その16 治験モニター

 東京都千代田区にある私立ケインズ女子高校は本来の意味でリベラルな学校で、在学生には寛容の精神と資本主義思想が教え込まれている。



「創ちゃん、さっき収穫したケインズいね持ってきたよ。これぐらいでよかったかな?」

「おおっ、これはこれは灰田先輩。これだけあれば十分でございます」


 ある日の放課後、私、灰田はいだ菜々ななは兼部している園芸部の活動で収穫した稲を化学実験室まで持ってきていた。


 ぐるぐる眼鏡をかけて白衣を身にまとっている女の子はケインズ女子中学校2年生の解木とかすきそうちゃんで、彼女は小学生の頃からあらゆる科学について天才的な知識とセンスを持っていることから授業時間以外はいつでも各種の実験室を使ってよいと校長先生から許可されていた。


 そんな創ちゃんは最近放課後や休み時間などにわずかな時間を見つけてはこの化学実験室に出入りしており、それはとある化学物質を研究するためだった。


「先日この稲から抽出した例の化学物質をマウスに投与したのですが、投与した瞬間から元気よくケージ内を走り回るようになりまして。先行実験でも健康への悪影響はみられておりませんゆえ、そろそろヒトを対象とした治験ちけんに移るつもりなのです」

「へえー、園芸部が見つけた稲にそんな物質が含まれてたんだね。もう詳しい成分とかは分かってるの?」


 私たちが園芸部の活動中に偶然畑に生えているのを見つけた稲は突然変異で生まれた新種で、創ちゃんの分析に基づいて今では「ケインズ稲」という名称で学会から正式に新種と認定されていた。


「ええ、その化学物質は成分としてはビタミンB1の親戚で、稲から抽出されたという点もかの鈴木梅太郎が見つけたアベリ酸とよく似ています。それにあやかってアモト酸と命名し、いずれはビタミンB群の一種として学会に認定させたいと思っているのです」

「なるほどね。あの、よかったら私を治験モニターに使ってくれない? ビタミンBって確か沢山っても人体に悪影響はないんでしょ?」

「それはそうですが、本当によろしいのですか? 灰田先輩はテニス部員ですゆえ、試合前にアモト酸を服用してアクティビティの変化を観察させて頂ければ大変助かりますが」

「全然大丈夫! あくまで園芸部の畑に生えてた植物だし、人体に悪影響なんてないと思うから」

「承知致しました。それでは次回の試合の際にアモト酸を錠剤にしてお持ちしますね」


 それから私は創ちゃんに来週予定されている私立マルクス高校硬式テニス部との交流試合の日時を伝え、試合当日に創ちゃんはタブレット状に固めたアモト酸の錠剤を持ってきてくれた。


 そして……


「菜々ちゃん、そろそろ出番よ。相手はエースの野掘のぼりさんだからバッチリ決めてきて」

「分かりました。創ちゃん、じゃあこれをお水で飲むよ?」

「お願い致します。どうぞ頑張ってくだされー!」


 3年生で部長の出羽でわののか先輩に呼ばれ、私はコートの隅で創ちゃんから手渡されたアモト酸の錠剤をペットボトルの水で飲み込んだ。


「灰田さん、今日はよろしくー。何か今回お薬の治験も兼ねてるんだって?」

「そうなんです。もう何ていうか、こう、パーンってなりそうです。頭が」

「え?」

「もう目の前に、野掘さんがいらっしゃる! って思ったらもう、イエエエエエエエ!!」

「うわっ灰田さん!?」


 アモト酸の錠剤を飲み込んだ直後から、私は頭が弾けるような感覚に襲われてテニスボールをラケットでマルクス高校1年生の野掘さんへと弾き飛ばした。


 驚きながらバックハンドでサーブを打ち返した野掘さんに、私は目をらんらんと輝かせて右手を振り上げる。


「マルクスってそうなのー!? カマしたらあー!!」

「ひいっ!? 皆、灰田さんが何かおかしいですー!!」

「この試合は、私が私らしく輝いていく戦いなんですぅ!! ルネッサーンス!! ヒャアーーー!!」

「灰田先輩、どうか落ち着いて! 治験は中止でございますうううう!!」


 創ちゃんが慌ててコートに走ってきて私を羽交い締めにすると両校のテニス部員たちも暴れる私を制止しにかかり、その後どうなったのかは記憶がない。



 (続く)

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