第33話
学校で教師による蹂躙劇が繰り広げられている、ちょうどその頃。
龍巳たち3人組が生死の境をさまよっていることなど知る由もない春花と夏海は、とある喫茶店でお茶を嗜みながら、神妙な雰囲気を漂わせていた。
駅から少し離れているからか、こじんまりとしたお店の中には、他にお客さんはいない。あとは、店主の男の人が1人。わけありそうなお客さん2人が気になって、時折視線を送っている。
「それで、言えなかったんだ」
「……うん」
私はこの前、たっくんと一緒に登校した時のことを夏海ちゃんに話した。結局、謝れなかったことも。カップをテーブルに置いてしょんぼりと肩を落とす。
「謝りたい気持ちもあるし、言わなきゃって思ってるのに、いざってなると……」
これまでもずっとそう。いつだって不安になって、及び腰になってしまう。あの公園を見た時、楽しかったあの頃に戻れたらって、思ったのに。
「時間が空けば空くほど、ごめんなさいって言うの、怖くなっちゃうよね」
「うん。ずっと、話しかけても無関心だったから……」
私は弱々しく頷いた。
これまでのことを思い出す。
1日、1分、1秒。時間が経つたびに、犯してしまった罪がどんどんと積み重なって、たっくんとの間に壁を作っていく感覚だった。それが、気持ちが届かないんじゃないかって思わせて、本当に怖かった。
「でも、今は春花ちゃんの話、聞いてくれるって言ってたんでしょ? 後は春花ちゃんの気持ち次第なんじゃない?」
「……そう、だよね」
たっくんは私の気持ちが整うまで待つって言ってくれたけど、先延ばしにして、あの時謝っておけばなんて後悔は、もうしたくない。
「1回さ、勇気出して話してみようよ。悩んでいても、同じ場所で立ち止まってるだけだよ?」
本当に、夏海ちゃんは私の心を見透かしていて、鋭いところをついてくれる人だ。何度もこうして私の背中を後押ししてくれる。
ここでなにも返さなかったら、それこそずっと同じ場所で立ち尽くしたままだ。私は1歩、前に足を進める決心をする。
「……うん。まだ少し不安だけど、明日たっくんに、気持ち伝えてくる」
私が言うと、夏海ちゃんは燦々と咲く向日葵のように明るく笑って、拳を握りガッツポーズを作る。
「頑張ってね。私が出来るのはこれくらいだけど……うん。応援してる」
「これくらいなんて、そんな……けど、ありがとう。ほんとに」
お互い微笑み合う。
そしてなぜだか、店主の人も安堵するように鼻で笑った。なんでだろう? 2人で顔を見合わせて首をかしげる。
「あぁ、すまない。邪魔してしまったな」
気にしなくていいと、店主さんはこちらに背中を向ける。どことなく雰囲気というか、話し方がたっくんに似ている気がした。ちょっと不愛想なところも。
「え〜と……」
会話が途中で途切れて、変な気まずさが産まれてしまった。夏海ちゃんは困ったように苦笑い。
「と、とにかくっ。春花ちゃん。謝る時は、ちゃんと逢沢くんの気持ち考えて謝るんだよ」
静かな空気に耐えられなくなって、たまらず明るく元気な声を出す。
「なんで怒っちゃったのとか、逢沢くんが春花ちゃんにどうして欲しいかとか、そういうの」
「ど、どうして、欲しい?」
「うん。本当に春花ちゃんに無関心で、なにもして欲しくないなら、春花ちゃんのこと気遣ったようなこと言わないよ…………たぶん」
最後まで自信満々に言って欲しかった。夏海ちゃんは、空気が抜けた風船のように縮こまりながらゆっくり座る。
「たっくんが私に、して欲しいこと……」
朱里さんが言ってた。謝って欲しいわけじゃないって。それでも謝らなければいけないんだけど、たしかに謝るだけでは駄目な気がする。謝れば私の心は少し軽くなるかもしれないけど、たっくんの心はそのままだ。
けど、たっくんは私に、なにをして欲しいのかな。
「……あ、そういえば」
「どうかした?」
「え、あ、ううん。なんでもない」
ふと、懐かしい記憶が浮かんできて、思わず私は声を溢す。昔あの約束をした時に、たっくんが言っていた。
『じゃあ、ぼくとずっといっしょにいてくれる?』
