下山
景色に擬態するような体であれば、その姿を視覚で捉えることは難しい。
あまりに広い範囲で同じ匂いがする場合、それを異変だと察知することは難しい。
強風の中、じっと身を潜めている生物の出す音を聞き取ることは難しい。
身動き一つ取らなければ、風の動きで異物の存在を確認することは難しい。
魔力だけを隠すスキルが存在した場合、魔力探知に依存した索敵で魔物の反応を掴むことは難しい。
どんなことにだって完璧なんて存在しない。
「つまり、あれだよ。何があるかわからないから人生って面白いと思わない?」
「そんな! ふざけたこと! 言ってないで! 手を動かすっ!」
嫌だなぁ。なんなら俺が一番動いていると思うよ。今もまた首を撥ねた魔物を【裏倉庫】にしまったところだ。なんなら倒すだけの皆と違ってその死体の回収までやっている俺は一番の功労者だと思うんだよね。
但し、俺の加護である【邪神の恨み】で魔物を引きつけてしまっているせいでこんな状況に陥ってしまっているだろうという事実は考慮しないものとする。
辺りを見回すと俺達を囲むように生えている低木や草。その中では幾つもの赤い瞳が怪しく光っている。一定の間隔でそこから飛び出し襲い掛かってくるのはマーダータイガー。群れることは少ないと冒険者ギルドでは聞いていたのだけど、残念ながら群れる場合もあるようで。
俺達に死角なんてないぜ! と息巻いていたのも数十分。まるでスタンピードの時のように途切れることのない魔物との戦いを強いられてから早数十分。そしてお腹が空くまで数十分ってところか。魔物の死体だらけの場所で食事休憩なんて嫌だよなぁ。
「む、主殿。そもそもこのままでは食事休憩をとる暇すらないのではないか?」
「そうですね、この状況ではお茶を淹れるのは大変そうです。しかしこの量は異常ですね。【疾風撃】」
俺の背後から迫りくるマーダータイガーに放たれたミトの魔法はその鋭利な牙でかみ砕かれると霧散してしまった。僅かに切れた口の端から流れる血をペロリと舐めたマーダータイガーは前足を一振り。その動きに合わせて魔力の刃が俺に向かって放たれる。
マーダータイガーの外見を言い表すなら、緑と灰色の斑模様の小型の虎という言葉がぴったりだろう。まるで前世の迷彩柄をプリントされたような虎は猫科特有のしなやかな動きと魔法、そしてその牙と爪での攻撃はCランクに分類されるだけある。
生半可な魔法はその牙と爪で防がれてしまうので近づいて倒すしかないのだが、こちらが攻撃をしようと踏み込むとすぐに後退してしまう。徐々に俺達の体力を削ろうとでもいうのか、獣の知能では思いつかないであろう戦法。これは上位種に統括されていると考えて間違いないだろう。
さてと、どうやってこいつらを倒してしまおうか。一番効率のいい戦い方だと一回【影移動】で退却、俺が戻って【絶望の衣】で殲滅する方法かな。でもそれじゃあ、折角の素材が台無しになってしまうし、パーティを組んでいる意味がない。冒険の感動は分かち合っていきたいから却下かな。
異常に数が多いといっても無限に湧き出てくることはないだろうから、このまま狩り続けるのも一つの手か。でもそれだとお昼休憩が取れなくてお腹が空いてしまう。
とすると、ここはセオリー通りに上位種を潰すべきか。
で、問題はどうやって上位種を見つけ出すか。結構な距離に近づくまで俺はこいつらの魔力に気が付くことができなかった。何かのスキルだろう。実際今も姿は見えるのに魔力だけを感じることができない個体がチラホラいる。北コルス山で戦ったミリネラとは真逆のスキル、戦いにくいったらありゃしない。
「俺の魔力探知じゃ、上位種は見つけられそうにないな。みんなは?」
「私も駄目ですね。この辺りの風はマーダータイガーの影響も受けているようではっきりとはわかりません」
「あたしも駄目だね」
「普通のマーダータイガーとは違う臭いは嗅ぎ取れるのだが、動き回っているようでその正確な位置までは我ではわからぬ」
