第328話

「ちなみにこちらの文化祭は今月末にあるのですが」

「あ、少し早いんだ」

「ハロウィンも近いので、そっちに寄せた飾り付けをしたりしますね」

「へぇ、面白そうだね」

 そんな話をしながら立ち上がった久音は、すぐ後ろにあるベッドに腰かける。

 ようやく追い詰められた状態から解放された涼太は定位置に戻り、飲み物で喉を潤した。

「十月末だと平日か」

「はい。うちの学校は基本的に部外者を入れないので。家族は例外ですけど」

 その先は言わなくてもわかりますよね、と久音がベッドから微笑み掛ける。

「平日でしょ? さすがに無理だよ。それにバイトとか文化祭の準備もあるしさ」

「ですよね。えぇ、わかってました」

 ならそんな風に話を振らなくてもと思うが、可能性はゼロではない。

 誘うだけなら損もしないので、そうしたに過ぎない。

 限りなく無理とわかっていても、アクションを起こさなければなにも起きないのだ。

 それをよく理解している久音は、どんな事であれまずは動く。

「ハロウィンと言えば、なにかしないんですか?」

「ん? いやぁ、特に話は出てないかな。文化祭でそれどころじゃないし」

「あの人なら喜んでなにかを企みそうなイベントなのに?」

「アイカなら別に。夏祭りみたいに出店でもあれば行きたがるかもだけど、仮装はしないと思う」

「よくわかりませんね、興味を持つ基準が」

「本当にね」

 兄妹揃って振り回される事の多い相手に、苦笑が重なった。

「でも残念です。なにかするなら、私も参加したかったのに」

「文化祭と被ってるから無理でしょ、どっちにしても」

「そうですけどね。でも、涼太さんにトリックオアトリート、したかったなと思って」

「意味わかんないよ」

 どういう事なのかと首を傾げる涼太に微笑み掛けながら、久音はベッドに寝転がって両腕を投げ出す。

「なんなら別の日にでもしますか、私とトリックオアトリート?」

 それから身体を横に向け、ベッドの上から顔を出して問いかける。

 悪戯めいた笑みは、すでにハロウィンの気配を纏っていた。

「遠慮しとく。今はあげられるお菓子もないし」

「じゃあトリックで決定ですね」

「理不尽がすぎるって。そもそもまだ時期じゃないし」

「細かい事はいいじゃないですか」

「いやそこ大事でしょ」

 なにも用意がないのだから勘弁してくれと涼太は笑って返す。

 久音が半分以上本気で言っているとは思ってもいない。

 ベッドから顔を出していた久音はつまらなそうに鼻を鳴らし、ごろんと転がってうつ伏せになる。

 丁度枕に顔を埋める恰好になっていた。

 あまり使われてはいないが、埃っぽくはない。

 ちゃんと定期的に洗濯され、外に干してあるおかげだ。

 久音は顔を埋めたまま、大きく息を吸い込む。

「……こっちのベッドはまだ、全然涼太さんの匂いがしませんね」

 そして聞きようによっては問題になりかねない発言をする。

「は? ちょっと、なに言って……っていうか、なに寝転がってるの!?」

 弾かれるように立ち上がった涼太は、まるで自分のベッドかのように寛ぐ久音に驚愕した。

 うつ伏せのまま枕の下に腕を回した久音は、それを抱くようにして顔だけを横に向ける。

「別に深い意味はありませんよ。ただリラックスしてるだけです」

「仕方に問題があるでしょ。って言うか、やめてよ、匂いがどうとか」

「涼太さんの匂いはしないから、大丈夫ですよ」

「ならいいか、とはならないから」

「あっちの枕はちゃんと涼太さんの匂いがしますけどね」

「いやだから、やめてよ」

 汗の匂いがするとか言われるよりはマシだが、別の意味で落ち着かないのも確かだ。

 久音の行動は普段のアイカと同じで、意識させられると困ってしまう。

 もちろんそれは久音の意図するところだ。

 そんな恥ずかしがる涼太を見て、久音は小さく笑う。

 が、すぐに憂いを帯びた表情になり、枕をギュッと抱き締める。

 マンションのベッドや枕は確かに涼太の匂いがする。

 しかし、それだけではない。

 アイカの匂いや気配もまた、そこにはあった。

 数ヶ月経つのに、未だに一つのベッドで寝ているというのが許せない。

 状況的にもう一つ増やせないのはわかるが、せめて寝袋かなにかを用意しろと言いたい。

 ただそれを言い出さないのは、久音自身が涼太のベッドで眠る口実を残しておくためでもある。

 久音がマンションに宿泊する際、涼太はいつもフローリングにクッションを敷いて眠っている。

 だから久音と一緒に眠るという機会はまず訪れないが、それもまたゼロではない。

 冬場になればフローリングは冷え、とてもではないが眠れないだろう。

 そうなればチャンスはある。

 アイカさえいなければ、という条件はつきまとうが、久音なりの打算がそこにはあるのだ。

 ここ最近、久音には焦りに似たものがある。

 勝負どころだと思い、自分なりに大胆な行動も取った夏休み。

 楽しい想い出はたくさん出来たし、他にも得たものは多い。

 けれど、決定的な事はなにも起こらず、期待していたほどの進展はなかった。

 やはり住んでいる場所が遠すぎるのが問題だと、改めて思い知る。

 どうしても一緒に行動する時間が限られ、その分だけ決定的なアクシデントを逃した。

 この瞬間も久音は知らない。

 その決定的なアクシデントは、天城紗千夏がきっちり起こしていたと。

 唯一知り得る第三者のアイカも、その点は報告せずにいる。

 涼太がどうしてもと土下座までして秘密にするよう頼み込んだからだ。

 しかし、それを知らずとも久音は危機感を覚えていた。

 直に天城紗千夏と会い、話したからわかる。

 ただのクラスメイト、ただの友人で済ませるには距離が近すぎる。

 そしてなにより、紗千夏が時折見せた涼太への視線や表情。

 身に覚えがあるからこそ、久音は理解していた。

 天城紗千夏自身もまだ明確に出来ていない、その感情の名前を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る