第7話 昼食の行方は
少しの静観がその場を支配していた。お互いに声を出すことも無く、観察し合っていた。
瀬名は警戒よりも微妙な空気を感じていた。目の前の女子生徒たちはきっと、この空気どうしてくれるの…誰?などと思っていることだろう。
場合によっては、お昼休憩の休みを告げるチャイムが終止符になりそうな雰囲気だった。だがその雰囲気を壊してくれたのはふみのだった。
「かなほ~この少年がご飯無くて困ってるの。分けてあげて。」
まったく空気感を気にするどころか気づいてすらない間の抜けた声だった。
「別に良いけどさ、その少年ってだれ?」
簡潔に質問に答え、当然の質問をかなほと呼ばれた女子がふみのに問いかけた。
「新入生。」
さも当然のようにそう答えた。
まったくを持ってその言葉通りなのだが、説明が足りなすぎないか?そもそも当事者の一人である俺ですら理解できていないのだ。しっかりと説明求む。
周囲にいる女子生徒だけではなく、同じ教室内にいる少し遠くの人からも視線を感じる。間違いなく、今一番注目されているのは俺だろう。まったくうれしくない。
「……名前は?」
かなほは少し考えるような様子をみせ、恐る恐るといった感じで声をあげた。
ふみのが間も置かずに「知らない。」と答えると、かなほと呼ばれた女性が「バカ。」と言いながらふみのの頭を叩く。小気味よい音が響いた。
それだけでは止らず、かなほがふみのの首根っこをつかみ教室の端のほうへと連れていく。
どうやらふみのが平気で他人の首根っこをつかむ文化はかなほから伝染したのだろうか。
「ありゃー運が無かったね新入生。」
「同情するよ。」
「悲しきかな。かなほの犠牲者がまた増えた。」
そんなことを考えていたら周りにいた人たちが、優しい言葉を投げかけてくれる。
犠牲者ということはよくあることなのだろうか。
急に変わる周りの態度に対応できず、いったいどうすれば良いのか。その答えがわからないまま視線を右往左往としていた。そんな所だった。たたみんが変化を与えてくれたのは。うれしいことではあるのだがその方法については是非考え直して欲しかった。
背中から腕が伸びてくる。まるでホラーゲームの幽霊ように、俺を逃がさないようにと俺の体を抱きしめた。
片腕は横腹に、もう片腕は腕を掴む、いや揉んでいた。
急な出来事に理解が出来ずフリーズしていたところにたたみんさんの声が聞こえてきた。
「ふむ…ふむふむ……横腹は筋肉はすごっくいいねぇ…だけど腕は一般的…横腹は最高級…筋肉に対して少しの肉、ここちよい。」
「……筋肉フェチ?」
つい思ったことがそのまま口に出てしまっていた。だけどたたみんは心ここにあらずといった様子で、筋肉の感想と思われる言葉が口から出ている。
「腕に関しては特質した硬さはないけど、確かな柔らかさがある。どう鍛えたらこうなるの?…是非とも枕にしたいね。」
「あ、あの……えっと………」
ただ戸惑うことしかできない瀬名。色々な初体験に必死に頭を働かせていると、ある一つの致命的なことに気が付いた。
名前がわからない。
彼女たちの会話からニックネームはわかった。だが名前は知らない。いきなりニックネームを呼ぶのは無理だ。いったいどうやってこの状況を打破すればいいのだ?少なくとも無理矢理抜けるのは無理そうだ。
そして自己紹介すらしていないのに、こんな状況になっていることに恐怖していた。これが噂のコミュ力お化けというやつのだろうか。前世でもお見えになったことはないぞ。
