君が死んだ。

景文日向

何故、君が死ななくてはならなかったのか。


君が死んだ。死因は溺死。この狭い東京湾に、身を投げたとのことだった。何故君が身を投げたのか、私には不可解で仕方がなかった。


君は、いつも未来のことを見据えていた。あの天高くそびえるランドマークタワーの中のファーストフード店で、あんなにも楽しそうに夢を語っていたのに。

「将来の夢かぁ……。俺はやっぱり、人を救える仕事に就きたい。消防士とか警察官とか。優莉ゆうりは?」

 私は答えに詰まった。将来なんて不透明だし、君の様に素直に生きることも出来ない。だから、

「まだわからない」

 と返すので精一杯だった。未来へ羽ばたく翼がある君が妬ましくて、羨ましかった。私にもきっとそれはあるのだろうが、実感がない。

 君はその翼を自らもいでしまった。それは、とても勿体ないことのように思う。自分の翼が見えない私の思うことなので、この感情は妬みに近いのだろう。


 翌日、学校では君の席に人だかりが出来ていた。当たり前だ。クラスの人気者が居なくなったのだから。花を供える者、合掌する者。様々な人々が彼を供養していた。

 だが、私は絶対に供養なんてしない。それをしてしまったら、本当に君が居なくなってしまう気がしたからだ。我ながら薄情だと思う。しかし自分を守るので、今はいっぱいいっぱいだった。

 

 人の噂も七十五日とはいうが、それは本当にその通りだ。一週間も経てば、君のことを話題にする人は居なくなった。日常が帰ってきたのだ。だがそれは私にとって非日常で、もう「いつもの日々」は帰ってこないことを痛感させられる。


 君と私は、家が隣同士だった。だから頻繁に遊んでいたし、仲も良好だった。やがて付き合うようになると、より親密な仲になっていった。キスだってした。その先はまだだったけれど。私はいつからか、君のことを自分の半身のように思っていた。恋人よりも更に親密な感情。君がどう思っていたかはわからないけれど、私にとっては何よりも大切な存在だった。今でも私の中で君は生き続けている。クラスの窓際にある君の席で、お別れをしたくなかった。

 しかし現実とは非情なもので、君なんてまるで居なかったかのように日々は過ぎていく。当初は花が飾られていた君の席も撤去され、今は文化祭にお熱だ。君が生きていたなら真っ先に食いつきそうな、青春イベント。私は何もやる気にならず、無心で出来る作業を手伝っているだけだ。クラスメイトから少し距離を置かれている私にはぴったりの仕事と言える。

 そうして始まった文化祭で、私は君の面影を探していた。去年はホットドックを二人で食べたなぁ、だとか後夜祭でのダンスとか。思い出が尽きない。二人で文化祭に行ったのはあれが最初で最後になってしまったのが悔やまれる。


何故君は入水したのだろう。君の考えは私にはわからないけれど、残される側の気持ちも少しは考えて欲しかった。君のことを考えると胸が痛い。涙だって出る。静かな涙が頬をつたう。何故、どうして。考えても答えは出ないけれど、私の時間はあの日で止まっている。だから、考え続けるしかない。君が追い詰められていたのか、だとしたら何に? 正義感の強い彼のことだから、自分で自分のことを許せなくなったのかもしれない。勿論これは憶測だから、きっと真実ではない。遺書も残さなかったのだから、真実に辿りつくことは永久にないだろう。だけれど、それでも考えることを止められない。

 せめて一言、相談してくれれば良かったのに。君のいつも見せていた笑顔からは、想像も出来ないような結末だったよ。君の最後は。家族が、友人が、恋人が悲しむようなことをしない君が犯した唯一の過ち。それはあまりにも大きな出来事すぎて、受け止めきれない。少なくとも私には。


そして未来が見えていない私にも、平等にやって来るものがある。大学受験だ。正直、君のせいで勉強なんて手につかなかったから志望校のランクを下げた。笑えてくるね。いつまでも過去のことにしがみついてないで前を向け、と君なら絶対言うだろうとは思う。でも、原因が他ならぬ君だから私はここまで執着しているのだ。受験当日も、試験中も君のことを考えていた。試験の問題なんて手につかなくて、結果は補欠合格。ランクを下げて補欠合格なんてダサいけど、滑り止めには合格したので良しとしている。

