出会いと別れは七転び八起き
木崎 浅黄
第1話 プロローグ
『対象は、東の方向に直進中。狙撃予定ポイントに入るまで残り三十秒です』
「了解です」
小さなイヤホンから合図を受け取り、私は所定の位置に着く。
東京副都心、新宿区にあるビル街のとある五階建ての建物。その屋上でうつ伏せになりながら、スナイパーライフルを慣れた手つきで構える。そして、ゆっくりとスコープから覗きこみ、予定されている狙撃ポイントに目標が現れるのを待つ。
イヤホンから聞いていた通り約三十秒後に、建物から走る人の姿がスコープに映った。予め避難誘導を済ませた人通りのない大通りを、全力で走って逃げているのは中肉中背の男性。
ただ、その男性の姿は普通ではない。手には血が大量に付着している小型ナイフが握られていて、上着には返り血も付いていた。
「対象を捕捉。任務を遂行します」
そう短く言葉を伝え、右手人差し指を引き金に添えた。
『対象』とは私たちの任務の対象である人を指す言葉である。その対象までの距離が百メートル弱のこの場所は、対象が進む先に私との間を遮るような建物がない絶好の狙撃スポット。幾度と任務をこなしてきた私からすれば、今回の任務の難易度は決して高くない。
必死に追っ手から逃げ回る対象。私の仲間がパトカーやバイクで後ろから追い回しているのだが、対象はまさか、このポイントへと誘導されているとは思いもしないだろう。
距離こそ離れているが、男性の様子はスコープから見ればはっきりと分かる。必死に走っているが、体力も足も精神状態も限界に近いのだろう。すでに足取りは覚束なく、表情からは焦りや恐怖でいっぱいになっている様子が窺える。
『このままでは殺されてしまう』
対象は今、そんな死の恐怖から逃れようと必死になっているだろう。だが被害者は、それとは比にならないほど大きな恐怖を感じていたはずだ。そして、痛くて辛い思いをしたはずだ。その人と同じ立場に立つことが、最も自分の犯した罪を悔いることになる。
私たちの仕事は、対象をその立場に立たせることだ。
進行方向、距離、風。頭の中で緻密な計算を行い、何度もそれを確認する。そして成功する確信が持てた瞬間、私はゆっくりと引き金を引いた。
大きな銃声が鳴り響いたのとほぼ同時に、スコープの先の対象は真っ赤に染まる。私はそれを確認してスコープから目を逸らした。
「目標への的中を確認しました。あとはよろしくお願いします」
そう伝え、左手でイヤホンを外して立ち上がる。
吹き付ける夜風が心地よく感じられる。見上げれば雲一つない夜空に、白い月が綺麗に映えている。
しかし、そんな美しい空とは対照的な血生臭くて暗い仕事。こうして一つの任務を終えても、達成感も悲壮感も何も感じなかった。
私はこの仕事をいつまで続けるのだろうか。
そんなことをふと思いながら、仕事道具を片付けてこの場を去った。
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