どうすることもできかったので俺は現状を再把握した。
まず一番に思ったことは彼女も筋肉がすごい。手も少しごつごつしている。運動していない人のそれじゃない。
これでは身体能力的優位はないに等しいな。あといわゆる隠れ巨乳ってやつっぽい、見た目ではわからなかったが弾力がすごい。背中に柔らかい感触が一杯です。恥ずかしいけど良い。これが本当の役得ってやつだ。たぶん。
逃げることに関して、思索するならば地理的に不利だ。
今、俺は机の上にいる。最悪の場合を考えると机から落ちて怪我をするか、机ごと一緒に落ちて怪我をするか、周りにいる女性にも怪我を負わせて前科持ち。逃げ道がありません。
さて考えることがもうないと悩んでいると、たたみんから遅くなりながらも答えがちゃんと返ってきた。
「質問の答えだけど筋肉フェチではないかな。良い感触ならなんでもいいよ。胸でも、抱き枕でも何でも良いんだよ、硬くても柔らかくてもね。最近はやっとスライムに飽きてきたぐらいかな?でも次が見つかって良かった。」
いわゆる触感フェチというやつか?その気持ちは確かにわかる。スライムって一生の間片手間に触っていても飽きない気がする。
だけど問題なのはその次の暇つぶしが俺だということだ。
それ、すなわち安全が脅かされているということだ。
「やめてって言ったらやめてくれますか?」
数えるまでもないわずかな可能性。瀬名は多少の願いだけでその言葉をいった。
「やだ。」
容赦の無い返答だった。先ほどの常識人の風格は何処に消えてしまったのだろうか。やはり女性に何かを求めると痛い目を見る。ネットに書いてあったことは本当のようだ。
「やめてください。」
「やーだ。」
「ですよね……」
さて、どうしよう。とりあえず今だ。後のことは後で考える。問題は机上で起こっているのではない、現場で起きているのだ。
まずは机の上から降りることだ…どうすればいいのだ?俺が思うにもう詰んでいると思うんだ。今一番問題なのが抱きつかれているということだ。極端み行動範囲が狭まる。そして離れてもらうのは無理と返答を貰った。
……どうすればいいんだ?
瀬名は虚空を見つめていた。焦る感情を間際らせるために再度現状を思い返す。
いくら考えてもわからないことばかり、まだ転生初日のほうが理解できたね。
まず手を動かすのは危険だ。わいせつ犯になる可能性が高い。目を動かすと視姦と叫ばれる可能性がある……こうなったら最初から全力で逃げるべきだった。
多少の犯罪には目を瞑って、逃げ切ることを選択するべきだった。へんな思いで手加減やら手抜きをするからこうなるのだ。
次からはミミズのように醜く、液体のように柔軟に、逃げ切ることを誓います。俺、嘘つかない。
止まることなく動いていた、たたみんの手がやっと止まった。そして耳元で囁くようにいった。
「もしかして嫌だった?」
「いや…ではないですけど……離れてください。」
正直に白状しよう。個人的に今の現状は好きだ。面倒な事にさえ考えなければ今の環境は最高なのだ。
環境は良い。背中の感触、手や足、腹を撫でるように触られる。そして良い匂い。何の匂いかはわからないが、良い匂いだ。香水があるなら是非買いたい。
環境音は気にしちゃだめだ。メンタルと寿命が減る。
お腹は空いた。
机の上に座っているという倫理観。
+-でギリギリ+…なのかな?
