Vedete-21:機動にて(あるいは、アーヴァタルは三重三十重/見えても視えにしミエティトリーチェ)


 同刻。


「ええ~ッ、色氣を力づくで跳ね返してくるなんて、そんなの経験無しですよぅ~、未経験ッ」


 慟哭というよりはどこか面白がっている響きを含む嬌声が、中空を滑るように移動しているすらりとし過ぎたる肢体から流れてくる。石造りの、天井をこれでもかまで高く作られたる大広間。淡く。冷たさを持った深い藍色の灯りがその大空間を静謐な水底のように見せている。その中央、一段上がった所に設えられた巨大な籐製の椅子……玉座、だろうか。そこにこれ見よがしにふんぞり返りつつ手にしたグラスより赤い液体を舐めるようにして口中から喉へと滴らせていた豪奢な青一色のドレスを着たる女性は、その目の前の不可解な状況に対し、鈍く金色を煌めかせた、よく整えられしうねる眉をひそめる。


 場は、ジセレカが敵将がひとりジメンシーと対峙したる北方砦からは実に山ひとつ越えての海沿いの街……南東部の港湾地区、潮反シオゾール。軍港化の進むこちらも双国蔑ろになど決して出来ぬ要衝である。ゆえに真衣座国側の占領下にある今は、輩玖珠家を始めとする色氣使いの数万からなる一個師団ががちりと固めている状態なのであった。


 のであったのだが。


 おやおやぁ。すとりと私から少し距離取って着地した、何て言うかほんわかした空気を放つ、この「少女」と形容する他は無い年端もいかぬ曲者……は一体どこから此処に入ってきたと言うんだろうねえ? 面白い。ま、ま、あの方の言ってらした「アザトラ」の手の内の者なのだろうねぇ。これだから「上」へ上へと目指す階段っていうのは、登り始めたら止まらなくなる。先ほどの挨拶代わりと思しき「桃色」の色氣の塊……ありゃあ一体何だい? あんな色のは初めてだ。「力ずく」? 面食らっちまって不細工にもようよう打ち払うのがやっとだったがねぇ。「撃ち返す」方向へ軌道が走ったのは意図したところじゃあ無いんだよ。いや、黙りこくってても始まらないやねぇ。


「名ぁ名乗っときなぁ、アタイはチラーヂ=ン。チラーヂ=ン・琉音初ルネスタ。こう見えて『洋蒼ようぞう』さぁ。アンタは何処の誰の何さんなんだぃ?」


 おっと。多分に外連味を乗せてしまったかねぇ。思わず顔面にもこれでもかの力を入れちまったよ、せっかく諸々盛り施したツラに罅でも入ってなきゃあいいけど。ま、ま、このくらいカマしておいた方が私的には乗るってもん。それより何よりこの娘の得体の知れなさ……少しでも探って解消しておきたいってのが本音かもだ。


 女の年齢なんざ推し量れないってのが相場だけど、それにしたって若かろう幼かろうがの、はっきりとした童顔。地顔が笑顔なのかねぇ、ちょいと抜けているようにも見えるほどの裏に何も無さそうな微笑をその丸顔に浮かばせている。艶やかな黒髪ってのはあまり見たことの無い色だが、それを顔の両脇で結わえている様もやっぱり年端のいかなさ、みたいのを醸しているようだけどねぇ。棒切れを組み合わせたかのような凹凸の乏しき、言いようによっちゃあすらりとした肢体には、淡き桃色の単衣、短衣? 分からないけど痩躯にぴったりとした薄衣。癪な事に晒された細長い両腕両脚は十代の特権みたいな艶と張りを醸しているけれど。目を引くのは両肩に掛けられた漆黒の布団のようなぶ厚さのこれは外套なのかねぇ、そのいでたちもまた読めない。よく分からない。


 が、手練れ感は流石に隠せてはいないのよねぇ。そんな風に純真ぶろうとも、あどけなさを前面に出してこようとも。鉄壁の我が警備をかいくぐってこの場にいるってことだけが、唯一の評価軸ってぇこと。果たしてそのどこか抜けた微笑を深めたかと思った瞬間には、


亜聡南アザトイナ=ミルセラ。推して参るっ」


 おっとっとぉ。いきなり何が入っちゃったか分からないけれど、上体軽く屈ませた姿勢から何かを放ってきたぁ。短剣……? なるほどその「布団」は武器……暗器を隠すためのものかね。


「……」


 身体の周囲に絶えず巻くように沸いている青緑色をした色氣を束ねるかのような感触にて中空におっ立て、二本平行に投げられてきた短剣を弾きいなす。いや、意外に素直な弾道。それらに触れた瞬間についでに「認識」してみる。ただの鉄らしき金属で出来ていると思しき代物たちだ。質もあまりよろしくは無いか? 錆が浮いている。そしてこの単調な攻撃。十中八九囮だろう。色氣も込めずにただ投擲してきた。うん、先ほどは雑に生成された色氣の塊をただ単に放って来られた。この一連は何だ? 様子見にしては随分に投げやりだわよねぇ……。