『はるちゃんにはずっといっしょにいてほしい』
……まさか、ね。
いくらなんでも都合が良過ぎるかもしれない。ずっと一緒にいたいのは、自分だ。
その後しばらく考えたけど、これといった答えは出なかった。
「じゃあ、それそろお店閉まるし、帰ろうか」
時計を見ると、19時近く。私たちは帰り支度をして席を立つ。
「長い間使わせてもらって、ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げる。店主さんは気にするなと手を上げた。
「気持ちが伝わるといいな。きっとそいつも、話してくれるのを待っているはずだぞ」
「え? あ、は、はい。ありがとう、ございます」
確信しているような言い方だった。いきなりそんなふうに言われれば、私たちは揃って戸惑う。けれど、不思議と嫌な印象ではなかった。もう一度お礼をして、私たちは出口へと足を進める。
すると、扉に手をかけようとした時。先に外から扉が開かれた。
「ただいまぁ――あれ、お客さん? 可愛い子たちだねぇ」
中に入ってきたのは、長い紅色の髪の、綺麗な女の人だった。
背が高くて、堂々とした姿勢だからモデルのようだったけど、腕には赤ちゃんを抱えている。ただいまって言っていたし、きっと夫婦なんだろう。
ぽぉっと見惚れていると、女の人は私たちに柔らかく微笑みかけた。
「こんな時間までいてくれたんだ、ありがとね。よかったら、また来てよ」
「あ、は、はい」
手をひらひらと振る女の人に会釈をしてから、私たちはお店を後にする。
「……ねぇ仁次、あんたあの子たちに、ありがとうございましたって、ちゃんと言った?」
「…………あ」
「は? あんた、それ客商売の基本だろうがっ。もうちっと愛想よく出来ないのかいっ? まったく……」
「いや、待ってくれ、モモ。制服を見ただろ? あの子たちは、たつ――」
「言い訳すんじゃないよっ!」
家路につこうとしていた足を思わず止める。扉越しに、そんなやり取りが聞こえてきた。
「あ、あはは……」
奥さんの方が、旦那さんよりも強いみたいだ。さっきまでの凛々しい印象がちょっとだけ変わる。
私と夏海ちゃんは、顔を合わせて乾いた笑い声を漏らした。
「――あ、春花ちゃん。私こっちだから」
途中まで一緒に歩くと、やがて別れ道に差し掛かかった。夏海ちゃんとはここでお別れだ。
「今日はありがとう、夏海ちゃん」
「いいって。力になれたのなら、それで良かったよ」
「また、なにかあったら相談させて」
「うん。その時は、雀ちゃんも一緒だといいね」
「仕方ないよ。お家のお手伝いがあるって言ってたし」
雀ちゃんは夕ご飯の買い物があるということで、今回は不参加だ。施設には子どもがたくさんいるから、買い物の量も結構するみたい。
なにか手伝えたらいいね。そうだね。そんなやり取りを交わすと、若干の名残惜しさを表情に残して、夏海ちゃんは手を振り帰って行った。
「もう暗くなりそうだし、私もそろそろ帰らなきゃ」
今から帰れば、夕ご飯までには間に合うと思う。私は再び帰り道へと足を向けようとした。
「……なぁ、そこのあんた」
「え?」
けれどその時、不意に後ろから、誰かに呼び止められる。
「うっ!?」
そして振り向いた瞬間、バチっと、体に電流を流された感覚が走った。
体に力が入らなくなって、真っすぐ立つことが出来なくなった私は、声をかけたであろう人物に、寄りかかるように倒れこむ。
「へへっ、人質確保っと……武藤さんに連絡しなきゃな」
なにか言っているけど、上手く聞こえない。だけどよくないことだっていうのはわかる。
(た、たっくん、助け……)
朦朧とする意識の中、私は心の中で彼の名を呼んだ。
* * * * *
何者かに春花が連れ去られる一部始終を、陰から見ていた少女が1人。
「だ、誰か、助けを呼ばないと……」
少女はスマホを取り出すと、助けを呼ぶ為に、幼馴染の少年に電話をかけた。
* * * * *
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