第16話 ジェシカさんと狼(前編)


 なんだかその晩はひどく寝苦しかった。

 寝がえりをうった僕の手が、長い毛にふれた。


「もう! ジェシカさん、本当にこういうことはやめてって…」


 僕は怒り心頭で毛布をひっぺがした。


 なんだかジェシカさんの香りとはまったく違う変なにおいがした。

 犬くさいというか…獣のにおい?


「誰だ貴様は。」


 僕の目の前、ベッドの上に巨大な灰色の狼が横たわっていて、唸りながら僕をにらみ、おまけに喋った。


 ナイフのような鋭い牙が光り、僕は腹の底から悲鳴をあげた。




 再び目を開くと、心配そうなジェシカさんとユリさんの顔が僕の目にとびこんできた。


「大丈夫か、店主殿。もう朝だぞ。」


「店長さん、はい、お水です。」


「…僕、変な夢を見ました。僕の横に大きな狼が寝てたんです。」


 僕はコップの水をいっきに飲み干した。

 ジェシカさんとユリさんはチラッと目くばせをした。


「店長さん、それ、夢じゃないです。」


「へ?」


「すまんな、店主殿。」


 なぜかジェシカさんが僕に謝り、部屋の中を指さした。そこには、僕が夢でみた巨大な狼が鎮座していた。

 大きさはそう、牛くらいだった。


「みごとな毛並みですね…。」


 そう言ってまた倒れかけた僕を、ジェシカさんが後ろからささえてくれた。

 狼が口を開いた。


「けっ。ボス、こんな腰抜けの世話になってんのか?」


「店主殿は腰抜けではない。すこし気が弱いだけだ。口をつつしめ、エリゾンド。」


 ジェシカさんがにらみつけると、エリゾンドと呼ばれた狼は伏せの姿勢になりしっぽをふった。


「ボ、ボスって?」


「うむ。こいつは森オオカミのリーダーでな。私の子分だ。」


 そういえば、ジェシカさんはエルフの森の動物をしたがえて、さんざん悪さをしてきたとコナさんが言っていたのを思い出した。


「ボスのにおいがしたから間違えちまったぜ。わるいな、腰抜け。」


「エリゾンド!」




(この世界の狼って喋るんだ…。)


 ユリさんが与えた生肉にかぶりついている大狼を僕は落ちついて観察した。体中あちこちにキズや毛並に汚れがあり、どうやら長旅をしてきたようだった。


「ジェシカさん、いったい何があったんですか?」


「うむ、どうやら故郷の森から焼け出されたので私を頼ってきらしい。」


「ええっ!?」


 僕が驚いていると、ユリさんが大量の生肉を皿にのせて入ってきた。


「はーい。いっぱい食べてくださいね、狼さん。」


「すまねえな、あねさん。」


「僕は腰抜けなのに、ユリさんはあねさん?」


 僕は聞きとがめたけど、エリゾンドさんにひとにらみされたのでジェシカさんの背後にかくれた。


「焼け出されたって、どういうことですか?」


「それがな、新帝国陸軍の奴らが森に攻めてきやがったんだ。」


「新帝国ごときに遅れをとったのか! エリゾンド!」


 

 新帝国とは、(僕はあまりこの世界の国際情勢には詳しくはないけど、)たしか大陸の領土をめぐって王国と激しく対立している国家だったと思う。



 大狼はまた縮こまって、伏せの姿勢になった。


「だってボス、連中は妙な武器を使いやがるし、群れを連れて逃げるのが精一杯だったんだぜ。」


「群れって? まさか!?」



 僕は階段を段とばしで駆けおりて裏庭にでた。



 僕のお店の裏手は塀に囲まれた庭になっていてけっこうな広さがあり、野菜を植えたり洗濯をして干したりするのに使っていた。


 その裏庭は今、狼の楽園になっていた。

 じゃれあう子狼、水浴びする狼、毛づくろいする狼、親子で寝ている狼…。


「ユリ、あとでお肉屋さんに買い出しに行ってきますね。」


 僕が硬直していると、後ろでユリさんがのんびりした感じで言った。




「どうするんですか! ジェシカさん!」


「さて、どうしようか。」


「ひとごとみたいに言わないでください! ジェシカさんの子分でしょう!?」


 事務室での緊急会議で、僕は興奮して立ちあがったけど、ジェシカさんはぷふっと吹きだした。


「店主殿、必死でかわいい。」


「いいかげんにして下さい! もしも通報されたら営業停止かもしれないんですよ!」


 僕はジェシカさんに詰めよろうとしたけど、ユリさんが僕を押しとどめた。


「店長さん、落ちついてください。そんなことより、お肉屋さんへの支払いはどうされますか?」


 僕はため息をついて、座りなおして頭を抱えた。


「そもそもなんで新帝国軍がエルフの森を攻撃したんですか?」


「知らんし、興味もない。」


「そんなみもふたもない事を…。」


 僕はジェシカさんのあまりのなげやりさにあきれかえってしまった。


「故郷のご両親が心配じゃないのですか?」


「ふん。私を追放したバチがあたったのだろう。」


 彼女はこの話題にはこれ以上ふれたくなさそうで、スッと席をたつと階段をのぼっていってしまった。


「店長さん、ユリにはジェシカさんの事情はよくわからないけど、今はそっとしておいたらどうですか?」


「そうですね…。」


「そういえば…、店長さんのパパとママはどうされているのですか?」


「あ…元気ですよ。離れて暮らしていますけど。」


 僕はいちおう、事実を答えた。

 ユリさんはなぜか、すこし悲しそうな雰囲気をただよわせていた。


「ふうん。まあ、親子っていっても仲がよいとは限らないですし、家庭でそれぞれですよね。さあ、仕事仕事。」


 とりあえず僕も仕事に専念することにした。狼たちが遠吠えしないように祈りながらだったけど。



 僕が冷蔵室で作業をしていると、ジェシカさんが近づいてきた。なぜか彼女は、最初に出会った時のような旅の装備を身につけていた。


「ジェシカさん? その格好は?」


「店主殿、わるいがしばらく町を離れることになった。」


「ええっ!?」


 動揺する僕に、ジェシカさんはやさしく微笑みかえしてくれた。


「心配するな。ちょっと近場に行くだけだ。すぐに戻る。」


「なにをしに行くんですか?」


「旅の途中、この町の近くにわりと大きな森があってな、森狼を見かけていたのだ。その群れのリーダーに会って、エリゾンドたちの移住を認めてもらうように交渉してくる。」


 聞くだけで危険なかおりがしたけど、ジェシカさんはとめても聞きそうにないなと僕は思った。


「気をつけて行って、早く戻ってきてくださいね。」


「ふふ。私がいないのがそんなにさみしいか?」


 ジェシカさんは冗談っぽく言ったけど、僕は本当にすこしさみしくって動揺してしまって、必死でそれを隠した。


「店主殿、エリゾンドたちをしばらくたのむ。それから…。」


「それから?」


「ユリ殿の行動に気をつけるのだぞ。」


 僕は意味がよくわからなくて、不思議そうな顔になったに違いなかった。ジェシカさんは颯爽と旅だっていった。



 …と思ったら、彼女はすぐに走って戻ってきて、僕にとびついてきた。



「わわわっ!?」


「浮気したら承知しないぞ、店主殿。」


 ジェシカさんは僕のほっぺにかるく口づけをした。僕は全身の血液が沸騰したみたいに感じた。

 全身硬直している僕を見て笑いながら、彼女は今度こそあっという間に走り去っていった。


 頬を赤く染めながら…。

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