墜落

キヅキケイト

第1話 はじまり

空は晴れでも雨でもなかった。その日は曇っていた。もしかしたらにわか雨でも降るかもしれない。ヒトミは、雲を見つめた。鈍く光っていた。

湿り気のあるヌルい風が、足を撫でた。その瞬間身体がよろけて、スカートが捲れた。ヒトミは震える手で抑えた。少し冷や汗が出る。恐怖からか、手の芯は痛い。

ーーーあぁ、こんな時でも、気にしちゃうんだ。

時計は14時を過ぎた。

屋上。私の世界の中で、一番、空に近い場所。あの空へ飛び込めば、私は死ねるだろうか?

現実味のない、こんな宙ぶらりんの願望。よく電車の人身事故なんかを耳にするけど、最期は意外と、こんなものなのかもしれない。

そして、また空を見つめた。一歩踏み出してしまえば望みは叶う筈なのに、そんな勇気はどうせ無いのだ。


昔から友達が多い方ではなかった。

仲良くしてくれるクラスメイトは居たが、そこにヒトミは居場所を感じることはなかった。


ヒトミが高校一年生の時であった。

どこか皆、ヒトミと距離を置いている気がした。そしてそこには単純な隔たりだけでなく、好奇の目で見るような嫌な眼差しを感じていた。

最初は気のせいかと思ってやり過ごした。しかし時と共に自分が"なじめていない"ということを、その空気で感じていった。

入学してから月日が経つにつれ、ヒトミは周囲に置いてきぼりにされていった。

皆同じ世界に住んでいるのに、自分だけは他の星から来たような、そんな孤独に打ちひしがれる。

いつしかヒトミは自分の世界に篭るようになった。机に突っ伏し、目を瞑る。真っ暗な世界。やがて瞼の裏が緑色に光る。意識は遠のきクラスメイトの声は遠くに聞こえる。森のような幻想世界に、ひとりでに浸るのが日課になった。


現実世界から逃げていれば、その分感覚というのは鈍っていく。


本当に何かの間違いかと思った。

頭の上にパラパラと何かが降ってきたのだ。

同時に、空気がどこか浮ついている。

"森"の中から意識を離し、顔を上げた。不破(フワ)だ。ヒトミの後ろの席の野球部員だ。

不破はヒトミの顔を見るなり笑い出した。それと同時に不破の周りに居たクラスメイトたちがクスクスと笑った。

ヒトミは、ポーカーフェイスを作るよう努めた。

黙って頭の上の消しカスを手で払った。それは机の上に落ちたが、両手のひらで中央に集め、ゴミ箱へ捨てた。

そしてまた、机に突っ伏し"森"へ行った。暗い世界、クラスメイトの笑い声。ただ、今日は、邪魔者が入っただけなのだ。そう言い聞かせて緑の世界に意識を集中させた。


チャイムが鳴る。

授業が始まるので"森"から抜け出さなくてはいけない。

その時、今までに感じたことの無い緊張が襲った。

顔を上げるのが怖い。周囲を見渡すのが怖い。

号令、着席。ひとつひとつの動作に力が入る。

私は変なのか?

一挙手一投足を誰かに監視されているような気がして息が苦しい。おかしい、何かがおかしい。

「おいフケのってんぞ。ちゃんと風呂入った?」

嘲り笑う声。なぜ?防衛本能か、息が止まってしまう。

しかし口答えができるはずがなかった。身体の強張りは増し、気付けば歯を食いしばっていた。

何事もなかったかのように授業は進む。時計は15分、30分と針を進めた。

しかしヒトミの中の時計は止まったまま動くことは無かった。歯車は苦しそうにギシギシと、互いをすり減らしながら無理やり噛み合わせて回るように回るようにと動こうとした。が、動かない。なぜ、なぜ?

授業に集中しなければならないのに、言葉にならない、怒りのような疑問が渦を巻いた。それとは裏腹にどこか呆然とした。私が?なぜ?確かに"浮いている"感じはしていた。けれど私が一体何をしただろうか?黒板を写す手は止まり、シャープペンシルを強く握ったまま俯いた。


日を重ねるごとに少しずつ内容はエスカレートしていく。

ヒトミの仕草や表情に周囲が反応するようになり、わざと聞こえるように馬鹿にする。

それにより更にぎこちなくなり、また嗤われる。

貧乏と噂をされ、哀れみを感じたのだろうか、ヒトミにパンをあげるクラスメイトもいた。

まだ大丈夫、まだ大丈夫と言い聞かせるが、もうそれは確信に変わっていた。

そう、私は"いじめられている"のだとーーー。

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