「たたの…いい加減話してあげて。」
さらにたたみんの後から声が聞こえた。そして新たな手がたたみんの腕をなぞるように進み、一気に腕を引き剥がす。そして左右から、誰か2人がたたみんを俺から引き剥がした。
たたみんは机の上からもご退場になった。
いったい誰なんだと、瀬名が背後を見る。
そこにはたたみんとよく似た女性がいた。身長と目が瓜二つだった。髪が長いのでなんとなく、たたみんのお姉さんに見えた。
「あーーぁ、ちょっと…」
もの惜しげな声を出しながら背後から抱きついて来ている瓜二つの女性に文句を言っている。それにたいして瓜二つの女性が叱るように言う。
「悪い癖だよ。初対面の人に何してるの?」
「悪い人じゃないよ。」
「でも迷惑でしょ?」
「嫌ではないって言ったよ?」
「だから良いって話でもないでしょ?」
「彼の顔をちゃんと見た?頬が……
叱るように、と思っていたがどちらも一歩も引かぬ口論になっていた。どちらにも信念があり、己こそ正しいと言いたいのだろう。
片方は欲望を、片方を理性を。
なんとも悲しい口論だ。果たして終わりはあるのだろうか?是非とも結論が出たのなら俺も聞いてみたい。
現在、教室の端では一方的に怒られているふみのグループ。そしてすぐそこで話し合っているたたみんグループ。そして再度沈黙を保った瀬名グループ。そしてその他。
ちなみにふみのグループでは現在、アイス買ってきてないじゃん議論が行われていた。
なんか混沌としてきた教室だ。このまま悪化したらいったいどうなってしまうのだろうか。
瀬名グループでは最初と同じように、視線を合わせるだけで会話が無い。
少し考えた後、瀬名は好機と考えた。静かに、瀬名の周辺にだけ聞こえるレベルの大きさの声で喋る。
「すみませんみなさん。お邪魔してしまって…」
「いや、こっちも悪かったな。許してくれや、あいつらはあーだからな。」
最初に優しく声をかけてくれた1人が反応してくれた。ショートカットの荒っぽそうな女性だった。もしかしたら今後姉貴と呼ばせて頂く可能性があります。
「いえ、楽しい人達でした。それでは失礼します。」
そう言って机の上からやっと降りる。久方ばかりの地面。やはり自分の足で立てるって素晴らしいこと。
「おう、困ったらいつでも来いよ。俺でも相談ぐらいならできる。」
「ありがとうござます。それでは。」
静かに教室の扉を開けて出て行く。瀬名グループだけではなく、その他からも視線を感じた。だけど二つのグループからは視線を感じなかった。
無事に作戦は成功したようだ。
瀬名は歩き出す、前に少しジャンプして先ほどいた教室にある時計を見る。あと6分で昼休憩が終わるそうだ。
まぁ良い経験だったと言えば聞こえはいいな。時間が潰せた。そう思おう。
瀬名は住処であるトイレに行こうとせず、そのまま下駄箱へ向かい靴を履いて外に出る、そして水飲み場へ行く。
わざわざ校舎内にある水飲み場ではなく外にある水飲み場に行く理由は外の水の方がおいしいからだ。
外と中の水の違い。その差はたった一つ、水の温度だ。外の方が冷たい。冬場であればどちらも冷たいが、夏であればその差は謙虚に現れる。この事実に気がついている人はどれほどいるのだろう。
さて、後2時間頑張ろうと気合いを入れていると大切なことを思い出した。
トイレにリュックを置いたままだった。もしも中身が抜き取られていたら泣くわ。あそこには大切な本もあるのだ。
急いで3階のトイレに駆け込む。荷物は無事だった。
あぶない…あぶない…
教室に戻り椅子に座る。机の上に教材を用意し、ただ待つ。2時間はただゲームのようなものと先生の過去語りだった。暇だった。
学校が終わったら腹の音を我慢する方法を検索しよう。あと対女子自衛用防護壁は無意味だということが今日で証明されてしまったが、俺は保持しようと思う。
その理由は目元が隠れるからだ。目元が隠れるということは目を閉じていてもバレないということで、姿勢さえ正してしまえば眠っていてもバレないということだ。
さて、帰りの会は終わった。俺は一目散に教室を出て行き、特別教室側の階段から降りる。
急いで帰る理由は一つ、いざという時のためだ。
そのいざ、とはさきほど3年A組にいた人が襲撃に来るのではと恐れているのだ。学校に用はない。急いで帰る得だ。体力は問題無い。どちらにせよ汗は出る。完全急ぎ得。
瀬名が2階から1階へ降りる時、教室側の階段からドタドタと激しい足音が聞こえてきた。
帰りの会が終わってすぐ。そんな時に急ぐ理由に当てがある。俺はニーブラーな彼女だと思うね。
俺の勘は正しかったのだと、密やかながら安堵しながら安全がほぼ確定したところで、下駄箱へ素早く進む。今日は気分が良いのでコンビニで揚げ物を買おう。そうしよう。
瀬名がウキウキと靴箱から靴を取り出していると背後から声が聞こえてきた。
「ねぇ君。」
周りには俺しかいないはずなのに声がしたことと、なぜか聞き覚えがある女声に戸惑いながら背後を見てみる。
するとかなほがそこにいた。
とんだ伏兵がいた。だが絶望はしていない。今なら逃げれる。靴をその手に持ったまま、靴下で外へ逃げればなんとかなる。上履きはもうしまった。
だが気がついてしまった。どんなに急いでも靴箱は確保されてしまう。校舎内でどれだけ回避しようが、靴を捕らえられてしまっては逃げ……明日から靴入れを持ってくれば解決じゃね?
