第2話
春の風が桜の花を散らし、行き交う人々の前に花びらのカーテンを作る。まるでその中を進む新入生たちの新しい門出を祝っているようだ。
県内でもトップレベルの偏差値を誇り、毎年多くの優秀な生徒を世に送ってきた名門校である。
そんな、伝統ある学園の通学路。
始業時間まではまだ時間があるが、すでに多くの生徒たちが、これから自分たちの通う学び舎へと歩みを進めている。
ある生徒はこれからの学校生活に期待を膨らませ笑顔で。
またある生徒は不安と緊張のあまりこわばった表情で。
かつての友人と再会し、喜び合っている生徒もいる。
入学早々新しい友人を作る為、手当たり次第に声をかけまくっている、コミュニケーション能力の高い生徒もいた。
そんな、それぞれが新しい学校生活に思いを馳せる中。
「はぁぁ……」
晴れ晴れとした雰囲気をぶち壊すような、それはそれは深いため息をつく男子生徒が1人いた。
真っ黒な髪。切れ長の目。制服越しでもわかる引き締まった体。意外と整った顔立ちだが、今はけだるさを隠そうともしないため、その魅力は半減している。
周りの生徒たちは誰も近づこうとしない。こいつとだけは関わるまいと、皆一様に目を逸らしていた。
(大体、始業前に行って何があるっていうんだ)
正直もう少しのんびり登校したい。というよりも、学校自体行きたくない。
しかし姉さんが早く来なさいと言うのだ。行かなければ、後で何を言われるかわかったものではない。
姉さんが俺とまた話すようになったのは、俺が同じ高校に行く事が決まってからだ。と言っても、SNS上でのやり取りが大半だが。
中学の頃は、ほとんど話さなかった。
たまに話しても、事務的な要件だけ。だから、姉さんが何を思って俺に接してくるのかわからない。
(だって、姉さんは俺を嫌っているじゃないか)
それに対して何か思うことはない。ギクシャクした関係の姉弟なんて世の中を探せばごまんといる。ただ、いきなり態度を変えられると、やはり対応に困るのだ。
そんな事を考えながら歩いていると、何やら校門の前が騒がしいことに気付く。そちらに視線を向ければ、校門の前に立つ女子生徒を見て新入生たちが声をひそめて話し合っていた。
「うわっ、すげー美人。誰か待ってんのかな?」
「髪綺麗……リボンが緑色ってことは、2年生だよね?」
「……俺、ちょっと声かけてみるわ」
集団の中から、先程まで手当たり次第に生徒に声をかけていた生徒が、その女子生徒にも声をかけようと近づく。いかにも遊んでいる感じの、髪を金色に染めたチャラチャラとした風貌の男子生徒だ。傍からみればナンパしようとしているふうにしか見えない。
男子生徒は、表情を爽やかな笑顔に作り変えて女子生徒に声をかける。
「おはようございます! 先輩、今お一人ですか? もしよかったらなんですけど、学校の中案内してくれま――」
「あっ、龍巳!」
案内してくれませんか?
そう言おうとする男子生徒を華麗にスルーしながら、女子生徒はこちらに気が付いたようで、その横を通り過ぎて俺に近づいてくる。
声をかけようと笑顔で手をあげた男子生徒はそのままの姿勢で固まっていた。若干笑顔がひきつっている。
『うわぁ……』
そんな声が聞こえそうなくらい、その光景を見ていた通行人たち(学生ではない人たちも)は、残念な物を見るような視線を男子生徒に注ぐ。中には笑いをこらえている者もいた。
「ようやく来た……ちょっと龍巳、早めに来なさいって言ったでしょ? 始業時間まで30分もないじゃない」
女子生徒は不満げな顔をしながら、腕を組み俺の眼前に立つ。先程の男子生徒など、興味の中に入っていないようだ。
綺麗な、長い真っ黒な髪。やや切れ長の目。ふくれっ面になっているが、それでも美人とわかる整った顔。
どこか、目の前にいる少年に似ているな……。
この2人を見ていた人達はそう思っただろう。
その女子生徒は、寝坊したんじゃないか、道に迷ったんじゃないか、と俺に詰め寄ってまくしたててくる。
「いや、あのだな」
結構急いで来たのに、この言われようは無いんじゃないか? そうは思うがグッと言葉を飲み込む。
だいぶ前から待っていたのか、女子生徒の頬は冷たい朝の風にあてられて少し赤くなっていた。それを見てしまうと待たせてしまって申し訳ないな、と思ってしまう。ここは、素直に謝ろう。
「遅くなってすまない、姉さん」
文武両道、才色兼備、品行方正で人あたりがよく、小学生の頃から周囲の期待と信頼を勝ち得ていた、誰もが認める才女である。今朝知ったが、生徒会役員も務めているとか。まぁ、姉さんなら生徒会に入っていても不思議だとは思わない。
そんな自慢の姉ではあるが、俺は姉さんを避けている。
