同い年で年上な彼女
木崎 浅黄
第1話 プロローグ
出会いと別れの季節である春。
別れの春を冬の寒さが尾を引く春だとすれば、出会いの春は陽気に包まれた暖かな春。
切なさと喜しさ。肌寒さと温もり。対極にあるものが同時に存在する季節。他の季節にはない趣がこの季節にはあると思う。
四月上旬。優しく暖かい風が吹き付け、そのあまりの心地よさに今にも眠ってしまいそうで、俺は目を擦った。
「そんなに感動するとこか?」
黒色のスーツに青色のネクタイ姿の茶髪の男が不思議そうに問う。
俺は少し慌てて、目尻から零れた数滴の涙を指で拭った。
「違う違う。男と一緒にこの場所に立っていることが何だか悲しくて」
「それを俺に言うと、俺まで悲しくなってくるだろ……」
先ほど眠ってしまいそうだと言ったがあれは嘘だ。そして彼、
この場所の情景、ここに来るまでの背景。それらが重なって込み上げて来たもの。それこそが先ほどの涙の正体だ。
「にしても、やっぱりすげぇなここ……」
翔は自分の後ろに広がる広大な敷地を見渡し、感嘆の声を漏らす。
俺と翔が立っているこの場所は、
他の大学と比べて一段と近未来を感じさせるこの情景を前に、まるで吸い込まれていくかのように見入ってしまう。それほど圧巻であり、絵になる風景なのだ。
「感心する気持ちはよく分かるが、早く行かないと遅刻するぞ」
「……そもそも俺たち、どこに行けばいいんだ?」
今日は四月二日。今日は大学での最初のイベント、入学式。先ほどから横を通り過ぎていく生徒たちはみな、俺たちと同じ新入生だ。
「入学案内に書いてあっただろ? 配られた資料くらい読んどけって」
「真面目かよ……」
翔は呆れ顔を浮かべながら、ポケットからスマホを取り出す。手早く操作すると画面上にキャンパス内の地図が表示された。
「入学式は第一体育館」
「第一体育館……、って遠くない!?」
「キャンパスが広いのは魅力だけど、裏返せばこういうことだもんな……」
長方形型であるキャンパスの長辺は約一キロ。正門とは対極の位置にある第一体育館までの距離もそのくらいであり、徒歩十五分くらいが目安だろう。
「だったら早く行くぞ。初日から遅刻なんて最悪なスタートはごめんだぞ」
「だからさっきからそう言ってるだろ……、ったく」
俺は先に歩き始めた彼を追うようにキャンパスへと足を踏み入れる。新たな一歩に、大きく胸が高鳴った。
舗装された道のりを行きながら周りを見渡す。近未来な建物ばかりに目が行きがちだが、たくさんの植物も目に映る。特にこの季節を代表する国の花を携えた桜の木は今まさに満開を迎え、薄紅色で彩られていた。
数分歩くとキャンパスの中央部に差し掛かり、開けた場所に出た。
キャンパス中央部は広場になっており、東合祭、即ち文化祭が行われる際にはここで色んな催しが行われるという。今日は入学式ということもあってか閑散としているが、普段なら色んな人が行き交う場所なんだろうなと、頭の中でその情景を妄想した。
それはさておき、先程からずっと視線を感じる。それも一つではなく、複数。
注目を浴びていると言えば聞こえはいい。だが残念ながら、ここでは悪い意味だ。
入学初日にもかかわらずこういう目を向けられる原因はもはや考えるまでもなかった。なぜならこれが、俺にとっては日常茶飯事なのだから……。
「あのさぁ……。遅刻なんかよりよっぽど酷いスタートになる予感がするぞ」
「え、なんで?」
とぼけて返す翔には、溜息一つでは済まないほどに呆れた。
「さっきから視線が痛い」
「注目されてるって証拠じゃん。ゴールデンルーキーとか期待の新星ってやつだな」
「それとは真逆と言ってもいいだろ」
絶望の白色矮星、もしくは星屑。
なんだか無駄にカッコいい名前してるせいで残念感が少ないな。悪キャラの異名みたいで、こいつにつけるのは癪だ。
「いいから止めろ」
「痛い痛い痛い痛い!」
俺は翔の二の腕を力の限り抓る。
「おい、何すんだよ!」
翔はなんとか俺から逃れると、抓られた箇所を確認して労わるように優しく撫でた。
「お前の場合は自覚しててやってるから余計腹立つ。いいか? 一年間は目を瞑ったが、四年間レッテル張られるのは絶対に嫌だから、次はただじゃ済まさないって前に忠告しておいたよな。したよな?」
そう過去に忠告しておきながら青痣は残らないように手加減してあげた俺には、むしろ感謝すべきだと思うのだが。
「別にこれくらいいいだろ? 『キャンパス見渡してただけです。冤罪です~』って免罪符がまだあるんだからさ」
「その発言が冤罪でないことを裏付けることになってるけど、それはいいのか?」
「まぁ初犯だから、今回は大目に見てくれよ」
「初犯でも実刑判決は下るし、お前は常習犯だろうが……」
翔は今日に限らず、ずっとこんな感じだ。周りをいつもキョロキョロしながら、可愛い子がいたら視線で追う。その可愛い子がタイプであればあるほど、体が引き寄せられていくという特性まで熟知してしまうほど、こいつのこれは習癖化しているのだ。
おかげで隣のいる俺はいつも害を被る。大抵加害者扱いされるけど、一番の被害者は俺なのだ。俺こそ冤罪だろ……。
