コシチェイの卵
ことこと煮物
1
昔々のお話です。
誰も知らない森の中に、ごく平凡な一匹の妖怪が住んでおりました。
その妖怪は人を好み、人を観察し、いつしか己が想う人間を作りたいと模索するようになりました。
ーーーー
「これで一安心だな、腐敗は進まないし卵の魔法も安定した。」
長い間の緊張から自然と力が抜けたらしい。ほ、とため息が一つ口からこぼれた。
きっとひどい顔をしているだろうと覗き込んだ立て掛けの鏡の中には、三つ目の黒猫が二股の尾を揺らしていた。全身覆うローブのせいで人に見えなくもないだろう。
ブギーマンという妖怪。
それが私、トルバランである。
私の疲れた顔ばかり見ていても、気に病むだけだ。目の前の椅子に座ったまま縛られている少女に目を向ける。
「思いついて作ってはみたが、なかなか愛らしいじゃないか」
整った容姿はまるで眠っているようにも見えた。
彼女が生きていればきっと魅力溢れる人物に成長しただろうが、残念ながらこれは先日攫ってきた人間を防腐処理を施した実験用の体。
当然死んでいる。白銀の髪を掬えば、厚手の手袋をはめた私の手から滑らかな絹の様に流れ落ちた。
「妖怪が作る人間は、本来の人間のような意志を持てるのだろうか。楽しみだな」
人は人にしか作られず、妖怪は人によって作られる。そして例外なく人の忘却に殺される。
それがこの世界での常識、いわば、妖怪にとって人間は神のようなものだ。
人は強い。彼らは己の意志を輝かせ、利用し、現実を変えていく。それは妖怪には不可能なことだ。
私は人間の意志が好きだ。彼らの輝きを得たいとすら思ってしまう。
けれど、私は人間ではなく妖怪だ。だからこそ、私の望みをこの肉体へ託そうと思う。
「楽しみではあるが…今何時だったかな?」
きょろきょろと部屋を見渡しても、残念ながらこの地下の部屋には時計を持ち込んでいないことを思い出した。
正確な日数は知らないが、時間はそこそこ経ってはいるだろう。時間経過を意識すると、急に体が鉛のように重くなってしまった。
少女から目を離すのは少々惜しいが、流石に寝たほうがよさそうだ。
もういっそのこと彼女の隣で寝てしまおうかとも考えたが、そんなことをしてしまえば寝相が悪かった時にうっかり蹴り上げてしまうこともあるかもしれない。
少女の手の中にある特殊な卵が転がり割れるのだけはどうしても避けたかった。
複雑に模様が刻まれた卵は、一般的な鶏が生むサイズである。
地下室から這い上がり、息切れをしながらギイ、と重い木製の扉を開くと、そこには見慣れた乱雑な私室が広がった。床には所々紙が散らばっているし、本棚は名前順に並べられていない。酷いものだと、床に放置されているものもある。
「片付けは…起きてからでいいか。」
かぶったフードをボリボリと掻いた。今はベッドへ横になりたい。ふかふかとは言い難いが、慣れ親しんだベッドへ身を落としたらきっと一緒に意識も落ちるだろう。
私の三つの目玉はもう今にも閉じそうなのだ。ぐしゃぐしゃになった毛布をテキトウに広げると、そこへ身を沈みこもうと手をつけた時。
コンコン。
「?」
玄関の方から、来客の知らせの音がする。睡眠を邪魔されたことに多少の苛立ちを覚えながら、誰か来る予定だったかと思い出そうとした。ダメだ、頭が働かない。居留守を使おう。きっとそのうちに諦めて出ていくだろう。
ぐだぐだと考えているうちにその場に座り込み、ベッドへ上半身を投げ出した。暫く鳴っていたノック音は鳴り止んだかと思えば、木製の扉を開く音に変る。
(ああ、鍵を閉めていなかったかな。)
来訪者の目的はなんだろうか。そここの扉を開ける音の間隔が短いから、私を探しているのだろう。座り込みつつぐったりとベットに上半身を預けながら、誰がきたのかとリビングへと繋がる扉が開くのを見つめていた。
「あ、ここにいたのトル」
「…君か、ブッツェ」
扉の隙間から顔をのぞかせた彼はブッツェマン。背中に4対の大きな黒い蜘蛛の足が生えていることと血の気のない真っ白な肌に目をつむれば、黒いシルクハットが似合うただの子供のようにも見える妖怪である。
彼は様子を見に私の家へと足を運んでくれる唯一無二の親友だ。
困ったな、とでも言いたげに眉をひそめた彼は背中の足も器用に使いながら私の体を持ち上げてベッドへと横たえさせる。
「君か、じゃないよトルバラン!3日も篭って何してたの?」
「…3日も経ってたのか」
「そうだよ、君ったらすぐに引きこもるんだから…」
掛け布団をかけながら、ぷりぷり怒った様子である。ブッツェは世話好きで日常にとんと無頓着な私としては大変助かるのだが、小言が少々うるさいのが玉に瑕だ。
すでに開くことも困難になってきた私の三つ目は、とても彼に向けられない。代わりに手探りで探し当てた彼の衣類を緩く引っ張ってみた。
「ブッツェ…」
「わかってるから早くお眠り。この資料の山だ、また何か研究でもしていたんでしょう?」
私のことをよく分かってくれているようで何よりだ。彼はこの乱雑な部屋を勝手に弄ることは私が嫌うとよく知っているから、このまま意識を手放したとしても荒らされるようなことはないだろう。
揺蕩う意識の中で、ギシ、と彼がベッドの上に腰掛ける重さを感じながら眠りについた。
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