何故か? それは俺が姉さんに嫌われているからだ。
姉さんに迷惑をかけてこれ以上嫌われないた為にも、必要以上に接しないようにしている。だいぶ極端ではあるが、これが一番手っ取り早い。
昔は仲がよかったが、ある日を境に今のような関係になってしまった。
きっかけは本当に些細な事だった。どうしてこうも
俺の謝罪を聞いた姉さんは、少々焦った様子になる。
「あっ、違うの龍巳。少し遅いから、何かあったんじゃないかと思って心配しただけなの。怒ってるわけじゃないから……」
「別に、待たせて悪かったと思ったから、謝ってるだけだ。それより、始業時間までまだ時間はあるが、何か用でも?」
寒さで頬が赤くなるまで待つくらいだ。なにか用があって早めに来るように言ったのだろう。姉さんは少し考える仕草をした後、ほころぶような笑顔を見せる。
「今からだと全部は回れないけど、今日は私が学校の中を案内してあげるわっ」
「いや、HRとかでやるだろうから、別に――」
「い、いいからっ、それに1年間生活してきた生徒の意見も重要でしょ?」
……ふむ、たしかに。
だがそれだと何年も在籍している教師はどうなんだろう。とも思うが、まぁ生徒の目線からしか見えないものもあるだろう。
それに、朝早くから待っていてくれたのだ。断るのも胸が痛む。ここはお言葉に甘えよう。
「わかった。それじゃあお願いできるか? 姉さん」
「え、ええ!」
「とりあえず、自分のクラスだけ確認させてもらってもいいか? 教室にたどり着けなければ本末転倒だ」
「さっき確認しておいた。1年B組だったよ」
校門を過ぎた先にある掲示板。そこに全学年のクラス割が貼ってある。目についたので、一応確認しておいた。
1年B組 出席番号1番 逢沢龍巳
クラス名簿の1番上に名前があったので、すんなりと見つかる。
「俺たちの苗字って、こういう時便利だな」
「まぁ大体いつも1番になるからね。それより、席の場所はちゃんと確認しなさいよ? 何年か前からだけど、うちの学校って年度始めの席順は、名前順じゃなくて、ランダムになったから」
「……何故?」
「さぁ? でもそっちのほうがワクワクするし……理由なんてそんなものじゃない?」
「まぁ、たしかにワクワクはするとは思うが……」
「でしょ? ほら、生徒の意見も重要じゃない」
絶対に違う理由だと思う。
それに俺は新入生だから、ランダムであろうとなかろうと関係ないのでは? 言えば藪蛇になるので言わないが。
まぁ、それでもワクワクする気持ちはある。
どんな生徒が近くに来るのだろうか。
おもしろい奴はいるだろうか。
そいつらとは親しく出来るだろうか。
……あと、できれば1番後ろの、それも窓際の席がいい。さぼりやすいから。
「今、何か不真面目なこと考えてなかった?」
「っ! いや、別に普通の事を考えてただけだ」
「そう? それなら、いいけど……」
その返事を聞いても、未だに姉さんは疑いの目を向ける。心の底を見透かされているみたいだ。姉さんの前では下手なことを考えるのはやめよう。
だが、嘘は言っていない。健全な学生なら、普通に考えることだ。
真面目な学生なら考えないだろうが……。
そんな、他愛のない会話。こんな時間は数年ぶりかもしれない。姉さんは話している間、童心に帰ったような笑顔を見せ、心なしか声も弾んでいる。
(よかった。普通に話せてる……)
家族と普通に話す。その普通が、今までは遠かった。
正直、もう無理だと思っていた。こんなふうに話すのは。
だけど、理由はわからないけど、姉さんの方から歩み寄ってきてくれた。
まだ、やり直せるんじゃないのか?
そうすれば、また戻れるだろうか? あの頃のような姉弟に……。
「龍巳? どうかした?」
「……いや。ちょっと考え事を、な……」
「? ならいいけど……。それより、早く行きましょうっ。急がないと回る時間が無くな――」
俺を急かそうと腕を引こうとする姉さん。その腕を取るために、姉さんは顔をこちらに振り向かせる。
「ーーっ!」
終始笑顔だったその顔が、ほんの少しだけ、怒りの色に染まった気がした。その視線は俺の後ろに向かっている。
……何だ?
俺はその視線を追うように振り返ろうとする。
「い、行きましょうっ!」
「は? ちょっ……」
姉さんの焦るような声が聞こえ、先程よりも強い力で腕を引かれた。それにつられて、振り返ろうとしていた頭が引き戻される。
(何だったんだ? それより、さっきのは……)
振り返ろうとした時、一瞬ではあった。
視界の端、桜が舞う校門の前に、見覚えのある、栗色の髪が見えた気がした。
* * * * *
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