第5話

 何事もなく放課後を迎える事ができた涼太は、疲れた身体を引きずるようにしてバイト先へと歩いていた。

 体育の授業がなかったのは彼にとって不幸中の幸いだった。

 慌ただしい目覚めからの全力疾走。

 友人である紗千夏のおかげで、辛うじておにぎりを食べる事はできたが、普段に比べたら物足りない朝食だ。

 おまけに一日中眠気にも襲われていた。

 昨晩は眠ったというより、気絶していたようなもの。

 だからなのか、授業中は眠らないようにするので精一杯だった。

 何度か危うい瞬間はあったが、それでも居眠りせずに済んだのは気合いとしか言いようがない。

 結果的にそのせいで体力が満足に回復していないのだが、仕方のない事だった。

「シフトに入ってなくて良かったな」

 通い慣れた道を歩きながら、涼太はため息を吐く。

 そもそもの原因は、代理で入った昨日のバイトのせいなのだから、素直に喜べはしない。

 涼太の自宅から学校までの距離は、徒歩で三十分程度。

 バイト先であるコンビニは、その通学路からズレた場所にある。

 丁度三角形を描くような位置関係なので、バイトがある日は遠回りをする事になっていた。

「どうも、お疲れ様です」

 ようやく到着したコンビニに入り、レジにいる店員に挨拶をする。

「おつかれー。あれ、在原って今日シフトだっけ?」

「いや、休みです。自転車パンクして置いてったんで、取りに来たついでに」

「ついでに俺と代わってくれるって事か。いい心がけだな」

「違います」

「即答かー、ははっ」

「適当にやってると、また店長に怒られますよ、一馬かずまさん」

 涼太は慣れた様子で、バイト仲間の軽口に答えた。

 もし店内に他の客がいたらこんな会話はできないが、今は都合よく誰もいない。

 一馬と呼ばれた若い男の店員は、店長の息子だ。

 二十歳で無職。

 見兼ねた店長の一声で、バイトをさせられている身だ。

 比較的年齢も近いので、涼太とはいいバイト仲間だった。

「で、店長ですけど、います?」

「さっき出かけた。なんか用か?」

「いえ、いるなら挨拶しておこうかと思っただけで。自転車、置かせてもらったから」

「律儀だねぇ、高校生のくせに」

「雇ってもらってる身なんで」

「へいへい。ま、俺から言っとくよ」

「助かります。それじゃ、バイト頑張ってください」

「おう」

 ペットボトルのスポーツドリンクを一本だけ購入し、涼太は店を出た。

 その足で店の裏手に回り、置きっぱなしにしていた自転車のロックを解除する。

 パンクしているのは前輪を確かめつつ、予め調べておいた最寄りの自転車店へと向かう。

 修理してもらっている間、涼太はスマホでこの地域の事を検索した。

 昨夜の事について、なにかニュースになっていないかが気になったのだ。

「特にはないっぽいな」

 不審な女の目撃情報や事件の類はなにもない。

 昨日だけではなく、過去にもそんな情報は見当たらなかった。

「ま、だよな……」

 何度目かになるため息を吐いて、スマホをしまう。

 そもそも調べるための情報が不足しすぎているのだ。

 あの謎の女の正体は当然として、名前すらまだ知らない。

 あんな場所に裸でいた理由も、涼太を追いかけてきた目的も。

「あいつ、まだいるのかなぁ」

 大人しく待っているなどとふざけた事を言っていたが、果たしてどこまで本気なのか。

「修理、終わりましたよ」

「あ、ありがとうございます。助かりました」

 店主に礼を言って代金を支払い、涼太は自転車に跨った。

 夕陽と言うにはまだ高い日差しを見上げ、自宅へ向けて漕ぎ始める。

 パンク修理のついでになにか点検でもしてくれたのか、昨日までより自転車の調子が良いように思えた。

 朝の全力疾走と、学校からここまでの徒歩移動。

 それがあったからこそ、より自転車での移動が快適に思えたのかもしれない。

「でも、パンクのせいなんだよなぁ、昨日のアレ」

 そう考えると素直に喜ぶ事もできず、複雑な気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る