第24話 朝のよくある光景


 僕はちいさなゴムボールを持って歩いていた。


 うす暗い廊下は歩くたびにきしんで、僕のはだしの足の裏はひんやりとつめたい感触がした。


 僕はなぜここにいるのかわからなかったけど、声がするほうに向かってよちよちと歩いていった。


「…また海外出張って、ワシらはかまわんが、葵がかわいそうじゃないか…もしもし?…」


 おじいちゃんは黒い電話に怒っていたけど、僕に気がつくと受話器を置いて、笑みを浮かべてしゃがんでくれた。


「葵、わしとボールで遊ぶか?」


「うん!」


 僕はおじいちゃんと手をつないで庭に出た。そこにはたくさんの木や花が植えてあって、池も砂場もブランコもあって僕にとっては楽園だった。


 おじいちゃんは椿の木から花をとり、僕に手わたした。


「花のおしりを吸ってごらん。」


 僕が言われた通りに椿の花を吸うと、甘さが口の中に広がった。


「あまい!」


「ははは、葵はお花が好きか?」


「うん! だいすき!」


「そうか、じゃ、葵はワシらのあとつぎだな。」


 おじいちゃんは笑いながら、僕とゆるくキャッチボールをしてくれた。縁側におばあちゃんが出てきて、僕を見つけてほほえんでくれた。


「葵ちゃん、あの子が今日も来てくれたよ。お庭で遊ぶかい?」



(あの子って誰だっけ…?)



 僕は思いだせず、なんだか落ちつかなくって、ゴムボールを手のひらの中でころがし続けた。

 なんだか手には妙にリアルな感触があった。



「…あん。」


(あん?)



 僕の視界がくずれたかと思うと、急激に明るくなってきた。僕は何度も何度もまばたきをした。


 本当に僕の目のまんまえに、ジェシカさんの寝顔があった。僕は自分の部屋のベッドの上で目を覚ましたのだった。



(なんで今ごろになってあんな夢をみたんだろう? ジェシカさんに誓いの話なんかをしたせいかな?)



 僕が自問していると、ジェシカさんが身をよじった。


「いや…あん…。」

 

(また勝手に僕のベッドにもぐりこんだんだな!)


