風を感じたことなど無いはずなのに、この翼は常にそれを求めて震えるのだ。
柴犬丸
前編 鳥類疑似体験システム
『毎度、ご愛顧いただきありがとうございます。タカトリ様』
ほとんど貸し切りの体験ポッドから出ると、いつもの案内ロボットが声を掛けてきた。
『本日のメニューはいかがでしたか?』
双眼鏡のような顔をしたひょろりと首の長い機体、自宅にある手押しタイプのクリーナーに似ているなといつも思う。
「今日はモモイロペリカンという鳥を疑似体験したよ、どこまで大きなモノを口に入れられるか大変興味深かった」
『そうでしたか、楽しんでいただけてなによりです』
「また明日も利用させてもらうよ、ありがとう」
『こちらこそ、いつでもご利用ください』
既に2週間通いつめ、純粋に楽しむ僕に案内ロボットはいつものように応えて去っていく。この体験ポッドの使用は【1日2回、1時間ずつ】と決められているので色んな品種を試したい場合は日参する必要があり、自ずと逗留も長くなる。
ここは惑星トリノ。
とある鳥好きの大富豪が惑星ひとつ、丸ごと買い占めて自然保護区にした未開の惑星である。
未開…というには語弊があるか。
地上の
僕は鳥が好きだ。
あの翼の構造といい、空を飛ぶことに特化した骨格といい、生き物の不思議と魅力がぎゅっと詰まっていると思う。
酒、煙草、ドラッグ、ギャンブルといったアングラな娯楽から、ダーツやボードゲーム、無重力バスケなど、ファミリー向けのレジャーといったあらゆる娯楽がこのコロニーでは楽しめるのだが、そんな余所でも楽しめる娯楽をあえてここで行う理由が僕には理解できない。なぜなら、宇宙広しといえど『鳥類の疑似体験システム』はここでしか楽しめないからだ。
強化ガラスで作られた展望ルームから眼下の惑星トリノを眺める。真っ暗な宇宙に浮かぶ緑と青の惑星はとても美しい。惑星上に降り立つことは基本的には許可されていないが、つい先ほど体験したばかりの世界が広がっているのだと思うと感慨深い。
正直僕はとても楽しんでいる。
この施設にだって、いつか金を貯めてバカンスに来ようと思っていたのだ。
『この施設で原因不明の死者が出ているから調べてほしい』
そんな依頼を受けるまでは。
違法性は感じられないが死因が不自然。死亡者に共通した特徴として【鳥好き】【善人】【お人好し】とある。年齢、性別、資産の有無等に偏りは無いが、ややお年寄りが多いような傾向にある。
善人ばかりを狙った詐欺なのか、はたまたおかしな宗教か、ひとまず調べてくれ。と、そんな理由で僕の探偵事務所に調査の依頼が来た。依頼主は『惑星トリノ被害者の会』。なんでも被害者の中に大富豪がいるらしく、調査費も天井知らずという美味しい仕事だ。
もともと来たいと思っていた場所だったし、報酬も良かったので一言二言でOKした。
***
初めてここを訪れてから2週間。
正直なんの成果もない。今日も今日とてライブラリーの中から体験したい鳥類を選んでは体験ポットに籠もり、純粋に鳥類の生態を楽しむという普通に楽しい日々を送っている。
仕事を忘れた訳ではないが、費用は経費として計上できるので懐の心配もない。はたから見れば僕は酔狂な鳥好きにでも見えているのだろうか。…まあそれはこちらの望むところではあるのだけれど。
今日はコンドルを選択し、岸壁から飛び降りまがいの飛行を体験した。知識として知ってはいたけれど、本当に体が重かったし、風に乗るまではちゃんと浮くのかどうかヒヤリとした。
長く触れ合えば愛着も湧いてくる。
一日2回きっちり必ず鳥類体験ポッドに籠り、楽しむ日々。体験した鳥類はライブラリーの中でも200は超えただろうか。そんな頃合いに僕は案内ロボットにいつもと違う場所に通された。
誘導灯のみが青白く光る廊下を進み、暗く広い空間へと出た。
『やあ、君がタカトリ君? 我が惑星トリノの体験ポッドを楽しんでいただいているようだネ』
連れられた先には流ちょうな言葉を話す虚ろな目をしたオウムがいた。床に立てられたT字型の止まり木にちょこんと乗っかっている。
「はい、タカトリと申します。この度はお招きいただきありがとうございます」
案内ロボットからは施設のスタッフが話したいと言っていると説明されたがおそらく違うだろう。…だって生きているオウムだ。オウムは確かにしゃべるけれど、こんなにペラペラしゃべらないだろう。下っ端のスタッフがこんな余興を仕掛けるはずがない。施設スタッフよりももっと上の管理者クラスであると推測する。
『しかし名前がイイネ! 名前の中に【鳥】がいるじゃないカ!』
オウムは無邪気に体を揺すって喜んでいる。
突然の展開に緊張していたのだけれど、ほんの少しだけ頬が緩む。
「ありがとうございます。名前に鳥が入っていることもあり、僕も鳥が好きです。ずっとライブラリーでしか見たことがなかった【鳥】という生物をこの施設で実際に体験できてとても興味深いです」
ここの管理者、もしくはもっと上だろうか。オウムにしゃべらせているように見せてスピーカーなどを使っているのかもしれない。
『そうだろう? ここはワタシが手掛けた中でも自慢の施設なんだ。体験ポッドのメニューだって日々更新されているんだヨ』
「それは本当に凄いです。僕はバカンスでここに来たばかりですが、ずっとここにいたいくらいです。季節が変われば鳥たちの行動も変わりますし、まだ体験していない鳥がたくさんいます」
ソウカソウカと機嫌よくオウムは相槌を打つ。
僕らはしばらくこの施設の素晴らしいところを話し合い、体験できる鳥類の好き嫌いやおススメなどを語り合った。
オウムはとても博識で、話していてとても楽しかった。そして驚くべきことに鳥に関する知識は僕の遥か上を行った。鳥に鳥の事を聞いて誰よりも詳しいだなんて、まるで冗談のような話だが本当だ。僕は素直に彼の頭脳に感心し、畏敬の念を込めて【先生】と呼ぶことにした。
【先生】は僕の事をとても気に入ってくれたようで、あれから度々この部屋に招いてくれるようになった。
会話の端々から察するに僕の予想はそう外してはいないと思う。【先生】はここの経営者とか設立者? ではないかな。確固たる証拠はないけれど、鳥への愛と熱量が半端じゃない。
内心この展開にしめた、と思ったが顔に出さないよう重々注意した。今はまだ、【鳥好き仲間】として会話をするに留めておくことにする。急いては事を仕損じると言うしね。
***
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