「『孔』をそんなにも開けて……それは、気持ちのいいことなのですか?」


 とか思考がままならないまま突っ立っていたら、ミルセラと名乗りし少女から、そのような興味深そうな、それでいて冷めているといった奇妙な温度を持った言葉が、またしても素っ気なく投げかけられてくる、不気味に固まった笑顔のままで。鈴の音のような素直な声色。でも読めないねぇ、何もかも。


「ひとつ開けたらもう癖になるさ、そう誰だってアンタだって。元々想定されてた総数は『百と八つ』。『十二個』の増設だぁねぇ。でもそんなんじゃあ足んないんだわ。だから夜な夜な開けてんのさ、身体の疼きをひり抉り掘り出すためにねぇ……」


 もちろん、あの方のように綺麗な孔は開けられない。どころか、私のは先端を赤くなるまで焼いた錐の先で自分の腕やら脚やら臍周りやらに不細工に本当の「穴」を開けるだけの自傷行為に過ぎないわけだしねぇ。でもねぇ……それでも「開いた」と認識するだけでねぇ、変わるんだわ、それは確かに。私はついその瞬間の感覚を思い出し、恍惚とした顔を晒してしまうが。


「まあ……その辺りのことは……私にも分からなくはないです。いろいろと……捗りますものなぁ……」


 目の前に力み無く立ち枯れた木のように佇んでいる少女の、愛らしいと表現するとしっくりくるような童顔が、言葉と共にくるくると目まぐるしく変わっていく。瞬間、ほの見せた不気味な表情に一瞬、慄かされてしまうけど。同じ匂い、と言えばいいかしらねぇ。感じるわ、「同族」と思しき、色氣の流れも。例の「外套」をよっこいしょ、といった具合に肩に背負い直すような仕草。結構な重量と見た。暗器使い……ではあろうが、それにしては不可解なことが多すぎる。


 そもそもがあの「アザトラ」が手の内の者だ。「孔」の開発については存分に理解と研究が進んでいるのは当然。この娘にも何がしかが施されているのは必定。分からないところは分からないでまずは構わないか。その後でひとつ、こやつを生け捕りにしてその辺りを仔細に探っていくってのも良きかもねぇ、何ならこのお姐さんが「施術」してあげてもそれはそれは良きかもしれないねぇ。おっとと、色氣を使うと頭の中まですうすうしてくるようだわ、思考が持ってかれてしまうよ、高みへと。んんんん……どぉれそろそろ重いのを一発カマして軽ぅく捻ってやろうかねぇ……


が、


「……でもそれって、良くはないことですよ?」


 いきなり場の温度が急落した。と思うや、右斜め背後。「冷たさ」を如実に感じさせる色氣が、何と言うか、無駄に左右に震えながら? 迫る気配を感じた。放たれていた「冷気の塊」はまたしてもそれでも素直な直線軌道。まるで避けてくださいと言わんばかりの。ので立ち上がりざま、身体を軸回転させその塊は意に介せず軽く避けると、その不思議な出処の元の元を引っ掴んでやろうと左腕を伸ばす。


 まだまだ艶めく水弾くぅと自認する私のむき出しの腕は着ている服の色も相まって、血色悪く白々としているように見える。でもそこに穿たれた「孔」の列……殊更に密に、殊更に無機的さを突き付けてくる幾何学文様。それは見るたびにうっとりとするほど緻密で美しい。


「……ッ!!」


 とか、悦に入ってる場合じゃなかった。正体不明の攻撃は何故術者とは異なるところから放たれた? 色氣を「置いて」時間差で解き放った? にしてはその置いてある気配も何も感じなかった。そして今、伸ばした指先に感じるのは、確かに実を伴った異質な感触。何?


「……」


 掴み上げたのは子供、だった。前に合わせのある白衣に黒い腰衣、で丸々とした体を包んでいて、頭を青々と剃り上げた、言うなればまごうことなき茶坊主小坊主だ。いきなりもいきなりの事に、首根っこをつままれながら中空でじたばたしているその小さな姿に、一瞬思考が止まってしまう。まずい。


「!!」


 その童っぱをぶら下げたまま、またも斜め後ろから放たれて来た奇妙な「冷たさ」を孕んだ色氣の気配から身を逸らす。またも芸の無き冷気塊、そして素直過ぎる軌道。が、振り返り肩越しにその出処を見やれば、青い灯りが揺らめくようにして照らす石壁、それだけ。気配が……無い、だってぇ?


