新年
新年を迎えてもやはり私自身を嫌悪する生活は続く。
12月、一年を終え、1月、新しい年を迎える。今年一年を表す漢字。今年の抱負。
そういったイベントがある度にメモ帳に今年のやりたいこと、やるべきことを毎度書いている。自分の見通しの甘さや現状を把握できていないことは重々承知で、それでも自分の小さな人生計画を見るとやる気が湧いてくるのだった。
正月に親族が集まった。
私は、私の尊敬する叔父や叔母、兄弟たちに一向に成長しない幼稚な顔を見せるのを内心恥ずかしく思いつつも、自分ができる精一杯の大人びた表情を取り繕って挨拶した。
私を蚊帳の外に置いてわいわいと話が弾んでいく。
一見大変楽しそうな、猥雑な飲み会と変わらないようにも感じる雰囲気。だがそれの中から聞こえてくるのは私ごとき小娘が想像もつかないような世界の話だった。
昭和天皇崩御の際の検問に立ち会った話、某宗教団体に関係した故に変死した遺体の案内簿を神奈川県警に送った話‥‥‥‥
その他命に関わるような経験をそれはそれはたくさん、目を細めて話している父親。
そんなこともあったねェと普通に相槌をうっている母親。
いままで両親から聞いた話もなかなか苛烈で壮絶で、私の心に大きな傷をつけて未だ治らなかった。今年、さらに大きな話を聞き傷も広がってしまった。
母は私と同じような年齢だった頃にはパジャマを着て寝たことはないと言った。
逆恨みした犯罪者に何度も襲われたからだ。
私はぬくぬくと、仕事をすることもなく誰かの為に命を張ることもせずに寝床につく。改めて自分は守られて育ったのだと感じるとともに私は一体何をしているんだという気持ちに捕らわれてしまった。
小さなメモ帳に並ぶ、これまた小さい字で書いた目標を見る。
これらを達成するのには途方もないような体力と気力、継続する力が必要だ。
どれだけ力が必要なんだ。
いや、私にはメタ認知力が最も大切かもしれない。何も積み重ねることなく生きて、人が普通にこなしてきた学校生活も送らずに来たせいで自分は一体何ができるのかがわからない。
父や母、叔父や叔母、先だって生きてきた人たちはどうやって大きなことを成し遂げたのだろう。小さなタスクすらこなすことをハードル高く感じてしまう私には彼らが一層手の届かない存在に見えて仕方ない。
先祖の墓に手を合わせる度に「こんな子孫でごめん」と謝っている。
これから「こんな娘でごめん」「こんな妹でごめん」「こんな姪でごめん」と心の中で泣きながら謝り続ける日々になりそうだ。
それでも私は一生変わらないのだろうか。
新年やイベントを迎える度に「頑張ろう」と自分を奮い立たせて、見通しや計画が具体的でないため行動に移せなかったり挫折して苦しむのだろうか。
所詮私という堕落した人間の本質は変わらない。
新年を迎えたからといって脱皮できるわけではない。
一年は一年。日々は地続きで、気分だけでは現状を変えることができない。
私はそれを理解しつつも、「今年の目標」を捨てることができないでいる。
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