第38話
「うぎゃぁっ」
名前を呟いたその時、外からそんな苦し気な声が聞こえた。なにかが崩れるような激しい音も。私は「……え?」と声を漏らして、閉じていた目をおそるおそる開ける。
視線を胸の方へ向けると、武藤の手は下着の1歩手前で止まっていた。行為の直前で水を差されたからか、武藤は不機嫌をこれでもかとあらわにして、音のした方を睨む。
「ちっ! 良いとこだったのによぉ。なんだ、今のはっ! 外に見張りがいるはずだろうがっ!」
武藤は伸ばしていた手を引っ込めると叫び声を散らして、周りにいる人に様子を確認しに行かせた。
指示された人たちは不審に思いながらも出口へと向かい、汚れた曇りガラスの扉を開けようとする。
「……ん? なんか、こっちに飛んで――うぉっ⁉」
けれど取っ手を掴んだ時、扉の向こう側から質量のある大きな物体が飛んできて、扉を開けようとしていた人。その近くにいた人を巻き込んで転がっていく。
ガラスが割れて散乱する甲高く乾いた音が響き渡り、騒がしかった室内が一気に静寂に満たされた。
「ちっ、なんだ今のはっ⁉」
武藤は立ち上がると、積み重なって倒れ伏した人たちを見る。なにが飛んできたのか。見るとそれは、あちこちボロボロになった人だった。
「あれはたしか、外で見張りさせていた……くそっ、どうなってやがるっ。他の見張りはどうしたっ⁉」
「あれで見張りだと? すまん。あまりの怠慢っぷりに腹が立って、思わず全滅させてしまった。起こしてやってもいいが、余計に痛めつけることになってしまうな。趣味じゃない、諦めてくれ」
武藤の怒声に答える、煩わしそうな声が聞こえた。私ははっとして視線を外に向ける。
「大体見張りだというのなら、もう少し数は減らした方がいいな。あれじゃあ、ご丁寧になにかありますと言っているようなものだぞ」
間違いない。まだ外の暗がりで良く見えないけど、私がその声を聞き間違えるはずがない。
「まぁそのおかげで見つけられたわけだが」
室内の明かりに照らされ、だんだんと姿がはっきりしてきた。武藤にもそれが誰なのかわかったんだろう。表情からはさっきまでの威勢がなくなっている。
「ギリギリ間に合った……みたいだな。桜井、無事か?」
「た、たっくんっ!」
助けに来てくれた。
色々と見えてしまっているけど、そんなことどうでもよくなるくらい嬉しくて、私は泣き笑いし、彼の名前を今度ははっきりと口にする。
「て、てめぇ……」
だけど、武藤は違う。
今、復讐しようとしている相手が目の前にいる。まだ呼び出してもいないのに。思い通りにいっていないことが腹立たしいのか、憎々し気な表情で名前を叫ぶ。
「逢沢ぁっ!」
「……あれほど俺の名前は出すなと言ったのに」
ちらりと後ろにたっくんは不満たっぷりな視線を流すと、もう1度武藤に視線を戻す。
「お前、武藤とか言ったな」
たっくんは、服をボロボロに引き裂かれ、武藤の足元で倒れている私を見る。
「……そいつになにしている。殺すぞ」
「ひっ!」
とんでもないくらい殺気に満ちた眼光と声。それを一身に受けた武藤は怯えて1歩後ずさるけど、周りを見渡し、数で勝っていることで余裕を取り戻した。
「は、ははっ。な、なにが殺すだ馬鹿がっ! この状況見てから言えボケ! まだこっちにはこれだけの数がいるんだぞ。てめぇ1人で何が――」
「1人じゃ無ぇよ」
気丈に振る舞い、乾いた笑いを零す武藤の言葉を遮って、たっくんの後ろから現れる人物が。武藤の表情が強張る。
それは、この暗さでもすぐにわかるほど眩しい白。そんな人を、私は1人しか知らない。龍崎さんだ。
「んなっ!? りゅ、龍崎までっ……」
「おう! 龍崎と龍巳、2人合わせて二頭龍とは俺たちのことだ」
「……お前、いつもそんな名乗りの仕方してるのか?」
「あ? あたりまえだろ」
