閑話:シエイラの日常
「いらっしゃいませ! こちらのお席へどうぞ! いつものでよろしいですか?」
「あっ、はい」
「ダシマキ一つお願いしまーす」
食堂に入って来た男を流れるように案内した少女が厨房へ注文を伝える。あいよ、と野太い声が返ってきたことを確認した少女は運んでいた料理を配膳するために動き出す。
「空いている時間に来ればよかった…」
少女に案内された席に座った小太りの男の独り言は食堂の喧騒に消えていった。男の名前は増田泰介、普段はシエイラ地下遺跡の管理人として地下遺跡最下層にいる彼だが、この世界に転移する前に住んでいた日本が懐かしくなると、こうして街にやってきては特別に作ってもらった日本の味を楽しんでいた。
この街に住む人々にとっては驚くべきことだが、タイスケが管理するシエイラ地下遺跡にはこの街も含まれる。そして彼は管理下であれば任意の場所ならどこでも監視することや自在に転移することができる。人混みが苦手なタイスケは基本的には混雑を避けた時間に来店をしているのだが。
「まったくヨツメのやつめ…」
少しだけ恨めしそうにタイスケが呟いたのは、地下遺跡をレイブンから守護するために生み出した魔物の名前。レイブンが最下層に到達して以来、誰一人として最下層に辿り着くことがない今、ヨツメはタイスケの生活空間の保持に勤しんでいた。かの魔物にとっては地下遺跡の守護がアイデンティティであるため極自然なことであるが、主であるタイスケを掃除の邪魔だから偶には街に出ろと追い出すのは少々やりすぎではないかと彼は思っている。実のところ、最下層に籠りっきりのタイスケの健康状態を心配してのヨツメなりの気遣いなのだが、残念ながら主には伝わっていない。
混雑した食堂内で彼が落ち着かないのは人が多いからだけではない。
「マリカちゃん! 追加頼むよ!」
「ダシマキお代わりね!」
「いやぁ、あの時の俺の戦いを見せたかったぜ!」
ここは金の小麦亭という宿に併設された食堂、宿は冒険者の利用者が多く、また最近メニューに加わった「ダシマキ」が冒険者達の間で好評で食堂だけの利用者も日々増えつつある。タイスケの存在は地下遺跡を探索する冒険者にとっては討伐対象になりうるもので、そんな冒険者に囲まれていることも彼が落ち着かない原因でもあった。
「おー、これが噂のダシマキですかー」
「ノンノ、そんなに大声をあげて…はしたないわよ」
肩を落とすタイスケの隣、四人掛けのテーブルに座っているのは冒険者ギルドの制服に身を包んだ黒目がちでたれ目の女と眼鏡をかけたやや面長の女が二人、そして。
「しっかし、今回はいい稼ぎだったな、ドッチェ! しかもノンノちゃんとリィヤさんとこうして食事ができるなんてな」
「お前がしつこく誘うから二人が仕方なく一緒のテーブルになってくれただけだろ。あとでギルド長に怒られても知らないからな」
日に焼けた肌で筋肉質の男と、ひょろりとした男。ここシエイラでも実力者として名が知られている冒険者の二人だ。
この四人が同じテーブルで食事をしているのは、地下遺跡探索終わりに食事に行く途中の二人が、ギルドの昼休憩で食事に出た二人と偶然店の前で会い、ナルダの強烈なアプローチに根負けした二人が半ば強引にという経緯があったからだ。人気の受付嬢と食事をしている二人へは周囲の冒険者の羨ましそうな視線が向けられていた。
「別にわたしはいいんですけどねー。お二人はいつも真面目でギルド内でも評判いいですしー」
「はぁ、ギルド職員が特定の冒険者と親密になるのはあまりよくないのよ」
「いいじゃないですかー、大体ギルド職員の半数近くは冒険者と結婚しているんですよー。そんなことをいうから婚期を…」
「なんですって」
「…ダシマキが美味しいですー」
どんなに親しい間柄でも触れてはいけない話題もある。一瞬で凍り付いたその場をなんとかしようと冒険者の二人が話をそらすように慌てて別の話題を放り込んだ。
「そ、そういやぁ、俺達はまだ遭遇してねぇが、最近現れたっていう白樹の魔物については何か新しい報告はあがってんのか?」
白樹の魔物、そのワードに隣に座るタイスケの肩が一瞬震えたことには食堂内の誰も気付かない。
「ポツポツとは上がってきているんですが、出現階層もバラバラで怪我人は出ていますが相変わらず死傷者の報告は無しなんですー。スタンピートの予兆かもしれないってことでギルドでも調査は進めているんですがー」
「真っ白な樹木を編み込んだような人型の魔物、出現階層は十一階層以降、全ての階層での目撃証言。冒険者に戦いを挑むように現れては戦うだけの魔物。同一個体なのか、複数個体なのかも不明。一体何が目的なのか」
「戦いに満足したら地下遺跡に溶け込むように消えちまうってんだからなぁ。べらぼうに強くて未だ討伐報告は無し」
最近になって地下遺跡内に現れるようになったこの魔物の正体は、最下層を守護するヨツメがその能力によって生み出した分体である。レイブンとの模擬戦を通じて、人の戦い方というものに興味を持ったヨツメ。しかし彼自身は最下層から離れることは出来ず、最下層にやってくる冒険者もいない。そこで遠隔操作可能な自分の分体を使い冒険者に戦いを挑んでは、その技術を吸収しているのだ。
無論そんな事実を当の冒険者たちは知る由もない。
「その件についてはここ数か月の異変もありますし、調査チームをギルド本部に要請しているところです」
「ってことはAランク冒険者か?」
「いえ、ギルド長は念のためSランク冒険者を招集するつもりのようです」
「ゴホッ、ゲホッ!」
「おい、兄ちゃん、大丈夫か?」
「あっ、すみません。喉に詰まっちゃって…」
「おう、気ぃ付けろよ」
隣の席で盛大に咳き込んだタイスケに一瞬注目が集まったが、彼らの意識は再び地下遺跡の話題に戻る。
「Sランクとはそりゃまた大事だな」
「でも邪神関連がありますからねー。招集までには時間がかかりそうなんですよー。実際大きな被害は無いですしー」
Sランク冒険者といえば人類最高峰の強者だ。そんなものを派遣されたら下手をすれば最下層到達なんてこともあり得てしまう。最近ヨツメの自由にさせすぎたと反省したタイスケは、今頃彼のサンクチュアリを鼻歌交じりで掃除しているであろう騒動の張本人に大人しくするよう命じることを強く誓ったのであった。
冒険者達との腕試しを禁じられたヨツメの趣味が刺繍にとどまらず、パッチワークやぬいぐるみ製作にまでその範囲を広げていき、タイスケの部屋がファンシーグッズに埋め尽くされるたのはそれから間もなくのことである。
そして数か月後のシエイラでは、陰気な見た目では考えられない可愛らしいグッズを販売する露天商が評判となるのだった。
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