Altalena
瑠璃川新
第1話
さっきと同じ自分の部屋なのに、今自分がいる場所は違う場所みたいだ。
元々ワンルームの狭い部屋だけど、彼女がいなくなっただけでとても広く感じられる。キッチンに片付けられた2人分の食器にグラスを見ると先ほどまでの時間は嘘ではなかったのだと感じる。1人になった僕はもちろん喋ることはない。部屋に響くのは皿洗いの食器がぶつかる音に流水の音だけ。来るはずのない電話やメッセージに期待して携帯を近くに置いた。たまに覗き込むけどもちろん連絡なんか来るわけなんかなくて。この気持ちに終わりがないと僕は思ってるけど、今の僕たちの関係はいつまで―?
始めは今のままの関係でもいいなんて思っていた僕だけど、関係が続けば続くほど胸の中は、もやもやしたどす黒くはないけどそれに近いような感情が渦巻いてしまう時がある。
(この気持ちは僕だけなのか?)
そう思うと尚更、寂しい気持ち、虚しい気持ち、不安な気持ちが大きくなってしまう。特に彼女が帰った後は、ね。
〝家、着いた?〟
「・・・はぁ。」
大きな溜息を吐きながら首を横に振った。消されていく文字にまた虚しさを感じた。この作業を何百回してきただろう。普通の彼女ならなんてこと無い連絡も、僕たちの場合はもしもの事があればお互いに終わりだ。無造作に携帯を放り投げてベッドに潜り込む。
「会いたい―。」
彼女の残り香に嬉しさと寂しさを感じながら目を閉じた。
〜♪
こんな時間に誰だろう?時計は0時を過ぎている。もしかして僕は仕事で何かやらかしてしまった?遠のいていた意識から現実に戻って携帯の画面を見た。
〝おやすみ〟
これ、は・・・?
間違いない。彼女から。今まで来ることがなかったメッセージに、目を見開いて何度も目を擦って携帯の画面を見返した。夢じゃないと分かると心が躍って携帯をぎゅっと抱きしめた。だけど、冷静に―。
〝どうしたの?珍しいじゃん〟
可愛げのない僕は嬉しいとすぐに打つことが出来ない。
〝家に帰ったんだけど、あの人帰ってこないの。寂しくてメッセージしちゃった。起こしたらごめんね?〟
大丈夫、大丈夫だ。やっぱり僕と彼女は同じ気持ちだ。
〝何かあったかと思って驚いたけど、安心したよ。嬉しかった。〟
〝何もないよ。ホントは声が聞きたいけど、いつ帰ってくるか分からないから〟
僕の彼女は狡い。そんなこと言われたら僕だって彼女の声を聞きたくなるじゃんか。
〝ちょっとだけでも、ダメ?〟
精一杯の勇気を振り絞ってメッセージを送った。しかし待てど暮らせど来ない。慣れないことを言ったせいだろう。もしかしたら引かれたかもしれない。どうしよう。
〜♪
あれやこれやと思考を巡らせている時に着信が響いた。
「もしもし!?」
「電話出るの早いね。」
笑いながら話す声は僕の心拍数をさらに上げる。
「僕だって電話したかったけど、いつも我慢してたんだよ。だから、嬉しくて。」
「珍しく
「こんな僕はイヤ?」
「イヤじゃないよ。もっと好きになりそう。」
「もっともっと好きになればいいよ。僕は誰よりも
「零夜?」
「ん?」
「愛してる。」
「・・・僕も、愛してるよ。」
目の前に彼女がいるわけじゃないのに、ソワソワして落ち着きをなくして次の言葉が出てこなくなった。
「社長、帰ってくるかもしれないから切ろうか。おやすみ。声が聞けてよかった。」
思いついたのは最大限の配慮の言葉とおやすみの挨拶だった。
「そうね。」
寂しそうに呟いた細い声に胸が苦しくなった。
「おやすみなさい。また、電話してもいい?」
「もちろん」
「嬉しいわ。ありがとう。また明日ね。」
そういうと携帯からはツーツーという無機質な音が流れた。会話は時間にするとほんの2、3分くらいだったと思う。一日の最後を締めくくるには幸せ過ぎた時間だった。なんともいえない幸福感から布団を被って子どもみたいに足をバタバタさせた。嬉しすぎる。幸せすぎる。そんな言葉じゃ表すには少な過ぎる気持ちと彼女の枕を抱いて夢の中へと落ちていった。
