第34話

「なぁ、」


そこまで言ったところでキングナイトは言葉が止まった。不自然な言葉の途切れに、メールを送ってきた野郎は声を上げる。


「どうしたんだ?」


だがその言葉はキングナイトの耳には届かない。その目に見える景色に囚われ、反応すら示さなかった。きっと、メールを送ってきた野郎が手足の力を抜いて倒れこんだりしない限り反応を示すことはないだろう。


ボケーっとしていたキングナイトは、視界内に起きた些細な変化を見逃さなかった。奥の奥、公園から見える道路の最奥に、ちょうど一人だけ人が現れたことを。


「なぁ、」


先ほどと全く同じ単語。だが今回は、力の抜けた声ではなく焦燥感漂う鋭い声だった。


「力自慢って女か?」


「言ってなかったか?」


言葉より先に腕が動いた。まるで「言ってないわアホ馬鹿クソアマあんぽんたん」という返事の代わりかのように、手ごろな場所にある尻をベシっと叩く。


1発でやめようとも思ったが、気が付くと2発目3発目と手が動いていた。腕以外のすべての部位を固定しながらベシベシと腕を振り下ろす。

下から大まかに痛いや、やめろという声が聞こえてくる気がしたが、キングナイトは気にしない。一応、グーではなくパーで叩いているし、本当にやばかったら逃げるなり抵抗するので大丈夫だ。


道路の上には、ヨボヨボのジイイでなければ腕の直径が30cmもある筋肉モリモリマッチョマンでもなければ一般通過男性や先ほど逃げた底辺組でもない存在がいた。


肩まで届く薄紫色の髪、夜だというのにしっかりと見える真っ赤な瞳。大きく黒いダウンジャケットに生足が生えていた。


まごうことなき女。俺は今まで短パン小僧以外にすね毛のない綺麗な生足で生活する男を見た事がない。


もっと警戒するべきことだった。


ここ最近で、嫌な予感を感じたのは入学式前。そしてこの12年間生きてきて、女が俺の人生に関わり始めたのも中学校入学と同時。


長期的な嫌な予感=女という方程式は成り立っていたはずだ。


今までは底辺組の暴徒だったのが、女に変わっただけだと思っていたのか?……それはないな。女が一時の感情任せ以外で肉体的な喧嘩をする未来が想像できない。


だってわざわざそんな事する必要ないもん。……いや、普通に生きてたら男もその必要はないな。あっぶね、前世の感覚が消えかけてる。


改めまして、女には必殺技にして通常攻撃感覚で繰り出すことが出来る技がある。


それは通報。


たった一手で相手を犯罪者というデバフを掛けることできる法治国家において最強にして究極の業。犯罪者というデバフを強引に解呪する方法が無い者にとっての死刑宣告……な、はずだよな?


じゃなんて力自慢って名目でこんな場所に女がいるんだ?


メールを送ってきた野郎が実質的に女だと断言してるため、目の前のアレで間違いないだろう。もしかしたらただの女顔の男だったり、女性ホルモンがすごい男だったり、男の娘だという可能性もあるが、メールを送ってきた野郎が女だと思ったように、俺も一見して女だと思う程度には女なので女だと仮定しよう。


流石に2人も女がいるという可能性は考えたくないので、アレが例の女だと断言する。


例の女の目的はなんだろうか。なぜキングナイトと戦う必要がある?

ヤンキーで噂のキングナイト?そんなやつボコしてやんよって軽いノリで来てるのか?私の方が強いというヤンキー的思考…女がヤンキー?ヤンキーになる必要があるのか?親への反抗心?面倒ごとじゃねぇか、帰れ。俺を巻き込むな。


ちょっと落ち着こう。無駄な事を思考する時間はあまりない。原因を考えるより結末を考えよう。

今だって例の女は一直線にこちらへと近づいて来ているのだ。数十分以上俺達を待たせているというのに歩きながら。…例の女にとっては、キングナイトが数日単位で待たせたという認識か?……今回はお相こだな。


今更遅いかもしれないが、気が付いた。そして見落としていた。

最初に思ったはずだ。今日は外に出歩く人が少ないと。


これは比較的珍しい出来事だ。偶に訪れる土日以外の曜日が休日になる程度には珍しかった。


考えてみよう。

たかが口うるさいジジイが現れただけで外出自粛するだろうか。


ありえない。

ただジジイがこちらに来たら、逃げればいいだけの話だ。


そう、まるで肉食魚に抵抗する手段を持たない魚が、より敵を察知する能力が悪く、逃げ足が遅い奴を囮にして自分は生存するように、そうすればいいだけだ。


おやっさんの身内であれば、より簡単だ。

目的はキングナイトだと決まっているのだから、避ける必要すらない。もし、俺はおやっさんの身内だと偉そうな態度を取ったとしても、おやっさんに締め上げられる。

おやっさんの身内じゃないとしても、限度ってやつがある。なので大丈夫だ。


底辺組が総出で、何処かに避難したりする時はいつだって事件が起こる時であり、街全体を巻き込むような大事件の時だ。


女の襲来、まさに大事件だな。底辺組の重役であるおやっさんが対応するのも納得できる。おやっさんも度肝を抜かれた事だろうな。


例の女が公園に近づくにつれ、奴の顔を拝むことができた。

そして最低でも男の娘だということは確定した。現状、女という可能性が高いが、嫌な予感を踏まえ、先ほどのメールを送ってきた野郎の言葉を考慮すれば、確定となってしまう。


