第11話・街からの訪問者
昼食を終えて、再び調薬の作業を始めた頃、ベルは館に張っている結界の揺らぎを感じた。
はぁ……また、誰か来たのね。馬が……三頭かしら。
森の道が開いた途端、次々に人が来るようになってしまい、正直うんざりしていた。数年も閉ざされていた反動は思っていたよりも大きかった。誰も来ることのない、静かだった頃が懐かしい。
結界への侵入を確認してから、しばらく後に作業部屋の扉を世話係が叩く。つい先日まで別のところに仕えていたのが信じられないほど、以前と同じように別邸で動き回っているマーサ。散らかり放題になっていた館は、あっという間に磨き上げられ、祖母が居た頃の姿に戻された。その行動力と逞しさにはさすがのベルも素直に感心していた。
「お嬢様。ジョセフ様がいらっしゃいましたよ」
「あら、追い返してもらえる?」
「まっ! そんなこと、できかねますっ。お急ぎになってくださいまし」
あわよくばと言ってみたけれど、やっぱり無理だった。ベルは心の中で舌打ちする。作業の手を止め、渋々と客人が待つ玄関ホールへと向かいながら、今日はもう調薬作業には戻れない予感がした。
「ごきげんよう、ジョセフ」
「べ、ベル! アナベル!」
ジョセフはベルの姿を見るなり、腰かけていたソファーから慌てて立ち上がる。ようやく顔を見れた安堵と、溢れんばかりの喜びに破顔する。
「森の道が消えてから、気が気でなかった。無事で良かった」
愛おしさに溢れる瞳を向けられても、ベルの表情は冷ややかだ。
「昨日、叔父様にはお会いしましたわよ?」
「ああ、父からは全く変わりないと聞いたが……」
自分の目で確かめなければ信じられなかったと、真っ直ぐな目で見つめる。
立ち話もなんだからと座るように促して、ベルも従兄弟の向かいの席に腰掛けた。すぐさま、マーサが二人分のお茶を運んでくる。
領主のご子息の訪問に、マーサはご機嫌で張り切っているようだった。
「はぁ……お忙しいでしょうに、わざわざありがとうございます」
「そんなこと、君の婚約者として当然だ」
「あら、その婚約は随分前に解消させていただいてますわよ?」
何をおっしゃっているのやらと、半分呆れて言い放つ。
「僕自身は婚約解消は認めていない!」
「私はさせていただきましたし、叔父様からも了解をいただきましたわ」
子供の頃に親同士が決めて一時的に婚約者となってはいたが、ベルが魔女として別邸で暮らすと決めたことで破談にしてもらったはずだった。
戦力にもなり得るほどの魔力持ちは国家レベルで守らなければならないし、その意志は尊重されなければならないとされている。そして、ベルの魔力量はそれに該当していた。
「なにも私でなくても……他にも縁談はたくさん来ているんでしょう?」
心の中では面倒だわと思いつつも、宥めるように問いかける。この従兄弟は思い込みが激しくて、昔から扱いが難しかった。同じ歳とは思えないほどに幼く感じることがある。
「君でなくてはダメなんだ。子供の時から決めているんだ」
「あー、あれね。私があなたを魔獣から助けたっていう……」
「そう、あの時の君は僕の為に大切な薬まで使ってくれた。僕はあの時に決めたんだ、君を幸せにすると」
熱く想いを語るジョセフに、ベルは頭を抱えた。勘違いもここまでくると尊敬に値する。
彼が言う、ベルが彼を助けたという事件は実際には存在しないも同然なのだから。
十歳かそこらの頃のこと、ベルが一人で森に入って薬草の採取をしていると中型の魔獣に襲われかけたことは確かにあった。その歳で既に魔法を使いこなしていた彼女はそれをいとも簡単に撃退したのだが、どうもその時、ジョセフは彼女の後ろからこっそりと付いてきていたらしい。
道中は付けられているのには全く気付いていなかったが、魔獣の姿に慌てふためいて足を絡ませ転び、膝に擦り傷を作って泣いている従兄弟を見つけてしまった。
怪我人をそのまま放っておく訳にもいかなかったのもあるが、早く試してみたくて持ち歩いていた薬が丁度ポケットに入っていた。それは生まれて初めて一人で調合した傷薬だったのだが、使うタイミングになかなか巡り合えなくて、たまたま持って歩いていたというだけだった。
ベルからしてみれば、効力を確かめたくて仕方ない時に、ぴったりな試験体が目の前に転がってきたというだけの話。
なのに、思い込みの激しい彼にとっては、強く優しい従姉妹が守ってくれて手当してくれたという清く淡い思い出となってしまっているようだった。
そんなつもりは無かったと何度も否定はしてみせたのだが、全く効果は無かった。彼の深い思い込みはビクとも揺るがなかった上に、アナベルはなんて謙虚な女性なんだろうとさらなる美化に拍車がかかっただけだった。
「……叔父様は、何て?」
ベルが森で薬魔女になりたいと相談した際、領主である叔父は彼女のしたいようにすれば良いと言ってくれていた。彼はベルの魔力と魔法の技術をとても高く評価してくれている。
ジョセフのことはほとぼりが覚めたら諦めて、どこぞの令嬢と見合いでもするだろうと高をくくっている節があった。
叔父様は実子への評価が甘すぎるわね……。
「父のことはいいんだ。大事なのは僕達の気持ちなんだ」
「なら、婚約は破棄で」
「だから、破棄なんてしないから!」
生産性の無い従兄弟との会話は、お供の護衛騎士が帰宅を促しに来るまで続いた。
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