そう簡単に見つかりそうにはないか。唯一フッサが何かを感じ取っているみたいだけど、この大群の中から見つけ出すのは無理そうだな。
「よしっ」
「主殿、名案でも浮かんだのか?」
「うーん、名案というかなんというか…」
「なんだい、いいから言ってみなよ。戦闘におけるあんたの判断は目を見張るもんがある。今までだってレイブン、あんたの判断で潜り抜けてきたことだってたくさんあるのを忘れたかい」
今また襲い掛かってきたマーダータイガーの前足を切りつけたモナ。怯んだその横腹にフッサの一撃が決まり両断される魔物。
「私はいつだって主様のご指示に従いますよ」
「本当に?」
「ほら、まったく何を勿体ぶっているんだい」
三人共俺が何か突破口を開くと思っているみたいだな。でもね世の中なんでも解決できると思ったら大間違いだよ。
「ここは逃げよう! 【草搦】」
「「「えっ!?」」」
驚く皆をよそに山頂に向かって駆け出した俺。マーダータイガーは俺が操った植物に足を取られて身動きは取れない。すぐに抜け出されるだろうけど、少しの時間が稼げればいいだろう。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて追いかけてくる三人。そして【草搦】から抜け出したマーダータイガーの大群がその後を追いかけてくる。まるでドタバタコメディのワンシーンのようだけど、目の前で起きている出来事なんだぜ、これ。
山の急斜面を駆け登り続けてしばらくすると、低木や草は姿を消しむき出しの岩山へと景色は変化した。周囲を確認し立ち止まる俺。
少し遅れてやってきたハァハァ、ゼェゼェと息を切らす三人。俺? もちろん俺も息切れ中だ。かなりの高さにやってきたがこれだけ動いたのに息切れ程度で済んでいるのは昨日購入した翡翠色のペンダントのおかげだろう。
「何を考えているんだいっ!」
「何って、あの場をどうやったら切り抜けられるかを考えたんだけど」
「でも逃げたところで…、おや?」
そう、魔物から逃げたところで鈍足な魔物でなければ追いかけてくる。これは常識だ。でもそれは平地に限った話。
植物と同じように山ではその高さで魔物の生息域が分かれている。つまり生息域の標高を超えればいくら魔物は追ってこない、というか追ってこられない。この高さでは活動ができないからね。
「流石は主様!」
あれだけ大群の魔物だ、素材やステータス上げのことを考えればもったいない気もしたけど、俺達の今の目的は山越えによるポルトアリアまでのショートカットだ。逃げるという選択肢をとってもいいだろう。
「マーダータイガーのエリアを抜けたってことは次の魔物は…」
「む、ロックゴーレムだな」
「確か普段は岩に擬態していて一定範囲に人が近づくと襲い掛かってくるんだよね」
「うむ、匂いはしないし、近づくまでは魔力も微々たるものしか発していないそうだからな。また索敵には苦労しそうだな」
ブゥン。
「うん? 何か音がした気が」
周囲にある大小さまざまな岩。それに亀裂が走ると岩の体の巨人へと変形していく。その瞳は赤く光り、俺達、というか俺を見つめている。ロックゴーレムの大群だ。
俺達四人は目を合わせて意思を統一する。
以心伝心、言葉はなくとも思いは伝わるものだ。
可及的速やかにこの場を離れることにした俺達。その後も数々の魔物に追いかけられながら山頂を超え、日が暮れるころにはアーメリア大山脈の西側の中腹まで下ってきた。
俺が思い描いていた山越えとは全く違うものだった。途中で悪化した天候で足止めをされたり、山頂付近は猛吹雪でホワイトアウトしたり、崖をよじ登ったりすると思っていたんだけどな。魔物から逃げることに必死で全部すっ飛ばしてきた。これも魔力での身体強化があるからか、異世界ってやっぱりすごいなぁ。
「まさかアーメリア大山脈を一日で超えるなんてねぇ、死に物狂いで走れば何とかなるもんだね」
…どうやら異世界でも異常な山越えだったみたいだ。
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