解かれたのは
「反吐が出る」
アルブムがレイブンと相対するよりも数か月前、組織が「管理」している国の王城を出てしばらくしてから彼が呟いた言葉。王城内での出来事は独り言でさえもあの男の耳に入る恐れがある。
いくら自らが信仰する神の為の組織の最高幹部といえども、自らの欲望に忠実すぎるあの男のことは心の底から嫌悪していた。しかしそれを表に出すことはしない、秩序を重んじるばかりに影で組織の犬と言われようとも上からの命には従う、それがアルブムという男だ。
「デズラゴス…」
まだアルブムが幼かった頃、組織の門を叩き信徒となった彼に神の素晴らしさを説き、戦いの才を見出してくれた恩人でもあり、共に神の為により良き世界を目指す仲間でもあった男の死。アルブムにとっては数少ない本心を言い合える者の死だったが、彼の心に悲しみが訪れることはなかった。
「こんなものなのか」
数多くの死に立ち会ってきたが、その多くが自らとは関係の薄い者の死。だからこそ死を悲しむ者の気持ちがわからなかったアルブム。そんな彼に訪れた近しい者の死。驚きはあったがやはり彼には悲しむという感情が理解できなかった。
彼は気が付いていない。
死に対する悲しみについてなど今まで考えることすらなかったのに、その感情について考察をしていることの矛盾に。
思考の隅にできた小さな綻び、それを誤魔化すように頭を振った彼は遠見の巫女のビジョンで映し出された場所、アーメリア大陸のシエイラへの道程を考え、通常の移動方法で向かうことを諦める。
「一番近い場所にあった転移拠点は無くなったのだったな」
そういえば、と思い返す。ダイベルポータルにあった転移装置を回収したのは自分だがその後の転移拠点の状況は必要な情報ではなかったので気にも留めていなかった、と。
【影移動】を発動し、ズブリと自らの影に沈むアルブム。彼が移動したのは組織の本拠地ともいえる場所にある自分の部屋。飾り気もない、支給されてから一切の変化のない部屋だ。
自室を出た彼が向かったのは転移装置を含む組織の技術開発を担う者の元。
「あら、あなたが来るなんて珍しいじゃない」
薄暗い部屋、部屋に入ってきたアルブムへ振り返ることもせずに宙に浮かぶ複数のコンソールのような画面を椅子に座り眺めている白衣を纏った女性。
遠隔地への移動方法を考えるといったことは大抵部下に任せているのでアルブムがここに来ることはない。というか部下も白衣の女性の元へ来ることはなく、その配下の元へ向かうのだが。
「アーメリア大陸のシエイラに向かいたい」
「久しぶりに会ったのに挨拶もないなんて随分じゃない?」
要件だけを手短に伝える彼への皮肉。いつものアルブムなら会話に乗ることはないのだが。
「そうだな、久しぶりだな」
「ふぅん、どういう風の吹き回しなんだか」
「何がだ?」
「いいのよ」と手を振る女性。女性の口元が少し綻んだことは後頭部しか見えていないアルブムが知る由もない。
アルブムの眼前に現れた光の文字。ここからシエイラに向かうまでのルートが記されていた。
「デズラゴスは独自のルートを持っていたみたいだけど。私が把握している転移装置だとこれが最短ね。二か月、いえ、あなたなら一か月ってとこかしらね」
【影移動】で座標登録してない場所への移動は時間がかかる。
「わかった。感謝する」
「ふふ、頑張ってね。私もデズラゴスのことは嫌いじゃなかったから」
最高幹部からの直接の命令の内容。何故そのことを彼女が知っているか、アルブムは尋ねない。
何故なら女性の座るソファの横にあるサイドテーブル、そこに置かれた泣き顔の面が彼女もまた幹部の一人であることを示していたからだ。
そして一か月後、アルブムはシエイラにやって来た。アルブムにとってこの一か月間は大きな意味を持つものだった。
部下がいない独りでの行動。この間に思考の隅あった綻びは徐々に大きくなっていった。
…不明瞭な記憶。
…いつ組織に入ったのか。