「おはよう。今日も一日よろしく頼んだよ。」
社長の朝礼が終わると今日の営業先に提示する資料の整理を始めた。
社長室を見ると隣には大好きな彼女がパソコンと睨めっこしていた。その隣にはもちろん社長。社長と秘書で夫婦なんてどれだけ羨ましいと思ったことだろうか。隣に行きたくても、何かしらの用事がないと声をかけられない僕は今日も心の奥底で社長を羨む。2人の左手にある輝きがより一層僕を虚しくさせる。
〝俺の嫁に手を出すな〟
とでも言われているみたいだ。
社長は頭脳明晰で指示は的確。周囲からの信頼も厚い。顔はムカつくほど良いし、おまけに饒舌ときた。頭が良いけど顔が残念とか、顔ばかりで中身がないとかそんな人間はたくさんいるけど、社長みたいに非の打ちどころの無い人間を僕は初めて見た。悔しいけど僕が女性だったとしても一目置くと思う。そんな完璧な人のところに嫁いで不満なことはなんだろう。怖くて聞けないけど。聞くのはタブーな気もするし。なんてこんなつまらな事を最近よく考えていたりする。
「
「申し訳ございません。」
仕事のミスが最近増えてきた。彼女にうつつを抜かし過ぎているのかなと自己分析する。僕の隣に彼女がいる未来なんて願ったところで正直叶うかは自信が無い。こんな憂鬱な気持ちになるくらいなら、この気持ちに気づくんじゃなかったと下を俯いた。
―もう、終わりにしよう。
元々出会ったらいけない人だったんだ。昼休みになった連絡先を消そう。それがいい。僕のためでもあり、それが彼女のため。彼女が僕みたいな奴と繋がっていたら彼女までダメになってしまう。それだけはダメだ。ここはカッコよく僕から別れを切り出そう。待てよ?それなら終業後の方が業務に支障がないか。長い関係だったけど、いよいよ終止符を打つ日が来たんだ。
「ふぅっ。」
両手で頬を叩くと気合を入れてパソコンと睨めっこを開始した。
「・・・ぃ。おい!」
「はいっ!」
「もう昼だけど、お前いかないの?」
「あ、行きます!」
資料を訂正していることに集中していると、時間をすっかり忘れてしまっていた。同僚が声を掛けてくれなかったら多分休憩なんてしていなかったと思う。声を掛けてくれた同僚に感謝感謝。携帯を見ると10分過ぎていた。時刻の下には彼女からいつも場所への誘いがあった。これはここで断るべきか、無視すべき?それともいつもみたいに会う?天を仰いで考えた。チラッと彼女の腰掛けていた席を見ると、既に席は外していていなかった。視界に入ったのは、ムカつくほど仕事のできる社長だ。そうか、あの人こんな時間にまで仕事してんのか。陰で地道に仕事をしてる人はたくさんの努力をしているなんて言ってる人いたな。努力するのもいいけどさ、自分の嫁さんのことも気にしなよ。ぐぅ〜と伸びをすると席を離れた。
「遅かったね。」
「あぁ、仕事が滞ってて。」
足は自然と彼女の元へ向かっていて、いつものようにいつもの席に座った。あぁ、やっぱり僕はダメだ。彼女の顔を見ると何もかもが吹き飛んで幸せになるんだ。
「今日瞬きもしないくらいにパソコン見てたもんね?」
自分の事をちょっとでも見てくれてたんだって思うと自然と口元が緩む。
「そうだ、あのね?今日あの人帰ってこないの。だから、今日うちに来ない?」
「うん。」
迷いはなかった。彼女から誘ってくることなんて今までなかったから。少しずつ、少しずつ僕の方へ。もしかしたら、近い将来僕はこの人と人生を共に歩んでいけるのではないか?そんな風に思ってしまう。彼女が先に注文してくれていたトマトパスタがいつも以上に美味しく感じられた。
「今日、準備したらすぐに行くから。」
「零夜が好きなもの用意して待ってるね。」
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