Vedete-03:不穏にて(あるいは、アルコ描きし残像たるは/双眸いかなトランシトリオ)

「痴れ者がッ!! 不埒者の始末、このリアルダにッ!!」


 振り切れた憤りを絡ませた叱声と共に再三度、首元に色氣力の乗った棒を突き付けられるアザトラであったが、相変わらずその顔には不服以外の感情は見て取れない。しかして今回のそれは威嚇のためのものではなく、今にもその首を捻り刈らんとばかりに、渦巻く「緑色」の光の流れをも絡ませ肉薄しつつあるのであるが。


「……罪なき子供らの命のためであらば、痴れ者にもなりましょうぞ。そして今は斯かるいざこざなどに時を割いている場合ではなきはず。司督、それがしの首を刎ねるは、『策』に乗じてからでも遅くはござりませぬ」


 青年のまなざしには、真っすぐな光しか宿ってはいないようにも見えた。その様子に何かを思い出したか、思わず笑みを浮かべてしまうベネフィクス。しかし一瞬後には鋭い眼光を取り戻しつつ言い放つ。


「痴れ者の口上、それが我を動かしたのも事実……しかし我が有能なる家臣の思いも蔑ろには出来ぬ……それもまた真実。であれば……双方で決着ケリをつけよ。立っていた者の言い分を聞こうではないか」


 ふいに頭をよぎった過去の記憶。見極めたいとの思いが、ベネフィクスにはあった。御意……ッ、という喜びを押し殺したような声がリアルダから漏れる。しかしてその対面、動作の始動も感じさせぬ体裁きにて黒外套を翻し向き直ったアザトラの口からも心底面倒くさそうな口ぶりで同じ言葉が紡がれてきたことに、瞬でその艶やかな顔が筋張りつつ歪む。


「色氣力の欠片も無いらしいな貴様は? ならばその腰のなまくらで私と相まみえる? ふん……やはり相当の痴れ者と見受けたりッ!! この『牙迅ガジン』のリ=アルダ・志群諄シムレクト、この距離においてその素っ首を飛ばすのに秒の百分の一も要さぬぞ?」


 一度、その右手に構えし得物を自らの背の方へ引き絞るかのように下げ、左手は見栄を切るかのように前方へと緩やかに突き出す。一瞬前までの憤怒やその他何もかもをその顔からそぎ落としたかのように見えるリアルダの身体からは、極限まで研ぎ澄まされた「緑の光」が凝縮しながら対流を始めていた。手練れ、この者もまた……とその隙の無い姿勢に対峙しながら評するアザトラもまた、強張りなど些かも感じさせない所作にてほんのわずか、その骨ばった背を前方へと傾けると、やや斜に構える。いや、構えたように見えただけでほぼ素立ちの体勢ではあったが、のちに来るであろう刹那の攻防に備え呼吸を大きく取りながらもその起伏の振幅を緩めていく。


 腰の剣に手も添えんとは、何か考えでもあるのか? 隙があるようで無いような、それとも一見でそうとは悟らせないほどの隙をわざと作っているのか否か、いやそうこちらに思考させることだけが目的なのか、それらひっくるめて全てを俯瞰でもしているのか、分からんヤツだ……と、リアルダの方も相対して眼前の者の力量を過不足無く把握しているかのようである。室内の空気が引き攣れていくかのような緊迫……それは間近で見上げるようにしてこの対峙を見守るベネフィクスの軽く掲げたグラスをも共振させるほどの。そして、双方の呼吸が意図せず絡み合うようにして同調した、その、


 刹那、だった……


「!!」


 ぞんざいに見えるまであるほどの挙動。内側に捻りつつ突き出した棒に色氣力を纏わせたリアルダの魂魄の一撃は、直線よりも最短距離を突いたようにしか見えぬような完璧な軌道にて、対する黒装束の青年の首元を全くの躊躇も逡巡も無く貫いた。