結局、補欠合格の枠が繰り上がり私は合格になった。両親は祝福してくれたし、私にとっても嬉しかった。そこに君が居ないこと以外は、全てが順調だった。


卒業式の日も、泣きながら合唱して卒業証書を貰って。皆はこの学校生活が名残惜しくて泣いているのだろうが、私は違う。君が居ないことに再び気づかされて泣いているのだ。卒業アルバムに載っている君の写真を見ると、目から雫が零れ落ちる。元気に笑っている君。授業を受けている君。懐かしい君ばかりだ。もう二度と見ることの出来ない君。そう思うと、涙が溢れた。周囲からは一人で泣いている奇人に見えたことだろう。現に、私の周りには誰も居ない。近寄ることを避けているに違いない。

 桜吹雪が視界を遮る。もうそんな時期か、と感じながら私は君の家に向かった。

「優莉ちゃん、いらっしゃい」

 チャイムを押すと、君のお母さんが出てきた。

「今日は卒業式じゃなかったの?」

 不思議そうに尋ねるおばさんに

「良いんです、遊ぶ友達なんて居ませんから」

 と返した。紛れもない事実だ。おばさんは、「優莉ちゃん美人なのに勿体ないね、うちの海斗には」と溜め息をつき家にあげてくれた。

 何回も訪れているので、家の間取りは大体把握している。君が居るのはリビングの端っこ。今日も案の定そこに居た。海斗の遺影が。私は遺影の前の机に、そっと君の好きだった飴玉を供える。そして手を合わせ、祈る。天国でも上手く世渡りしていますように。そもそも天国に行けているのかはわからないけれど。

「優莉ちゃん、毎月ありがとうね」

 おばさんが言う。

「いえ、好きでやっていることなので」

「そう……。でも、あんまり海斗に縛られるんじゃないよ。優莉ちゃんにはこれからがあるんだから、ちゃんと良い人見つけなね」

「……そうですね」

 おばさんも無理を承知で言っているのが、苦々しい口調からよくわかる。私に海斗を忘れろなんて無理な話だというのは、おばさん自身よくわかっているはずだ。幼い頃から共に過ごした存在なのだから。

「……あのね」

 おばさんが切り出した。

「この間海斗の部屋を掃除してたら出てきたの。優莉ちゃん宛てみたいだから、渡しておこうと思って」

 そう言われ手渡されたのは、封筒だった。表面に「優莉へ」と線の太い字で書かれている。私に宛てた手紙。考えられる内容は、遺書の一択だ。「ありがとうございます」と礼をし、私は自分の家に帰った。

 

 帰宅し手洗いうがいを済ませると、早速手紙の開封に取り掛かった。丁寧に上部に鋏を入れ、中身を取り出す。そこには数枚の便箋が入っていた。中身を読む。


『この手紙が見つかることは多分ないと思うけど、一応書いておくか。俺が死ぬ理由っていうか、まあそんなのを。ついでにお前のことについても。

俺が死ぬことにしたのは、将来に希望が持てなくなったからなんだ。どんな職業についても、些細なことで信頼が崩れ去る。警察官だって、よくニュースで逮捕されたりしているし。俺は何を目指しているのかわからなくなったよ。その点、お前が羨ましかった。将来何にでもなれそうなお前が。少し脱線したな。

まあ、そんなこんなで俺は死ぬことにした訳だ。言っておくけど、お前のせいじゃない。俺が勝手に決めたことだ。だから自分のことを責めたりするのはやめてくれ。この手紙が読まれているのかどうかわからないけどな。

万が一読まれていた時のことを想定してお前のことも書いておこうと思う。一つだけ頼みがある。俺が死んだら、その事実ごと忘れてくれ。お前をそれに縛りつけたくないんだ。

これくらいしか書けなくてごめんな、俺やっぱ文才ないみたいだ』

気が付けば、溢れた涙で便箋が濡れていた。手紙では忘れる様に、と書かれているけれどそんなことは無理だ。夏に君が死んでから今まで、縛りつけられっぱなしだった。しかも、このタイミングで手紙なんて本当に

「参るなぁ……」

 声に出してしまった。本当、君には敵わない。私からしたら、君の方が羨ましかった。こんな悩みを抱えているなんて知らなかった。言ってくれれば相談にのったのに。どうして一人で抱え込んでしまったのだろう。過去の自分には頼りがいが無かったのだろうか。だとしたら、とてもショックだ。恋人にも打ち明けられないとは、本当に一人で抱え込む性質だった様だ。それが今更嫌になってたまらない。会えるならビンタの一つでもかましたい。自分でもどういう気分なのかもうわからなかった。怒っているのか悲しいのか、はたまた私向けに手紙を書いていてくれていたことは嬉しかったのか。

 私はベッドに突っ伏し、嗚咽をあげながら泣いた。

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