「あんたがキングナイトか?」


「ああそうだ!コイツがキングナイトだ!!」


例の女が口を開き、俺が何かを言う前にメールを送ってきた野郎に答えられた。

先ほどの謝罪はなんだったのか。っへっへ悪いな、犠牲になってくれや的な先払い謝罪だったのか。


だがな、その程度で例の女と戦わずに解決できる可能性を捨てる俺ではないのだよ。悪いな。この程度で動じたりしない。経験の量が違うんだ。


キングナイトは自然体に呆れた様子を2振り、解説役のようなハキハキボイスをおまけしながら喋りだす。


「俺は初代だ。コイツが2代目、今のキングナイトだ。」


そして締めくくるようにメールを送ってきた野郎の頭をポンポンと叩いた。

すると当然のように、メールを送ってきた野郎が声を荒げた。


「あ?嘘吐くな!」


「面倒事ばっか俺に押し付けてくんな。ちゃんとキングナイトの責務を果たせよ。」


まるでもう慣れたと、これで何度目だと呆れた様子を全力で前に出しながら言った。実に完璧な演技だった。だけども例の女はそんな様子など気にする様子は無く、淡々と言った。


「そんな弱い奴がキングナイトな訳ないだろ。」


その言葉に、微妙に浮かべていた笑みは真顔に戻った。


……確か、メールを送ってきた野郎は戦って負けたんだったか。現に、初代の椅子なるほどの立場的に弱い…成長中ってことにすれば…いやもう戦ったのか。2代目は倒した、次は初代テメェだの流れだ。


それにしてもメールを送ってきた野郎に負けを認めさせるほどの強さか。


つまり法律の加護に守られお遊びに来た喧嘩弱者ではなく、ボクシングとか格闘技とか合気道とか全部習ってる系ガチ女子?


恐ろしい。そんじょそこらの奴よりも圧倒的に強くて技術があるって事か。


やばいな、言い訳が見つからない。ちょうど下に裏切り者が居るので、嘘が通用しにくい。


とりあえず事実確認をしよう。もしかしたら抜け穴を見つけられるかもしれない。


「お前がキングナイトと戦いに来た奴か?」


「お相手願う。」


礼儀正しい挨拶をした後、例の女は自分の拳を目線の高さまで持っていきファイティングポーズをとった。

とても鋭い眼光で問答無用って感じがある。何か無駄な事を言った瞬間、殴られる雰囲気がした。今から戦わないで終わる未来が逃げるしかない気がする。


だが逃げたら更なる問題を連れて来る予感がするので逃げない。よって戦うことになる。


それにしてもこれから喧嘩をしようとは思えないぐらい丁寧な挨拶。例の女にとって、これは道場で試合やら稽古をするイメージなのだろうか。


何をやっても上手くいく大天才の可能性も出てきた。退屈しのぎで噂のキングナイトに殴り込みってか?おっし上等、殴られても文句言うなよ。


キングナイトは立ち上がり、少し移動してメールを送ってきた野郎から離れる。

丁寧に挨拶をされてしまった以上、あのまま座り続けて遅延させるというのは俺の信念に背いてしまう。


こうなったらさっさと終わらせよう。


「全力できな。」


左足を半歩後ろに出し、全身の力を抜く。そして若干猫背になる。


数秒も動かずにいると、相手の方から動いてきた。その拳の軌道から、容赦なく顔面を殴る未来が見えた。


相手の腕力を測るという意味合いも込めて、右手でその拳を受け止める。


特別強いという訳ではなく、容易に受け止められた。例の女はそれに驚いている様子を見せず、むしろ更に距離を詰めながらもう片方の手で殴りかかってくる。


それも受け止めると、即座に例の女の頭が飛んできた。それがおでこに当たる。

予想すらしてなかった頭突きに、キングナイトは相手の拳を掴んでいた手が緩んでしまった。


またしても、例の女の右拳が頭を狙う。逸らすことが出来ないと思ったキングナイトは膝で相手の腹を容赦なく突く。


例の女の拳が空振る事はなかったが、追撃もなかった。そして物理的な距離が生まれた。


例の女は先ほどと同じようにすまし顔で、まだまだこれからだという気迫が感じられるように思えた。全身を上下にと揺らしながらリズムを刻んでおり、今すぐにでも動き出しそうだった。


