第11話 部屋わりの問題
積み上げられた箱に雪のように積もりに積もった埃が、僕がほんのちょっと動くだけで空中に舞い散った。
僕は2階の倉庫、つまり僕の隣の部屋を片付けていて、マスクをしていても咳こんでしまった。窓を開けて換気をして、僕は次々と箱を運び出して床を掃除し続けた。
「よし、こんなものかな。次は家具を運ぼうっと。」
「言っておくが、私は絶対に手伝わないからな。」
戸口に長身の人影が腕組みをしながらもたれかかっていた。
「誰もジェシカさんには頼みませんよ。」
「店主殿は、朝はやくからずいぶんとはりきっているな。」
ただでさえ午前中は機嫌がわるいジェシカさんは、なにかめちゃくちゃ苦いものでも食べたかのような表情で、目も鋭くなっていた。
「ユリ殿が来るのがそんなに嬉しいのか。私がいれば十分ではないか。」
「勝負に勝ったら雇うっていう約束だったからです。」
僕はジェシカさんの方を見ずに作業を続けた。
「あの勝負は私の勝ちだ。」
真後ろから声がして、気づかないうちにジェシカさんは僕の背後に立っていた。僕はもう、慣れっこになっていたので冷静だった。
「はいはい。そう思っていればいいですよ。」
「…つめたいな。」
「はい?」
ジェシカさんは頬を膨らませて、指で僕の体をあちこちつっついてきた。
「ちょ、ちょっと、やめてくださいよ。」
「店主殿は、私につめたすぎるのではないか?」
ジェシカさんは顔を赤くして、床に落ちていた小さな植木鉢を足でころがしていたけど、ポンとそれを僕に蹴りあげた。
僕は慌てて植木鉢を空中でうけとった。
「まだ私の謝罪も受けいれてくれないしな。」
彼女は上目づかいで僕を見てきて、僕はジェシカさんがまたなにかしてきやしないかとビクビクした。
「つ、冷たくしているつもりはないですよ。」
「ひょっとして店主殿は私に、謝罪以上のことを求めているのか?」
ジェシカさんが僕のほうににじりよってきて、僕は後ずさりしたけど背中が箱の山にあたった。
「遠慮なく言ってくれ。私はなにをすればいいのだ?」
僕が手をのばせばすぐ全てに手が届く所に彼女は立っていた。彼女の手、彼女の髪、彼女の唇…。
僕が望みさえすれば彼女は?
(いや、ダメだダメだダメだ!)
僕は激しく首を振り、植木鉢をジェシカさんにおしつけた。
「じゃ、これを事務室に持っていってください!」
「それだけで許してくれるのか?」
ジェシカさんは植木鉢を放り投げると、いきなり僕に身を預けてきた。僕は全身がしびれるような感覚に襲われて、ぎこちなく腕を彼女の肩にまわし、そのあまりの細さにおののいた。
トドメは彼女のささやき声だった。
「かたづけなどやめて、今から私の部屋に来ぬか?」
植木鉢が割れる音が聞こえた。
気絶寸前、かつ陥落寸前の僕を引き戻したのは、でかい咳払いだった。
「こっほん! あらら、すっごい埃ですね! こんにちはー! ユリもお手伝いにきましたよー!」
ユリさんは左手にバケツ、右手にぞうきんを持ってジェシカさんに近づいた。
「まずは、店長さんを誘惑するわるーいエルフさんを片づけないといけないですね。」
「人間の女、いい度胸だ。おもてに出ろ。」
「エルフさんはふたことめにはそれね。暴力でしかユリに勝てないからなの?」
ユリさんは見せつけるように胸をはり、負けずにジェシカさんも身を反らせた。
「あれえ? どこにあるのかなあ? エルフさんのおムネは?」
「斬る。」
挑発に応じて抜剣しようとするジェシカさんの腕を僕は思いきりひっぱったけど、細いのにすごい力だった。
「やめてよふたりとも! これから一緒にはたらく同僚なんだから!」
『ふん!』
僕がお願いしても、ふたりは目を合わせようともしなかった。この先が思いやられて、僕はすっかりクセになってしまった深いため息をついた。
結局、僕はジェシカさんもユリさんも雇うことにしたのだった。正直いって会計的には少しつらいけど、がんばって売上をあげればなんとかなりそうだったし、元々僕はこの花屋を大きくするつもりだった。
もめにもめたのは部屋のことだった。
ユリさんが、通いじゃなくて住み込みにするって言いだしたのだ。
「そなたには世話をする弟妹がいると言っておったではないか。」
「親戚がみてくれることになったから大丈夫なんです。だいいち、ユリがいないとエルフさんが店長さんになにをしでかすかわかりませんから。」
どうやらユリさんは、ジェシカさんを完全に危険人物だと認定したらしかった。
「私がなにをしようとそなたには関係ない。そもそも、そなたの部屋などない。」
「あの…そのことなんだけど。」
僕はふたりの顔色をうかがいながら小さく手をあげた。
「2階の倉庫を片づけたらなんとかなるかも。」
「倉庫? ユリのお風呂とトイレはあるの?」
「いいえ。改装工事をしないと…。」
僕が首をふると、思ったとおり論争がはじまった。
「それならユリはエルフさんの部屋を使います。エルフさんは倉庫ね。」
「ことわる。そなたが倉庫を使えばよかろう。」
「じゃ、ユリは店長さんの部屋のシャワーを使うね。」
ジェシカさんはまた抜剣しかねない雰囲気を漂わせていたが、何かを思いついたようだった。
「わかった。ユリ殿に私の部屋を譲りわたそう。」
「ホントに!?」
「うむ。かわりに、私は店主殿と同じ部屋で暮らすことにしよう。」
「ちょっと待って! ユリ、本気で怒るよ!?」
ふたりはつかみ合いになり、僕は慌てて間に割って入った。なんとか落ちつかせると、僕はこれからの事を考えてルールを決めることにした。
「ユリさんはすみませんが、改装できるまでは水まわりはジェシカさんの部屋のを使ってください。」
「ユリはわかりました。」
「私も了解だ。」
「あと、お互いをきちんと名前で呼び合ってください。同僚なんですから。」
「同僚? 私が先輩だから上司であろう。」
「解雇されたくなければ従ってください。それから、僕の部屋には絶対に無断で入らないように。わかりましたか?」
ふたりははーいと手をあげて、お互いに手を差しだして握手をした。僕はホッとしたけど、ユリさんがキャッと叫び声をあげた。
「どうしたんですか!?」
「い、いま、ユリの手がビリビリってしました!」
「ジェシカさん!?」
「言いがかりはやめてもらおうか。」
またつかみ合いになり、僕は文字通り頭を抱えてしまった。
こうして、僕の花屋はいっきににぎやかに、華やかになった。すこし不安はあるけれどきっとうまくいく、その時の僕はそう思っていた。
でも、ここまでの騒ぎはほんのはじまりにすぎなかったのだ。
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