8 財布の一件の顛末
こんにちは。
弟のお財布の一件ですが、解決しました。電車の中にあったのを届けてくれ方がいたらしい。優しい人がいたもんだ。本当に良かった。
朝に鉄道の会社から電話が有ったそうで。ほっと一安心。
正直で優しい人がいるなぁと思うのだけれど、もし自分がその立場でも届けてしまうだろうなぁ。実際に色々と届けて来たし……まだ財布を拾ったことはないけれど。でも財布を拾っても同じこと。自分のものにしてしまったら別の悪い事が起こる気がしてしまう。平穏に過ごせたはずの日常をそんな事で手放したくはない。
前にも書いたかもしれないけれど、少し前までは小銭を拾う事が結構あって(最近は外に出ないからあまりない)、一円とか十円とか届けるのも迷惑な少額の場合、申し訳ないけれど届けないで寄付のボックスや神社やお寺のお賽銭箱に拾ったお金です、とお願い事をしないで預けたりしていた。自分のお金にするのは違うし……
お金の額面にかからわず、着服してしまったら寝覚めが悪い。結局のところ、届けるのは自分の心の健康の為。日本は落とし物が戻って来るのが美徳と言うけれど、人の為だけではない。
落とし
SNSなんかを見ていても毎日のようにロストバードの情報が流れて来る。猫や犬だってそうだけれど、日本でペットにされている鳥は特に寒さに弱い品種が多い。こんな真冬に外で迷子になってしまったら、まず命はない。寒さを乗り越えたとしてもカラスや野良猫に狙われる。夏場だって、涼しい場所を知らず、水も飲めず、ご飯も食べられず。飛ぶのも上手ではないし。生き残れる可能性は本当に低い。
物だけでは無くて、こういう動物も飼い主のもとに戻って欲しいといつも思っている。なのに見つかりました報告があるのはごく一部。逆に拾いました報告から飼い主が見つかりました報告があるのもごく一部。
年配の方が探している場合は、SNSを見ていないかもしれないから仕方がないけれど、それでももっとロスト動物と飼い主が紐づいてもいいだろう?と思う。飼い主は「自然に還れ」なんて言って放っているのだろうか。飼い主の事を思う動物の心細さを思うと胸が痛い。
現在、うちに残った最後の一羽のコザクラインコは、もし私と離れたら生きていけないだろうなぁ。私とペアになっていると思っているから。他の家族でも理解しきれない「やって欲しい事」の殆ど(どこを掻いて欲しい、撫でて欲しい、水が飲みたい、服の中で寝たい、一緒に寝たいなど)を把握して実現している私がいなくなったら、寂しさとストレスで死ぬだろう……。ロストするという事はそういう事なんだよなぁ。
動物も物も同じ。物にだって持ち主を待っているはず。
それにしても財布が見つかってよかった。
情けは人の為ならず。誰かに優しくしてもらったら、同じように優しくしようと言う気になりますね。
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