さすがに観念したのか、それとも中央広場を抜けて人の姿が少なくなったからか。翔はようやく視線を進行方向に真っ直ぐ向けた。
釣られるように俺も前を向くと、奥の方にようやく体育館の姿が見えてきた。東合大学には二つ体育館があって大きい方が第一、もう一つの少し小さい方は第二体育館だ。
「ところで
「何だよ?」
「例の子とはいつ会うんだ?」
「――それは……」
彼の問いから数秒の間。そして徐に口にした言葉は、短く途切れた。
さっきの話から急に切り替わったことによる落差が原因ではない。
『いつ』という問いに明確な答えを持ち合わせていないこと。そして、俺にとっては答え辛いものであったからだ。
翔は俺の様子を見てこれを察したのか、なかなか次の言葉を紡げない俺に助け舟を出す。
「まぁ、一年ぶりだからなぁ。一切連絡もとってなかったから踏み出すには勇気いるだろうけど、早いうちに会って話しておいた方がいいんじゃねぇの? いつまでも待ってくれるとも限らないんだし」
翔に言われるまでもなく、頭の中では分かっている。
たった一年、されど一年。感じ方は人それぞれだろう。
でも俺の中で、ここ最近の一年という年月は、決して短くはなかった。むしろ、こんなに長い一年は存在するのかと、思わず時の流れの法則に疑念を抱いたくらいだ。
連絡を取らなくなってから一年。その空白の一年を繋ぎ合わせる最初の一言を絞り出せないまま、ついにこの場所までやってきた。
彼女は今、この場所に通っている。
「……分かってる。だから勇気を振り絞って、今日ここに来たんだし」
「大学の入学式に出るためにそんな身構えている奴、おそらくこの世でお前だけだよ」
翔はからっと乾いた笑いを溢す。
胸の高鳴り、いや、これは緊張によって鼓動が早くなっているだけだ。彼にこの話を振られてようやく、自らの手の震えや少し荒い息の正体がはっきりした。
自らを落ち着かせるように空を見上げ、一呼吸を置く。まるで入学を祝福しているかの如く、雲に遮られることのない澄み切った青空。
そんなどこまでも続いていそうな明るさとは対極に、俺の心の中は曇り切っている。
これからどうしたものか。
不安と緊張が入り混じる心境。新入生はみなそうかも知れないけれど、きっと俺だけが別の理由を抱えているのだろう。
「お、おい涼真」
自分の中であれこれ思案していると、肩を叩かれて再び名前を呼ばれた。
「なんだよ」
「あれ、見ろよ」
そう言う翔の目線の先に、俺も視線を移す。
奥の方から女子大生の二人組が近づいてきているので、翔が言いたいことはもう分かる。性懲りもなく可愛い子探しを続ける翔に再び呆れた。
「めっちゃ可愛くないか?」
「お前なぁ……」
再び徒労交じりの溜息をつく。
それにしても恐れ入る。約三、四十メートルは離れているだろうに、よく容姿の判断がつくものだ。下手したらマサイ族よりも視力に優れてるんじゃないか? おそらくこの用途でしか効果を発揮しない、とても残念な能力だがな。
俺たちとその女子大生たちとの距離が縮まるにつれて、彼女たちの容姿がはっきりと見えてくる。スーツ姿ではないので、どうやら在学生らしい。
因みに、その彼女らは進行方向からやって来るから自然と目に入ってくるだけであって、俺は断じて翔の同類ではない。
「右の子はどことなくボーイッシュな雰囲気がいい感じだし、左の子は大人っぽくていい感じだな」
「お前の頭のお花畑感もとてもいい感じだな」
と、皮肉交じりに口にする。当然、目の前のことで頭がいっぱいの彼の耳には届いていない。
右側の女の子は黒髪ショートで服装はカジュアル。スラっとした体躯であり、翔が言っていたようにどことなく男の子っぽい雰囲気を持ち合わせている。
一方左側の女の子は綺麗でサラッとした髪質の茶髪ロングヘア。彼女もまた細身で綺麗な曲線美を描いている。そして、見た目よりいくつか上の年齢の人が持つような大人の風格を感じた。
そんな彼女らとの距離が約五メートルになった頃。頭の中で突然、過去の出来事がフラッシュバックした。
高校最後の年。それも卒業式の日。
校内にある丘のような場所に植えられた一本の広葉樹。その下から去っていく彼女が見せた、切ない表情。
どうして今、そんな情景が……。
「……!?」
ふと我に返ると、その女子大生たちとはすれ違っていたらしく、もう視界に姿はなかった。俺はすぐさま立ち止まり後ろを振り返る。もう既に、彼女たちの背中はずいぶん遠くにあった。
「どうした?」
「いや。何でもない」
確証も何もない。だから合っているかは直接聞かないことには分からない。
薄い化粧、両耳のピアス、踵の高い靴、柑橘系の香水。
それらは俺の知るものではなかったけれど――。
「一目惚れか?」
「いや、違う」
「じゃあ……」
ふとそこで、彼の声は途切れた。そのことに疑問を抱いた俺が逆に問う。
「どうした?」
「いやぁ、別に」
何だか含みのあるような言い方だったが、突き詰めてもどうせ口を割らないだろう。
だから俺は彼が白状するのを待つことなく、再び歩き出す。
「お、おいっ、待てよ!」
そして再び、入学式の会場へと向かった。
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