範は五年生になんねぇと教えねぇんだよ」
呼ばれるままに竹刀を小脇に挟み、俺を呼んだ子の背後に立つ。緩くなっている面紐を一度解き、面乳革に結ばれている紐を手繰り寄せ、緩んでいる紐を締め直す。
「キツくないか?」
「ダイジョーブ」
そのまま紐を後ろへと回し結んでやると、小さな手が伸びてきた。
「なに?」
「これやりたい」
「いいとこ取りかよ」
俺が揃えて結んだ紐を両手で掴み取り、思い切り面に当てパンッと音を立てた。
「あ、おい、下のとこ引っ張れよ」
「どこ?」
ここ、と肩に掛かっている面布団を広げてやる。するとすぐに、その子は駆けて行ってしまった。
「柳田、早く」
「おう」
それぞれ子ども達の面紐やなんやを整えてやっていた道場のやつらも、周りに一足遅れて列に並んだ。
「出入り口側の列の子が先だからな」
と、説明をしながら先生は一人一人の体格を見て並べ替えていく。俺は変わらず清水の隣だ。
「切り返し、始め」
先程までの穏やかさはどこへやら、勇ましい声で先生が言う。目の前にいるのは恐らく小学生で、こりゃ寸止めか、と力加減を考えた。小さな身体が俺に向かって飛び込んでくる。
「思い切りでいいぞー」
「はい!」
掛け声の合間、束の間鍔迫り合いとなるその時に声を掛けると、彼はしっかりと返事をして打ち込む間合いを取った。すかさず素早く俺の頭部目掛けて振られる竹刀を、胸の前で縦に構えた竹刀で受け止める。背中が壁に柔くぶつかったのを感じて、ゆっくりと足を前に運ぶ。
「もうちょい肩意識して、右手に力入ってるかも」
「はい」
短く伝えると頷いて、再び竹刀を振る。姿勢や足捌きや、肩の動きを注視して直せるところを探す。どうやら体幹が弱いらしい。今度は相手の子の背中が壁にぶつかりそうになったのが見え、剣先を下げると最後の一振りを打ち込んだ。
「交代」
「寸止めだから、安心してな」
「はい」
中高生が打ち込む番となり、それぞれ踏み込む。が、竹刀が面を打つ音は響かず、踏み込んだ踵が床を打つ音と気合いの声だけがこだました。さすが、と言ったところだろうか。道場のやつらは兎も角、少年団のやつらも、私立のやつらも、揃って寸止めをし、カチカチと時折竹刀が面縁や相手の竹刀と擦れるだけに留めている。面金から覗く顔は、笑っているように見えた。
***
まるで訓練された軍隊のように、揃って同じ動作を続ける彼らはカッコいい。やはり清水達は素人目に見ても動きが違う…‥ように見える。
「すげぇな」
「な」
隣に座る髙橋が俺を見ずに言う。俺も髙橋を見ず、目の前で行われている稽古をじっと見詰めた。
子ども相手だからだろうか。ひたすら竹刀を振っているが誰一人として強い音を立てず、気合の入った声と足音だけが響く。これだけでも凄まじい程の圧迫感があるというのに、この中で打ち合いが始まったらどうなるのだろう、と少しの恐怖と好奇心が胸を騒がせた。
「止め」
指導者の若い男が声を張り、自身も畳に置いてあった面を着けた。途端、男の声は怒鳴り声のように濁り、慣れていない俺と髙橋が驚くには十分だった。だが、その声をよく聞くとそれはただの指示で、慣れている子ども達は身体を震わせもせず従っている。
「すんげぇ声」
「あれじゃね?被ってるから」
「いや、それな。絶対喋りにくいだろ」
ボソボソと互いの耳元で最低限聞こえるように話す間も、やはり目は互いに向けず、ずっと見慣れた背中を追っていた。
「お前、なんかあったの」
「え?俺?あー、まぁ……あった、かな」
便所から戻った時、髙橋と清水は外だ、と柳田に言われた。特に気にすることでもない、と先に道場へ行くという柳田に連れられてそのまま来た少しあと。清水とともに入ってきたのはどこか吹っ切れた顔の髙橋で、柳田のことで悩んでいたヤツとは思えなかった。
「まぁ、お前がいいならいいけど」
「興味ねぇだけじゃん」
正解、と呟いても髙橋の耳になどもう入らないのだ。完全に、柳田へと意識が向いている。
先程までと違い、今度はバタバタと足を鳴らしながら、竹刀を一振りして子ども達が右へ左へと駆けていく。思っていたよりも、剣道の稽古というのはやることが多いらしい。一巡し、清水と柳田が指導者に腕を引かれた。
「いいか、二人にまず手本やってもらうから見てろよ」