 彼女をとがめようとして、僕は自分の手がある場所に気づいて全身の血液が逆流する感覚におそわれた。

 夢の中でゴムボールだと思っていたのは、ジェシカさんの胸だった。


 僕は気づかれないようにゆっくりと手をジェシカさんからひきはがしたけど、彼女に手首をガシッとつかまれた。


「あいたたた…、いたいっ!」


「店主殿。覚悟はよいか。わたしが寝ているのをいいことに、いやらしくじっくりとさわりおって。」


「ご、ごめんなさい…。」


 あまりの手首の痛さに僕は涙目になり、ジェシカさんは勢いづいた。


「どうであったか言え。見ためよりも大きいであろう?」


「見てないからわかりません。」


「ウソをつくな!」


 朝はジェシカさんは不機嫌なので、これは本気でまずい状況だった。

 しかも、朝ごはんまではまだ時間がありそうだった。


「ウソつきは罰せねばならぬな。」


 僕は必死で頭をフル回転させて、逃げだす方法を考えた。ジェシカさんは手首を離してくれたけど、今度は思いきり僕に抱きついてきて、どんどん力を入れはじめた。


「あいたたた! ほ、ほんとにいたい! 折れますって! や、やめてってば!」


「…ああん、かわいい…。」


 うっとりし始めたジェシカさんから逃れるすべはなく、僕は背骨を折られる覚悟を決めた。



「なにをしてるんですか! そういうの、ユリはゆるしません!」


 鬼の形相で腕組みをしたユリさんがベッド脇に立っていた。間一髪でジェシカさんは力をゆるめてくれて、僕はベッドに沈みこんだ。


「ユリ殿。勝手に店主殿の部屋にはいるな。」


「それ、ジェシカさんが言います? ユリはもうアタマにきました。店長さんがかわいそうです。」


「なぜだ? 店主殿は喜んでいるではないか。」


 僕は全力で激しく首をふって否定した。


「ほら。喜ぶわけがないじゃないですか。もしも喜んでいたらただのヘンタイです。」


「では店主殿はヘンタイなのか?」


 再び僕は必死で首をふり、早朝なのに疲れきってしまった。


「たしかに店長さんはユリのムネばっかり見てますけど、ヘンタイではないと思います。むしろヘンタイはジェシカさんです。」


「あまり朝からヘンタイって連呼するのは…。」


「店長さんはだまっていてください!」


「店主殿はだまっておれ!」



 ふたりの剣幕に僕は黙りこむしかなかった。なんとかふたりを仲良くさせる方法はないかと、僕は考え続けた。



「店主殿はユリ殿ばかりを見てはおらぬ。暇さえあれば私の脚をみているぞ。」


「それ、ユリのが太いっていうイヤミですか?」


「そうは言っておらぬ。ただ、そういえば八百屋によく似た野菜があったな。たしか名前は…ダイコンだったか?」


「ユリがいちばん気にしていることを!」


 ユリさんはためらわずにジェシカさんに飛びかかり、ジェシカさんはベッドから飛びおりて迎え撃った。


(僕、そんなに見てたっけ?)


 

 目の前で繰りひろげられるふたりのバトルに僕はウンザリしていた。ふたりがなぜそんなに僕のことで争うのか、サッパリわからなかった。


 僕は考えに考えたあげく、ふたりがケンカせずにすむ方法を思いついた。


「いいかげんにして下さい! 僕には誓った人がいるんです!」


 ピタリとふたりの動きがとまり、同時に首だけをまわして僕のほうを見た。


「また誓いの話か?」


「なんですかそれ? ユリは初耳です!」


 ふたりは険悪な表情になり、どうやら僕はまたまちがえたみたいだった。


「あ、いや、だからあの…。」


「聞いたか? ユリ殿。店主殿はさんざん私たちをもてあそんだあげく、ほかに誓った者がおるなどと言いおる。」


「聞きずてならないです! ユリは店長さんの共同経営者になるつもりなのに!」


「ユリ殿、キョードーケイエイシャとはなんだ?」



 とりあえずふたりのとっくみ合いは終わったけど、矛先が僕に向きそうな気がしたので、僕はそっとベッドからぬけだして逃亡をはかった。


 そして予想通り、ジェシカさんにえり首をつかまれた。


「逃げられると思うたか。その誓った相手とやらの名を言え。」


「ユリも知りたいです!」


「それが、なぜか覚えていないんです。」



 ジェシカさんとユリさんは顔を見合わせて、また僕を見た。ふたりとも無表情なのがこわかった。



「ユリ殿、このウソつき店主殿をどうしてくれようか。」


「納屋にロープがありましたから吊るしましょうか。」


「本当だってば! なぜか思いだせないんです!」


 ジェシカさんはすこし考える仕草をしてから、僕のおでこに手をあてた。


「な、なにをするんですか!?」


「案ずるな。魔法で記憶を再生してやろう。」


 僕は頭の中を探られるような、脳がふくらむような不思議な感覚に沈んで目を閉じた。しばらくしたけど、なんにも起こらなかった。


「ジェシカさんの魔法、不発ですか?」


「いや、近日中に店主殿は夢をみるはずだ。その誓いの相手とやらの夢をな。」


「見たらユリにも教えてくださいね!」


 僕はためらいながらうなずいた。ジェシカさんは満足そうに笑い、大きくのびをした。


「さて、朝食にしようか。ユリ殿。」


「はーい!」


 ジェシカさんとユリさんは仲よく手をつないで階段をおりていった。

 


 なんだかたった今、おそろしい同盟ができたみたいだった…。

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