 かに見えた。


「……ッ!?」


 実際に棒の先端は、アザトラの喉仏辺りに到達し、そこの皮膚を捩じり引き攣らせてはいる。しかしてその接触点にて発動していて然るべき「緑の光」……それに触れたモノ全てを巻き込みつつ轢断する剛の力……「天緑てんりょくⅢ式さんしき閃璽点刔リ=メタゾン」は、何故か全く顕われてはいないのであった。


 予期すら出来なかった事態に、さしものリアルダも次へと移る行動がほんの瞬きほどの時間ではあったが遅れてしまう。その掠め取った瞬と空との只中を殊更緩やかに舞うかのように、黒い揺らぎと白の閃きが対峙するリアルダのみならず、一間空けた場のベネフィクスの視界をも意識をも奪うやいなや、


 鈍い痛みが鳩尾辺りを、左右どちらから入ったか分からないほどの刹那で疾駆した、との情報がリアルダの脳に到達する前に、その伸び切った態勢を咎めるかのような横薙ぎの一閃が、そのしなやかに重心を低く保っていたはずの体躯をそれごとずらすかのように弾き飛ばしつつ軽々とたたらをも踏ませ、さらには上体の立て直しも受け身を取らせる間もなく、これでもかの無様な尻餅を突かせていくのであった。


「……峰打ちにて、ございますれば」


 いつ抜刀しそれを振り抜いたのかも定かではないが、白き長剣を振り薙いだままの涼しげなる残心姿勢の青年が静かに告げる。その眼前の石造りの床の上に倒れたリアルダの本体が挙動を収めてもなお、いまだふるりと揺らぎを留めることを知らないふたつの半球の下部には、衝撃波に因るものなのであろうか、水平一文字に鋭利な切断面が走っていた。しかして、その切れ目の下から覗く褐色の艶めく肌には毛ほどの傷もついてはいないように見受けられ、実際にリアルダが感じているその部位の痛みも、どのような業を用いればそのようになるのか分からぬがほんのわずかな表皮一枚くらいのところに漂う微細なものであり、次の瞬間にはその感覚すら霧散していってしまう。


「くっ……殺せッ!!」


 しかしてリアルダにとってはこの上ない屈辱である。何らかの力により、自らの色氣力の発動が抑えられたことは事実ではある。しかして側近護衛筆頭としての矜持が、自らの必殺の間合いにていいように弄ばれたことに、さらには下賤なる男の手によりそれが為されたことに、例えようのないほどの激憤をその相手のみならず自らにも感じさせていた。かくなる上はこの場で果てる以外に主に示しをつけること出来ぬと相手に介錯を乞うものの、見下ろしてくる青年の黒い瞳には相も変わらず漆黒の液体のようなものが湛えられておるかの如く、何の感情が宿っていないように窺え、ただ静かにその長剣を無駄の無い所作にて腰に納めるばかりなのであった。


「……ッ!!」


 であれば最早……と、ようやく動くようになった右手に持ちし棒の先端を、軽く持ち上げた自らの顎の下、喉元へと突き立てる。先ほどは何故か放つことの叶わなかった「緑の奔流」がその一点に集約していくのを感じ、せめて最期は自らを手玉に取った相手の顔を網膜に焼き付け冥道の連れとしようと視線も持ち上げた、その刹那だった。


「やめよッ、リアルダッ!!」


 主の鋭き制止の声。例えそれでも撃ち放とうと決意をしていたリアルダではあったが、自分に掛けられしその叱声に素の焦りのようなものを捉えてしまうと、全身の力は抜けてしまい、張りつめていた意識の糸もその体のその内で、何本かが静かに切れていくのを感じるのであった。視線を黒衣の奥へと滑らすと、そこには自らが終生忠誠を尽くすと己の内に定めた、ベネフィクスの諫めるような、それでいて柔らかな微笑をも湛えた、引き込まれてしまうような表情が在るばかりであり。