 首を右に思い切り捩じった不安定な姿勢のまま、じりじりと体軸を回して周囲全方を目と、「色氣の目」とをこれでもかまでに開いて凝視し、探ろうとする。この、得体の知れぬ何もかもを。桃色娘は? 居る。先ほどの位置から微動だにせず、布団のごたる黒い外套をいつの間にか頭よりすっぽりと被り、力みなく立ち尽くしている。


 冷気。


 感知すると共に、私はその方向へ左腕を突っ張り伸ばし、あわわとぶら下げられたままの小僧を楯にしのごうとする。が、


 吹っ飛んできたモノに今度こそ無意識に口が開いてしまう。両手両足をぴんと伸ばしたままつるりとした頭からこちらに向けて突っ込んで来たるは、またも茶坊主。二匹目。その空中途上で互いを互いに気付き合いながら、あわわわと同じような面をわななかせているけど、待った何この悪夢。捕えていた一号をその中空に置き去りにしつつ、私は一歩、着弾点から距離を取る。鋭い金属音。と共に今度は足元に気配。


「……」


 だろうと思ったけど、三度目の小坊主だった。他の二人と異なり、妙に縦に長い顔に、他のとは違いますよ的な腹立つおすまし表情を浮かべている。そういうの要らないんだよねぇ……いやそれよりも。


「……ッ!!」


 石畳に仰向けに寝転んだその三人目が、既に身体の前で印を結ぶかのような構えをしていたことの方が重要であるわけで。この小坊主めらはおそらくあの「黒布団」の中に潜んでいた。暗器と思っていたが、こやつらが切り札と、そういうわけか。なるほど……なるほどつまらぬ、ねぇ。


 避けることは不能と見て、私は右脚を眼下にねじ込んでいく。蒼き衣の裾より覗くはやはり血色の悪そうな白い太腿、だがそこに殊更に密に穿たれた「孔」、「孔」、「孔」の整列には、はっきり、美しさしか感じないのよねぇ。


 アガって来た。時がその速度を緩めるかの如きの感覚。色氣の流れが細密に孔から孔へと巡り増幅していく感覚。


「『洋蒼ヨーゾーⅨ式きゅうしき浪沫汰洲津涅涯スプラタストトシル』」


 あくまで静かに、余計な力は込めず、流れるがままに。


 それこそが極意、最大級術式の、それこそが肝心肝要。この身体全土に渡り密に穿たれた、「孔」を殊更に意識しながらも、根底の意識からは、ずらし外す。相反するこの思考の境地こそが、「穿眼孔ゾフルーザ」が極み……


 「点」の、極地よ。


 次の瞬間、右踵に凝縮する蒼き光は、その重力がままに振り落とされる軌道上には何も無いかのようにするりと何物をも、すり抜けるように貫いていく。足元のおすまし坊の正にの顔面を踏み貫いた挙動の勢いのまま、そこを軸に軽く横に一歩を刻む。再び振り上げられつつ旋回する私の「孔」の連なった右脚は、衝突をかまして鏡像のようにのけぞり中空を舞っていた二匹の茶坊主の首根っこを通過し、その丸々な首をこれまた軸対称な方向へと各々跳ね飛ばしていく。


 その流れのまま。


 目指すは桃色。決める時は初発初撃にて。ま、分かっていてもこいつは何物でも防げはしないけどねぇ。硬かろうが柔らかろうが、全てを切断する。射程はこの広間を見渡せるほどしか無いけど、今ここでは正に必要十分。


 踊るように、片足立ちのままでくるりと身体を回転させる。右踵に光を集中させたまま。その軌道上には、何を思ったか左腕をただただその身体の上方に掲げ上げただけの娘の姿があっただけだけど。その五指すべてに込められていくは例のあの桃色の光。なるほど、でも随分な隙の晒し方だねぇ。遅いってぇの。でも念のため。


「……ッ!!」


 振り上げられた細いその左腕を通過させるように踵を回し振り抜く。まったく手ごたえは無いのはいつもの事なので良し。余裕を見せつけるかのように幾分の溜めを作ってからゆっくりと脚を降ろしていく。ちょうど、娘の左肘から先が、静かに切断面から滑り落ち転がる瞬間に合わせるように。「射出口」を切り離してしまえばぁ、放たれることも無いってねぇ。


 ごとり石畳の上に鎮座した自分の腕を見て、何を思うかしら、可愛い嬢ちゃん?


 しかし、


「……」


 微笑。被った黒布団の下から覗くは、そんな場違いとも思える、こちらの怖気を震わせるかのような、狂った純真さを突き付けてくるような表情。うぅん、精神をヤッてしまったかしらねぇ御免ねぇぇ、すぐ楽にしたげるからねぇぇ……


 そのまま何もして来ずに固まったままの桃色少女に向け、私はとどめの一撃を放つために呼吸を一段階また深くしていく。この刹那にわずかに感じていた、違和感を不覚にも置き去りにしながら。

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