最初から頭突き?めっちゃ怒ってるじゃん。表面では普通を装いながらめちゃくそ怒ってるじゃん。


遠慮も全くない。こちら側の人間だ。たしかに強い。

これなら負けても何一つ問題ないのでは?適当な場所で攻撃を受けて気絶のフリするか。


明確な勝利条件がない以上、これはどちらが動けなくなるかの勝負だ。

俺が勝ったら再び相まみえる可能性があるが、例の女が勝てば手加減しただろ?と怒らない限り二度とその面見ることはないはず。


そして俺は勝ち負けなんてどうでもいい。


よし結末は決まった。もっとかかってこいや!お前の怒りはそんなもんじゃないだろ!


そんな事を考えていると、例の女が再び動き出す。


相変わらず左の拳が頭を狙ってくる。殺意たっか。

再びその拳を掴もうとすると、逆に手首を掴まれた。それに応えるように相手の手首を掴み返していると、再び過剰なまでに距離を詰めてきていた。


なので、先に頭突きを繰り出した。


例の女は多少仰け反ったが、その程度で終わってしまった。流石に手を抜きすぎてしまったのだろうか。


屁でもないと言わんばかりに、例の女の右手が勢いよく俺の横腹を掴んできた。

突然の事にキングナイトの脳裏には、最近のトラウマが思い浮かんだ。それは腹殴り。それは筋肉黒人。それは腹痛き日々。


それはキングナイトの目を見開かさせた。

それとほぼ同時に足に力が入る。キングナイトは体の軸をしっかりと持った。そして脅威を排除すべく、残された左拳を貯める。無意識にどんどんと、握る力が強くなっていた。


掴んだ横腹を握りつぶすなり、くすぐったりするのかとも思ったが、ガッチリ掴んだっきりその右手は動かなかった。


左手は手首、右手は横腹を掴んでいる。頭突き合戦か?とも思ったが例の女の頭は動いていない。だが体は動かしている。そうなると手段は3つ。


先ほどの復讐で膝蹴りをぶち込まれるか、足払いをして押し倒しに来るのか、引っ張って背負い投げ類をしてくるかだ。


だがそれらが行われるよりも先に、キングナイトの拳が解放される方が早かった。


貯めていた左拳を解放し、筋力に物を言わせ、がら空きな横腹を全力でぶん殴った。

例の女の体が少し浮き、よろめくように離れていった。転ぶことはなかったが、少し足を引きずるような体勢で横腹を抑えながら、こちらを警戒するようで怯えるような目で見ていた。


思っていたよりも体重がない。技術極振りガールか。あ、握力もすごいね。掴まれていた右手首にあかーい跡が残ってる。


先ほどの3つの手段、後者2つの場合は最悪だ。そのまま馬乗りサンドバックが始まってしまうかもしれない。ボコボコにされれるのは嫌だ。前者1つは厄災だ。まだ腹痛が収まってから1日程度しか経っていない。それでは軽度の筋肉痛しか治らない。絶対に油断してはだめだ。そして腹という弱点を気取られるな。奴らに仁義があると思うなよ。


フシャーっと例の女を睨み付ける。


例の女を見るが、その額には汗が流れていた。先ほどまでのすまし顔はいずこに、相変わらず殴った横腹を抑えている。…もしかして不味い状況なのでは?


ちょっと顔色も悪い気がする。結構まずいな。この状況から負ける方法は……クリティカルヒットで顎とか?でもそれだと納得の勝利とはならない可能性が高い。どうしましょ?


キングナイトは最適解を考える。が、やはりこの状況から納得できる敗北が考えられない。不本意ながらも一度殴ってしまったので、キングナイトは女を殴らないや、もう戦いはやらないと言い訳することすらできない。


ようやく勝つか?と考え始めていると、例の女が殴りかかって来た。


キングナイトは後ろに下がりながら、降りかかる拳を防ぎ、逸らし、避ける。


思考が固まってない中での至近距離戦闘は不味い。早急に結末を考えなければ。


キングナイトはただひたすらに距離を取り続ける。隙を見つけては大きく飛び下がりながら、決して例の女から視線を外さない。


それにしても、面白いな。


例の女は珍しく、殴りに蹴りを混ぜ込んだ動きをしてくる。


蹴りに合わせて大きく後ろに下がると、例の女もそれに合わせて詰めてくる。

そこに拳をそっと添えるだけで、例の女の脚が一度止まる。本当に力はいらない。そこに置くだけで、それを警戒してくれるのだ。


殴り返されることも前提にした殴りof殴りのような動きをしてくるむさ苦しい底辺組からでは見られない景色だ。まるで自分が圧倒的な強者だとも思えてもくる。


ちょっと楽しい。

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