第3話 ふたりの夕食

 僕はシャワーと歯みがきを終えると、いつもよりも何倍も疲れていてヨロヨロとベッドに向かった。


 チラッとクローゼットを見て、僕はやっぱり思い直してから毛布の中にもぐりこんだ。


(今日は疲れたからやめておこう。)


 疲れているのになかなか寝付けなくて、僕は毛布の中でモゾモゾとうごめいた。


(ジェシカさんは、なんで僕にあんなことをするんだろう。)


 思い出すだけでも僕はなんだか恥ずかしいやら腹が立つやらで、ますます眠れなくなってきた。


(これじゃまるで立場が逆じゃないか。店主は僕なんだ! そうだ、明日はビシッと厳しく言おう!)


 僕はそう考えて自分に気合いを入れてみた。すると、臆さずにジェシカさんに物が言えるような気がしてきて、僕は安心して眠りについた。




「や、やめてください。火を使っているからあぶないですよ?」


 炊事場での一幕。


 僕の抗議にも、ジェシカさんは面白がるような風だった。


「ふふ。人間族のつがいはこんなことをするのではないのか?」


「つがいって…小鳥じゃないんですから。」


 ジェシカさんがやめるどころか体をますます密着させてこようとしたので、僕は勝負に出た。


「やめてください! やめないと、食事をだしませんよ!」


 これは効果抜群だったみたいで、ジェシカさんはスーッと僕から離れてくれたけど、今度はお腹を抱えて笑いだした。


「はははははっ、やだ、ばっかみたい! はははっ、おかしいったらもう、本気なわけないのに本気にしちゃうなんて! やめてくださいジェシカさん、だって!」


 ジェシカさんは僕の声マネをして、テーブルをどんどん叩いてひとしきり笑いたおしたあと、目の端の涙を指でふいた。僕は豹変した彼女をあっけにとられて凝視していた。


 ジェシカさんは何事もなかったかのように椅子に座り直し、フォークとスプーンを手にとった。


「さあ、では頂こうか。」


 僕はひょっとしてもしなくても馬鹿にされた事がわかり、出来上がった料理(焼飯とか、サラダとか)を乱暴に皿に盛った。彼女は全く気にしない感じでガツガツと出されたものを勢いよく食べはじめた。


「なんと美味な! 店主殿は料理人なのか?」


「花屋ですよ。」


 不毛な会話に僕はムスッとして無言で食事を続けたけど、よく考えたら久しぶりのひとりじゃない食事だった。

 ちょっと悪ふざけしただけなのかもしれないし、僕はジェシカさんと仲直りしようとこちらから話しかけようとしたけど、先を越された。


「店主殿、本当にありがとう。私を雇い入れた事に心から礼を言う。久々の温かい食事と寝床に感謝する。店主殿の優しさに私は救われた。」


 ジェシカさんは食器を脇に置いて、僕に深々と頭を下げた。僕はまた意表をつかれて、なんだか涙が出そうになった。


「あの…ジェシカさん。ひとつお願いがあるんだけど。」


「なんだ。申してみよ。」


 ジェシカさんは期待に満ちた目をして身を乗り出してきた。


「店主殿って僕を呼ぶのをやめてもらえますか? なんだか気はずかしいし、たいして歳も変わらなそうだし…。」


 言ってるそばからジェシカさんの目が鋭くなるのがわかり、僕は地雷を踏んだのかもしれなかった。


「店主殿は間違っている。こういう上下関係は軍隊組織では絶対だ。上官には敬意を払うべきだ。」


「ここは軍隊じゃなくって花屋ですってば。」


「それと、年齢は私のほうがはるかに上だ。何歳かは絶対に言わぬがな。」


「はあ。」


 そういえば、エルフは人間よりもはるかに長生きらしいと聞いたことがあった。だとすると彼女は見た目以上に僕より歳上なのだろうか。


「でも店主殿って。」


「ではなんと呼べばいいのだ?」


「ハナヤでいいですよ。」


 彼女はそれを聞いて、まさしくニヤリと表現できる笑みを浮かべた。


「本当にそれでよいのか?」


「はい?」


「本当はアオイさん、と呼んでほしいのではないのか?」


 僕は食べる手をとめて、まばたきしてジェシカさんを見て、しばらく間があいた。


「はい?」


「ア・オ・イ・さん。これでどうだ?」


 僕はこんな呼ばれ方を、こんなに綺麗な人から言われたことがなくって免疫がなかった。だからたちまち真っ赤になってうつむいてしまった。これがいけなかった。


「アオイさん? どうしたのだ?」


「…。」


「アオイさん? 聞いてるか?」


「…やっぱり店主殿でいいです。」


 彼女は再び、今度は椅子の上で飛び跳ねながら笑いこけた。笑いすぎて息も絶え絶えなジェシカさんに僕はもうウンザリして、食器を片付けはじめた。


「あ、アオイさん、それ、いらぬなら食べて良いか?」


「お好きにどうぞ!」




 疲れているはずなのに、僕は目が覚めてしまった。たぶん真夜中すぎだった。ホットミルクでも飲もう、と考えた僕はベッドから降りようとして体が凍りついた。


 なぜって、僕のベッドのすぐそばに立っている人影があったからだった。

 暗闇に目がなれてきて、よく見るとうっすらとした姿形からそれはジェシカさんだとわかった。


「ジェシカさん…? そこでなにしてるの?」


 僕はドアに鍵をかけたはずだった。思わずドアを見た僕を、ジェシカさんは長身から見下ろしていた。


「鍵など私には無意味だ。」


「そうじゃなくって! 何をしてるのってば!?」


 ジェシカさんは薄い夜着を着ているようだった。衣擦れの音がして、彼女はベッドの端に腰かけた。


「私がなぜここにいるかは、お主の方ががよくわかっているであろう。」


「は?」


「さあ、好きにするがよい。」


 そう言うと、ジェシカさんはふわりと僕のま横にその身を横たえた。

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