あいざわくんは愛さない ~好きだった幼馴染に裏切られて恋愛感情を失くした少年に幼馴染はもう一度好きになってほしいそうです〜

愛上夫

第1章

第1話


「あなたが、好きです」


 夕陽が紅く照らす放課後の屋上で、少女は俺にそう告げた。


 肩まで伸びた栗色の髪。クリっとした愛らしい目。


 小柄な体躯で、どこか仔犬を思わせる雰囲気がある少女。10人に聞けば、10人全員が美少女と答えるだろう。


 そして、昔からよく知っている……俺の幼馴染だった少女だ。


 そんな彼女は緊張からかキュッと口をつぐみ、目元は僅かに潤んでいる。その頬が紅く染まっているのは、きっと夕陽のせいだけではないだろう。


「…………」


 そういえば、まだ2人とも小さかった頃。小学生になったばかりだっただろうか。今日のような夕陽の差し込む公園で、今と同じような表情で、目の前の少女に好きだと伝えられた事がある。


 あの時俺は何と答えたのだったか……。


 上手く思い出せない。多分俺も好きだとか、そんな風に答えた気がする。


 だけど、今は……。


「……お前の気持ちには、応えられない」


 そう言って、彼女の告白を拒絶する。


「……うん」


 彼女は消え入りそうな声で頷いた。「どうして?」とは聞かない。こうなると予想していたのだろう。


 その、今にも泣き出してしまいそうな顔には、悲しみや後悔、といった感情がにじみ出ている。


「…………」


 正直、あまり見たくない表情だった。記憶の中の彼女はいつも明るく笑っていたから。


 彼女が自分を責めて辛い気持ちになって欲しくはない。これは俺自身の問題だ。だって俺は……。


「俺は好きだとか、そういうのがよくわからないんだ」


 思えば、今までその感情を向けた人達は皆俺から離れていった。


 俺達家族を守ると言った父さんも、俺を愛していると言った母さんも、いつも俺を抱きしめてくれた姉さんも。


 そして、好きだと言ってくれた、目の前の少女も……。


 離れていってしまうのなら、こんな感情は知らなくていい。わからないままでいい。


「だから……」



 だから、俺はお前を好きにはなれない……。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 幼い頃の夢を見た。


『わたし、たっくんのことがすき!』 


『じゃあ、これからもずっとわたしといっしょにいてね!』


『やくそくだからね!』


 幸せそうな少女の声。


 俺も幸せだった。こんな時間がずっと続くと思っていた。


 だけど……。


『――まじでだせー。――さんもそう思うよなぁ!』


『えっ、あの……、うん……』


 クラスメイトに囲まれ、床に座り込む俺を見て少女は躊躇いがちに頷いた。


 そして――。


「……んっ、んぁ」


 ……早朝を告げるけたたましい音で、俺は目が覚める。


 見慣れた天井。朝の陽光が差し込む部屋。


 数日間部屋の主が不在だったからか、埃が光に照らされキラキラと舞っている。


 窓の外では小鳥達がチュンチュンと鳴いていた。


「……はぁ……くそったれ」


 最悪の朝だ。


 最近めっきりと見なくなったはずの夢。ようやく俺も過去を振り切って前を向けるようになったかな? と思った矢先のこれである。


 あの後のことは……思い出すと吐きそうになる。


 まだ夢の余韻が消しカスのように胸に散らばり、消しても消しても思い出の欠片が残り続けているようで、何だか気分が悪かった。


「……ちっ」


 未だに鳴り響くサイドテーブル上のデジタル時計を睨んで舌打ちする。甲高く耳障りな音が、その欠片をぐちゃぐちゃにかき混ぜて不快感に拍車をかける。俺は半ば八つ当たり気味に拳を叩き付けてアラームを止めた。だが……。


「……?」


 それでも懲りずに鳴り響くアラーム音。音の発生源に目を向ける。それは枕もとにあるスマートフォンから出ていた。


「……はぁ」


 そういえば両方ともアラームをセットしていたな。そんな事も忘れてしまうほど動揺している自分が情けなくなってきて、ため息が出る。先ほどまで感じていた苛立ちも、ため息と共に霧散してしまった。


