第2集:借りたままの消しゴム

 ここは、とある豪華な屋敷の一角。

 辺りが夜になっても、執事室は日中と変わらず慌ただしいままである。


 だが——それは当然!

 お嬢様の執事たる私の仕事に、休息はありえないのである!


 はてさて。もうすぐで午後11時。

 そろそろ私を呼ぶお嬢様の声が、屋敷中に響く時間である。


「執事ー!ちょっと来てくれるかしらっ!」


「はっ。ただいま向かいますお嬢様」


 執事は足早にお嬢様の部屋へ向かう。すでに彼女は薄い桃色の頬を膨らませており、ベッドの横に佇んでいた。

 

 そして待ち侘びた様子で、


「執事。今日可愛い消しゴムを借りたのが嬉し過ぎて、寝られないわっ!」


 幼さの残る声色を跳ねながら言葉を紡いでいく。


「一体どうしてくれるのかしらっ!!」


 …はてさて。

 ここからが私の仕事である。


「申し訳ありませんお嬢様。ではお嬢様の願いとは?」


 するとお嬢様は意地悪気な笑顔を浮かべてみせた。どこか憎らしくも思えるが、年齢相応の無垢な少女の微笑みである。


 彼女はおもむろに執事を指差して、


「私を寝かしつけなさい。以上よっ!」


 不敵な笑みを浮かべており、まるで執事を試している様子だ。しかし言動は、やはり子供そのものである。


 今日可愛い消しゴムを借りたのが嬉し過ぎて寝られない――ふむ。まったく関係は無い。


 だが!

 ここでお嬢様の願いを叶えられないようでは、それは三流執事!


 残念ながら私は、一流執事なのでございます…。


「承知しました。それではここで一つ提案がございます」


 執事は下げていた頭をゆっくりと上げて、瞼を細めてお嬢様を見つめた。

 心做こころなしか彼女の瞳は、従順な仔犬のように期待に満ちているようだった。しかしこれもまた見慣れた日常の一幕である。


 その瞳に応えるように、執事は答える。


「私、実は詩を書くことが趣味でございまして…」


「ふふっ。今夜も待ってたわ執事」


 彼女は待ち侘びたように、乾いた唇を小さく舐めてみせた。





 ◇◆◇◆




【第2集:借りたままの消しゴム】


 使い古した机の上

 新品のままの宝物がある

 勇気を出して 1つだけ借りた思い出

 カバーすら外せない

 綺麗なままの消しゴム


 汗と青春を吸った校庭に

 もう帰る日々はないと

 スーツが語る


 疲れることを知らなかった

 部活色に染まる太陽

 今でも そこにあるのかな…


 背伸びをしていた俺たちは

 今では すっかり歩いている

 ビルの隙間を吹く風が

 こんなに強いと初めて知った

 遠くを見てみたいと願った子供心

 鉛筆で塗り潰しておこう



 座り続けた教室の上

 新品の宝物を渡していた

 浮き足立って 1つだけ貸した思い出

 カバー裏に小さく綴る

 恋模様を残した消しゴム


 飛び交う車道の隅っこで

 四季を飾る並木道

 横目で過ぎる


 寝ることを知らなかった

 勉強色に染まる右手

 なぜか 今もそうだけど…


 並んで歩いた私たちは

 今では それぞれ走っている

 風呂上りに呑む一杯が

 こんなに美味しいと初めて知った

 近くを見てと願った子供心

 鉛筆で書き足せないのかな



 一人ひとりの地図に乗せる

 色は知らないけれど

 消しゴムで消してはいけないと

 なぜか知っている


 他人事のように過ぎる思い出に

 今だけ 少し肩が凝っている

 子供を抱える大人の背中

 大きく見えたけど実は小さくて

 明日のことすら考えなかった子供心

 まだ消しゴムは持たなくて良いよ


 いつか大人になれたら

 あの日の消しゴムを使おう

 それまでは宝物のまま

 



 ◇◆◇◆




「――さて如何でしょう?お嬢様」


「すー…すー…」


 おやおや…。

 どうやらお嬢様は、眠ってしまったようでございます。


 はてさて。もう夜も深い。

 それではあなた様も、どうか良い眠りを。


 え?

 私はいつ眠るのか、ですって?

 

 いやはや…お優しいお心遣いありがとうございます。


 しかし心配はご無用でございます。


 執事たる者。

 お嬢様のためならば休息など必要ございませんゆえ…。


 それにまたすぐに、お嬢様から呼ばれるかもしれませんから――ね。 

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