…親は一体どんな顔をしていたのか。
…どうやって自分は強くなったのか。
…何故デズラゴスに親しみを覚えていたのか
湧き上がる疑問を押さえつけるように神へ祈る。信仰心だけは揺らぐことはなかったから。
街へたどり着いたアルブム、目立つ白銀の鎧は【裏倉庫】へ隠し、偽装された身分である商人と偽って門をくぐった彼は早速、黒鎧の男について聞き込みをした。
しかし、この街にいる信徒へも協力を仰いだがその結果は芳しいものではなかった。
ヤマダという冒険者であるという情報は何の役にも立たなかった。なにせ所属しているはずの冒険者ギルドが黒鎧について一切の情報を持っていなかったのだ。またもう一つの目的である穢れの杖に関しても地下遺跡内でデズラゴスが所持をしていたことは間違いなさそうだが、それが回収されたという情報もない。
しばらくしてアルブムは自らを囮にすることにした。敢えて目立つ鎧を身につけ人通りの多い場所へ出向く。組織の教育施設での所業や巫女の脱走手助け、邪竜討伐など明らかに組織に狙いを定めた行動をしている黒鎧。ダイベルポータルで戦った自分を見かければ必ずこの命を狙うだろうと。
しかし、一向に黒鎧が現れることはなく、この街にはもういないのではないかと考えていた時だった。自分を観察する視線に気が付く。人混みの中、誰かは特定できないが明らかに敵意を持った視線。
その晩、宿の屋上に潜んでいた彼の元へまんまと黒鎧の男が現れた。
シエイラへの道中、支給されたチョーカー型の魔道具を使いその制御に幾分か力を割いているので本調子ではないがダイベルポータルで戦った時を思えば負けることはないだろう。
そう見積もっていた彼は後悔することになる。
次々と往なされていく斬撃。以前戦った時は手加減をされていたのかと思う程だった。
自慢の連撃を放つも、技の後の一瞬の隙を突かれて無防備な状態を晒してしまう。そこへ放たれた【光弾】。その威力は凄まじく防ぐことは出来ず後方に吹き飛ばされてしまった。
【絶対防壁】、ダイベルポータルでアルブムが使用した複合技であれば防げたかもしれないが、この技には閉じられた空間でしか効果を発揮できないという制限がある。
続けて黒鎧がその武器を投擲してきた。以前も使われた手。爆発を予想し防御を固め、黒鎧が少しでも油断すればと振り払うような動きも見せる。
これで奴は武器を失った、そう考え爆発で巻き上がった白煙を抜け斬りかかったのだが。
「投げたのが唯一の武器だと思ったか?」
そんなアルブムを嘲笑うかのような黒鎧の発言。これまで無言を貫いてきた黒鎧からの言葉に思わずアルブムも言葉を発してしまう。
「それだけの業物を使い捨てるとは…、それに確かにあの時お前右手は斬り落としたはずだ。部位欠損を完治させる回復魔法の使い手を抱え込んでいるのか? それともエリクサーを?」
しかし、その問いに黒鎧は答えることはなかった。蓄積されていくダメージ。最早アルブムの体力は限界を迎えつつあった。
満身創痍の状態の中、再び黒鎧が何かを呟いた。
「仕掛けてこなければ、仲良くなる未来もあったのかもな」
その言葉の真意はアルブムにはわからない。しかし、その言葉を聞いた途端にアルブムの中で何かが崩れた。レイブンの言葉は彼の意思とは無関係に魔力を帯び言葉から言霊へと変化していた。
術者の死による術の弱体化。
被術者の疑念。
術者、被術者を結び付けていた邪神の力を纏う者の言葉。
その全てが切欠となり、デズラゴスによって幼い頃から入念に刷り込まれてきた精神支配が解かれたのだ。
精神支配を受けていた彼を襲うのはソルージア・ガナンが精神干渉を解かれた時とは比べ物にならないほどの苦痛。発狂しないで済んでいるのは彼のステータスの高さ故だ。
崩れ落ちたアルブム。彼の意識は途切れる寸前だった。
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