(……とりあえず止めるか)


 耳障りでしょうがない。そう思ってスマートフォンの画面を開くと2件のメッセージが来ていた。母さんと姉さんからだ。


 アラームを止めてからメッセージを確認する。そこには――。


『龍巳、高校入学おめでとうございます。起こそうと思ったんだけど、よく寝ていたからそっとしておきました。お母さん先に出てるから、遅刻しないようにね』


『入学おめでとう。生徒会の仕事があって一緒には行けないけど、校門の前で待ってるからなるべく早く来なさい。入学初日から遅刻なんて許さないから』


 と、書かれていた。


「……あぁ、今日は、入学式だったか」


 昨夜のことを思い出す。


 流石に入学式の前日くらいは家に帰ったほうがいいだろうと思って帰宅したのが夜中の22時ごろ。


 母さんと姉さんを起こさないようにと静かに玄関の扉を開けたのだが、リビングの灯りが点いていた。誰か起きているようだ。


『……ただいま』


 そう言ってリビングの扉を開けると姉さんがソファーに座って本を読んでいた。


 姉さんは『おかえりなさい』と顔を上げてこちらを向く。


『明日の入学式だけど、お母さんお仕事休みが取れたらしいから来てくれるみたいよ。さっき連絡が来た。……よかったね』


『そう、か……。珍しいこともあるもんだな』


『うん』


 その返事を最後に、お互い黙り込む。


 リビングを満たす沈黙。これが数日ぶりに顔を会わせた姉さんとの会話だった。


 SNS上では最近頻繫に連絡を取り合っているのだが、やはりいざ面と向かい合うと緊張するな。


 その後微妙な雰囲気に耐えきれなくなったので2階の自室へ向かい、遅刻しないようにと7時半にアラームをセットして布団に入った。


(……ああ、そうだ。確かそんな会話だった)


 徐々に意識の焦点ピントがあってきた。やはりあの夢を見た後は、どうにも寝起きが悪い為頭がうまく働かない。いい加減どうにかしなければと思っているのだが、こればかりは気持ちの問題だ。考えていても仕方がない。


 というか姉さん、生徒会だったんだな。ここ数年あまり話していなかったから知らなかった。


 あと2人とも遅刻を心配するなら、遠慮なく起こしてくれてもよかったんじゃないか? そうすればあんな夢見なくて済んだ。もう過ぎた事だからいいが……。


 スマートフォンの時計を見る。液晶には7時33分と表示されていた。


 始業時間が8時40分。家から学校まで20分くらいだから、まだまだ余裕がある。しかし姉さんに早めに来るよう言われているから、少し急いだほうがいいだろう。


 とりあえず俺は布団から出て、真新しい制服に着替える。


 1階に降りて朝食を腹に詰め込み、食べ終わった後の食器を洗う。


 洗面所へ行き、簡単に身だしなみを整えて玄関へ向かう。


 ……いつもと変わらない朝。


 家での朝は大体いつも独りだ。「いってきます」を言う相手もいない。


 玄関の扉を開けて家を出る。4月になったが、まだ朝は少し肌寒い。 


 家を出る時に、玄関横にある表札が目に入った。


逢沢あいざわ


 俺の姓。俺が母さんと姉さんの家族である証。


 だけど、俺は本当に母さんと姉さんの家族をできているのだろうか?


 家族だと、思われているのだろうか?


(……まぁ、最近は家にほとんどいないからな)


 完全に自業自得である。


 実家に寄り付かない不良息子がいれば、『あなたなんて、うちの子じゃありません!』と言われても仕方がないだろう。あの母さんが、そんなこと言うとも思えないが……。


 だからせめて、家にいる時くらいは家族らしい事をしようと思う。


『いってきます』『ただいま』そう言うだけで、少しは家族らしく見えるのではないか?


 だから俺は誰もいなくなった家に向かって……。


「……いってきます」


 そう、小さく呟いた。


* * * * *


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