常に靴を持ち歩けば隠されることはない。体育館シューズが何かされた場合は「いじめです先生」コールからなんとかなる。
よし、致命的なミスを犯す前に改善ができるぞ。
「ほれ、これあげる。」
かなほから手に持たれていた物を投げ渡された。それはメロンパンだった。
「こ、これは?」
「ふみのの話だとご飯が無くて困ってったんでしょ?昼休憩はごめんね。君のこと放置していろいろやっちゃって。」
「大丈夫ですよ。問題もありませんでしたし。あとメロンパンはお返ししますよ。お気持ちだけで結構です。」
かなほに近づいてメロンパンを返そうとする。
善意は嬉しい。だが俺にはお返しができない。かなほが好きそうな物なんて知らないし、お礼をしようと近づくのは結構嫌だ。それにこの学校の正確なカースト制度を知るまで不用意な行動は出来ない。
俺の知識によるとこの手の物にはファンクラブが必ずといって良いほどある。今現在でも結構危険だ。すでにお昼の件を知られていて、闇討ち部隊が編成されいているかもしれない。
本当にお気持ちだけで勘弁していただきたい。
「あげるって言ったじゃん。」
そういって一歩引かれた。物理的な距離が生まれる。メロンパンが悲しそうにしているように思えた。
「なんでいないのぉ!!!」
………遠くからふみのの声がした。
一度声がした方に目を向けた後、元の場所に戻す。するとかなほと目が合った。なぜか緩みかける顔を必死に張って我慢した。
「さぁ、早く行った方が良いよ?そろそろ怒りながら帰ってきそうだから。きっとお昼の時より面倒くさいよ。」
確かに面倒くさそうだ。1時間は覚悟した方が良さそうだ。俺は帰えろうとするまえに一つ訪ねる気がした。
「…お礼はするつもりはありせんよ?」
メロンパンをクイッと軽く持ち上げながらそう言う。
俺的には本当にお礼をする気がない。もしも機会があったらやるが、わざわざしようとは思えない。
「別にいいって、迷惑料だと思ってパクッといっちゃってよ。」
「ありがとうございます。」
これ以上は野暮という奴だろう。貸し一つと記録しておこう。
もしも街中で出会って何か機会があれば何かを奢ろう、そう決めた。まぁ街中で出会う可能性はほぼゼロだけどな。
靴を履いて、外へ行く。メロンパンをかじりながら、コンビニへ向かう。今日は気分が良いので揚げ物を食べよう。
メロンパンは外はカリカリ、中はモッチリ。あまあまだった。とてもコンビニの質とは思えない。そこで気がついた。これはただのビニール製の袋だ。名前やら材料表記がまったくない。
もしやこれが噂の売店のパンなのだろうか?
あの戦争具合にも納得がいってしまうな。
そう思ってしまった。だが同時に、二度と行かないけどね…とも思った。
おじさんに賄賂を渡して確保して貰えないだろうか?これほどの味ならば全種類食べてみたい。だけどなぁーあのおじさんはそんな汚いことは許さない気がするからなぁ…
3年生だ。3年になって一階に教室を獲得できたときだ。全力で初動ナイファーの如く走り込みでパンをゲットしてやる。
待ってろよ、パン。
瀬名はそう思いながら学校の校門を通った。片手にメロンパンを持ち、ちびちびとかじりながらその場を後にする。
目指す先はコンビニ。目的はハッシュドポテト。出費は約300円。
明日は0円にしたいな。
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