「……」


 実の母の顔も温もりすらも知らぬまま、幼き頃よりただただその突出した「能力」のためだけに無味乾燥なる育成いや「飼育」のみを受けて来た自分に、姉のように母のように接してくれた、ただの主というだけでは決して無い、恩義余りあるベネフィクスの感情を直截に胸の奥へと受けてしまい。固まりつつも瞬時に吹き零れてきた感情を堰き止める作業に全神経を集中するほかは無いリアルダなのであった。そして。


「これより、さなる者がのたまいし『儀』を執り行うゆえ、リアルダ、其方にはこの執務室に誰も入らぬよう厳重なる警備を申し付ける、よいか」


 続けて発せられたあえての重々しい口調による命に震える唇にて御意の言葉を返しつつ、それでも何とか気を張り直したリアルダは、目の前に差し出されたる青年の右手を一瞥しフンと鼻を鳴らすと、手助け無用とばかりにその抜けてしまった腰に活を入れ、自らの力のみでよろめきながらも立ち上がっていくのであった。


 が、


 それが、悪手なのであった……


 肩に背負っていた臙脂の軍服は既に背後へと滑り落ちており、常時であれば身体の上方向から掛けられていた圧がこの時は開放されていたこと、通常であればその豊かに過ぎる凶悪なる弾力をも備えし双球をかろうじて包み抑え込んでいた深緑のスーツが先ほどの斬撃にて鳩尾付近を両断されその圧迫力のほとんどを喪っており、解放された無尽蔵の弾力が「立ち上がる」という所作をも加算して裂け目を上部へ上部へと引き上げる推進を既に為していたこと、さらに頂点の一点を越えてしまってからはスーツの持ちし強靭なる収縮力が加速度的にその捲れ上がりを上へ上へと推していったこと、それら全ての予期出来ぬ挙動による結果、


「……ッ!?」


 これまでの感情を断ち切り、汚名返上とばかりにそれは良き直立不動の姿勢にて立ち上がりざま鋭い敬礼を掲げようとしたリアルダの胸元に、一瞬遅れで勢いよく左右時間差を伴いまろび出てきた跳ね踊る柔らかきふたつの完全球体のうちの左側の突端が、中空に差し出されていたアザトラの右手指を下からすくい上げるようにして小指、薬指、中指、人差し指と、その節張った第一関節部を連続で擦り上げていくのであった。思わず喉奥から溢れそうになった嬌声を何とか渾身の顔筋により押し噛み殺すリアルダ。その双球それぞれの中央に厳然とかつ瞭らかに鎮座せし乳白色のまなこのごたるものと目と目が合い、思わずそちらに向けて返礼をするアザトラとさらにはベネフィクス。時も空もその動きを止めたかと思われし中、


「こッ……の、しれものぉーっ!!」


 百八は下らぬと思われるほどの様々な感情を凝縮したかのようなリアルダの朱に染まりし顔が名状しがたきほど蠢き歪んだかと思った刹那には、


「!!」


 胸元を左腕で庇いし不安定なる体勢にて放たれたその右拳が、決して避けられぬ躱せぬ撃では無かったに違いないと思われるものの、真顔で立ち尽くすばかりの黒衣の青年の顔面に何故かとてもいい角度で撃ち込まれていくのであった……


「さ、『策』が成らなかったら、あたしがあんたを捻り殺してやるんだからねっ!!」


 ほのかな甘さをも内包せし謎の捨て台詞のようなものが、真空にも絶対零度にも感じられるこの執務室の圧を少し上げていき、ええェ……というようなベネフィクスの腐った溜息のようなものが力無く蔓延していく中、青年は何事も無かったかのように冷静に、懐より取りいだしたる鮮やかな黄色き手巾にて自らの両鼻穴より迸り出でる赤き奔流を抑えるばかりなのであって。


 ――そして、扉は閉ざされた。

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