清水は少し身を屈めて、柳田は少しだけ指導者の口元に耳を寄せるようにして、これから見せるという手本の内容を確認している。それから数度頷いて、今度は清水が自分の胸元と柳田を差すように手を動かし、自分の胸元で手を止め柳田と頷き合った。中央になにか目印があるのか、足元を確認してふたりは立つ。
「みんな一回畳に座って。あいつら本気でやる気だから」
下げていた竹刀を互いに構え、掛け声のような、気合の入った声を二人揃って上げている。それを横目に、他のヤツらはこちらへと足を向け、それぞれ竹刀を身体の左側へ置き座った。
「中学生の子はしっかり見てなさい」
「はい」
全員が面を外し、まじまじと清水と柳田を見詰める。ふたりは既に集中しているようで、カチカチと竹刀の先を弱くぶつけ、タイミングを計っていた。
柳田が大きく踏み込む。
ダンッと強く床を打つ音と、勢いよく振り下ろされた竹刀に対して、清水は構えている腕を少し高くし、グッと身体を前に出す。
--打てない。
と、素人が見ても分かる程、柳田の竹刀は狙いから大きく外れ、振り下ろせる訳でもなく柳田はそのまま身を引かざるを得なくなる。が、清水は更に踏み込み、竹刀を振り下ろし、素早く身を引いた。大声を出すイメージなんて清水にはないが、肺いっぱいに取り込んでいた空気を全て吐き出したような、そんな声を発しながら。
乾いた音は確かに響いた。だが、打つのが早くて、早過ぎて正直当たったかは分からなかった。指導者や見ていた子ども達、道場の奴らは小さく拍手をし、私立の奴らは不貞腐れたように音のない動きだけのそれをやって見せていて、決まっていたのだと分かった。
指導者が立ち上がり、動きを交えて説明をする。
「今の動きよかったな。まず柳田くんの打撃を構え崩さないで防いで、前に出た分と柳田くんが下がった分の間合いから打ち込む。竹刀の振りも早いし、足捌きもいいから出来る、きれいな引き面だったな。巧いね」
「ありがとうございます」
にこやかに言う指導者と、少し照れ臭そうに返す清水が場を和ませる。それも束の間で、面着けて、と穏やかに促し、指導者は畳から板張りの床へと戻っていった。清水の友人や私立の奴らも面を着け、小走りに先程と同じ並びになる。
「カッケェな」
そうだな、と呟いたが、それは彼らの声に掻き消された。
目の前で人酔いを起こしそうな程、人が入り乱れている。カメラワークが下手で酔うとか、運転が雑で酔うとか、そんなレベルの話ではない。人と人とが絶妙に互いを避けながら、しかし、目の前に相手を必ず討ち取ろうと標的を違えることなく、間違いなく一対一の形式を成している。
その中で、一人が竹刀をパッと縦に持ち、相手の動きを止めさせた。
竹刀を立てたのはよく見ると清水で、道場の壁伝いにこちらへとやって来る。相手は柳田だった。
「マジ、手入れしろよ」
「いや、今割れたんだって」
ごめんって、と柳田は不貞腐れたように言いながらも清水を心配しているようだ。
「どしたん?」
髙橋が聞くと、清水は身に付けているものを取りながら話し始めた。
「柳田の竹刀ささくれてて、それ目に入った」
「水道で流してきたら?」
「いや、取れるから大丈夫」
と、人の身体なのにも関わらず適当なことを言うあたり、柳田らしいと思ってしまう。
清水は指先で赤く潤んだ目に触れ、目に入ってしまったものを取ろうとしている。が、何度かそうしても違和感がなくならないらしく、ちょい、と柳田を呼んだ。
「目薬ある?あとお前予備の竹刀あんの?」
「目薬はねぇけど竹刀はある。」
「そっちも確認しとけ。ヤスリなら俺持ってっから」
ダメだ、と呟いた清水は顔を正面に向けまばたきをした。真っ赤な左目からボロリと大粒の涙が溢れる。
「あー、いってぇなこれ。取れねぇ」
「見せろ」
「え、」
見ていられなくて、思わず手を伸ばしていた。清水の顔を上へ向かせ、真っ赤になった目の中から一筋の白を見つけ出す。動くなよ、と言うと頷きもせず、小さく、おう、とだけ溢れたのが聞こえた。
指先で優しく、眼球には触れないように撫でると、指先に白い小さな破片が付いてきた。
「まばたきしてみ」
「ん……あ、取れた」
サンキュー、と笑った清水の空気が柔らかくて、こんなことするんじゃなかった、と後悔した。
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