第2話 旅の目的
「なるほど。なかなか良い部屋だ。気に入った。」
荷物を床に置きながら、ジェシカさんは腰に手をあてて、細い首で部屋を満足そうに見まわした。
僕がジェシカさんを建物の中の部屋に案内した時、彼女の第一声はそれだった。
僕の店の構造は3階建てになっていた。1階はもちろん店舗と、冷蔵室とちょっとした打ち合わせや仕事用の事務室と炊事場、2階は倉庫と僕の部屋、3階は住み込みの店員さん用の部屋だった。
部屋にはベッドと必要最低限の家具しかなくって、僕は恥ずかしかったけどジェシカさんは平気そうだった。
「古くて質素だが眺めが良いな。」
ジェシカさんが窓を開けると風が流れこんできて、長い金色の髪がサラサラと輝きながら宙になびいた。
僕は思わずその姿に見とれてしまった。
「どうした? 何か問題か?」
「い、いえ。ここは港町だから海風が強いんです。」
僕はごまかして、ジェシカさんの荷物に目をやった。彼女はかなりたくさんの荷物を持っていて、仕事を探すくらいだし長期間この街に滞在するつもりなのは間違いなかった。
(どうしてひとりで旅をして来たんだろう?)
そもそもエルフが珍しくて、僕は興味津々だったけど、あえてプライベートなことは聞かない事にした。
ジェシカさんは何かを僕に聞きたそうにソワソワしていた。
「店主殿。私は長旅をしてきたので…その…体や髪がにおわぬか?」
「あ! うっかりしていました。浴室はその扉、トイレもそっちです。すみませんがお湯はでないので我慢してください。」
「かまわぬ。旅の間もずっと川か湖で水浴びをしておったからな。」
ジェシカさんが微笑むと、なんだか僕はとろけそうな心地になった。におうどころか彼女はとてもいい香りがしていた。僕は彼女は疲れているだろうと思って、口早に説明を終わらせて店に戻ろうとした。
「食事はすみませんが事務室でお願いします。お仕事の内容とか、細かいことはまた明日に話しましょう。今日はこの部屋でゆっくりして…って、な、何をしてるんですか!?」
うんうんとうなずきながら、ジェシカさんはマントや鎧を外して床に無造作に放り投げ、ブーツを転がすとそのまま鎧下の布服まで脱ぎ始めようとしていた。
「水を浴びるに決まっておろう。店主殿、体を洗うのを手伝え。」
「は、はあ!?」
僕は大声を出してしまい、彼女の目は途端に鋭くなった。
「何が不服だ。あと、水浴びが終わったら荷物の整理を手伝え。」
ジェシカさんは鞄のひとつを開けて僕に放り投げた。中には山のように下着が入っていて、僕は悲鳴をあげた。
「騒がしいな。店主殿は下着を見たことがないのか。」
「せ、整理はご自分でどうぞ!」
平然と衣服を脱ぎ続けようとするジェシカさんに僕はクルリと背を向けて、ドアから飛び出した。
夕刻。
僕は店じまいをしながらため息をついていた。そういえば、僕はエルフの習性や習慣についてなんにも知らなかった。
仕事だけじゃなくって、人間の生活やルールも教えなきゃいけないのかと思うと少し気が滅入ったけど、僕はとりあえず明日、図書館でエルフに関する本をぜんぶ借りよう、と決意した。
「店主殿。」
「うわっ!」
僕はびっくりして植木鉢を落としてしまい、派手な音を立てて破片が飛び散った。
「ひどく空腹だ。夕食はまだか。」
「は、はい。すぐに用意します。」
ジェシカさんは不思議な文様の入った緑色がベースの布の服に着替えていたけど、足音が全く聞こえなかったので僕は大いに油断していたのだった。
(ひょっとしてその気になればいつでも寝首をかけるんじゃ…。)
炊事場で料理をしながら、僕がそんなことを考えながら味見をしている時だった。
「いい香りだな。」
「うわわっ!」
僕はまた無音での接近に驚いて小皿を落としてしまった。ジェシカさんは小皿を空中でひょいと受けとめるとクスクス笑った。
「なにをさっきからビクビクしておる。私がそんなにこわいのか?」
「いや、そういうわけでは…。」
ジェシカさんは椅子に座ると脚を組んでほおづえをついた。
「まあ無理もないな。私は店主殿から見れば正体不明の異種族の不気味な女だ。ちがうか?」
「そ、そんなこと、これっぽっちも思っていません!」
「かまわぬ。私に聞きたいことがあればなんでも聞くがよい。」
普段着に着替えたジェシカさんは華奢と言っていいくらいにかなりの細身であることがわかった。僕は彼女の流れるような脚のラインから視線を引き剥がすと、自分で決めた禁を破っていちばん聞きたかったことを口にした。
「じゃ…。ジェシカさんはどうしてこの街に来たのですか?」
「なんだ、そんなことか。」
ジェシカさんは少しがっかりしたような顔になり、脚を組み替えた。
「人探しをしておる。このあたりの人間族の街にいるらしいとしかわからぬがな。」
えらくアバウトだなあと思って僕は再度疑問をぶつけてみた。
「誰を探しているのですか?」
「それは言えぬ。」
ジェシカさんの目が途端に鋭くなり、悪寒をおぼえた僕は料理を続けるフリをして慌てて目を逸らした。
フライパンで炒め物をしていると、いきなり僕の腰の両側から細い腕がにょっきりと現れて、僕を後ろから抱いた。
「ち、ちょっと、なんですか!? あぶないですよ!」
「店主殿は他に私に聞きたいことはないのか?」
ささやくような声が僕の耳に吹きかけられて、僕は大いに焦り、フライパンを落としそうになった。
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