たっくんとは違って、龍崎さんは堂々と腰に手を当て胸を張る。たっくんが額に手を当てため息を零せば空気が弛緩する。
「それはそうと、てめぇら、黒士館だったか?」
けれど、龍崎さんが武藤を睨んだ瞬間、擦り切れそうなくらいの緊張感が一気に襲ってきた。
「うちの縄張りで女攫って悪さしようなんざいい度胸してんなぁ」
「くっ……」
「たしか1回潰したことあったろ、もう1度やられてぇか? 今度は2度と起き上がれないくらい、徹底的に」
たじろぐ武藤を見て、龍崎さんは不敵に笑う。
「覚悟は、出来てんだろうな?」
* * * * *
俺たち2人の登場に、黒士館の面々は困惑した表情になる。光以外の仲間も後から続々と中へと入ってくると、困惑は怯えに変わる。
「な、なんで、こんなに……」
俺1人だと勘違いし、最初は数の差で優勢だと思っていた武藤も、それを覆されて絶望の表情を浮かべていた。
「さて、すぐに終わらせるか。行くぞ、龍巳」
意気揚々と手のひらに拳を打ち付ける光。俺はそんな光の前に手を上げ待ったをかける。
「どうした?」
「……ここまで手伝ってくれたことは感謝する。だが……お前ら、手を出すな」
「んなっ⁉」
光だけでなく、他の仲間たちも驚きの声を上げた。
「おい、龍巳。なに言ってんだ。1人でやるなんて、そんな……」
文句たらたらだった。
光は俺の肩を掴んでそちらを向かせると、批難をこれでもかと表現するように、掴んだ肩を大きく揺さぶる。
「そんな、ここまで来させといて、自分だけおいしいところ持ってこうとすんじゃねぇよ!」
なんてことはない。こいつらは俺の心配をしているわけではないのだ。
単に自分たちの見せ場がないのを不満に思っているだけ。図体ばかりでかい目立ちたがりの子供か。別に誰が見ているわけでもなかろうに。
光の手をそっと払うと、今度は俺が光の肩に、わかってくれと伝えるように手を置く。
「光、これは俺の戦いってやつだ。そこに他の人間が手を出してくるのは、野暮というものだろう?」
言われて、反論の言葉が見つからない光は顔をしかめる。
「それに、たまには格好つけさせろ」
「……はぁ、わかったよ」
納得してくれたのか、光は苦笑い浮かべて頷かべ「だけど、その代わり」とこちらに指をびしりと指して続ける。
「ハンバーグだ」
「は? ハンバーグ? なんの話をしている?」
「今日の夕飯はハンバーグにしろ。それで許してやる」
「また面倒なものを。結構手間かかるんだぞ」
「食いたくなったんだよ。いいだろ、俺作れねぇし」
「料理くらい、少しは覚えてみたらどうだ」
「適材適所だっつてんだろ、いつも」
まったく。色々と教えてはくれるが、やはり面倒をかけてくるな、こいつは。
「……わかった。それなら、買い物もしなきゃいけないな。すぐに終わらせてくる」
「ああ、俺が空腹でぶっ倒れちまう前には終わらせてくれよ」
光は俺の背中をばしんと強く叩いて送り出した。
「というわけだ。お前たちの相手は俺1人でやる。店が閉まるまで時間もないからまとめて来い」
「……舐めてんのか?」
「別に舐めているとかそういうのではない。お前たちのような雑魚には、俺1人で十分だ」
「誰が雑魚だっ、このっ――」
「雑魚だろう? 群れることでしか自分たちを大きく見せられない。お前たちにぴったりじゃないか」
「て、てめぇ……ぶっ殺すっ!」
安い挑発に乗って完全に頭に血がのぼった武藤は、もの凄い剣幕で目を血走らせて叫ぶと、周りにいた人間に「てめぇら、行けぇっ!」と怒声を飛ばす。
「威勢がいい割には、結局人任せか」
ほとほと救いようのない奴だなと、俺は呆れてため息を吐いた。
* * * * *
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